死を食らう電話5

 コータは目を覚ました。水底に沈んだような息苦しさ。一度固く瞑目し、口の端を歪める。

「またかよ」

 自室で首をくくって、父親が入ってきて、迷惑そうに家族に処理を頼む夢を見た。初めて見た時は驚いたが、今では可笑しいだけの夢だ。

 けれど、こうも短いあいだに何度も見ると、少しばかり飽きてくる。

 遅ればせながら、スマホが枕元でアラームを鳴らし始めた。目覚まし代わりに『毎日』に設定された『就活:ハロワ』の、リマインダーだ。

 コータの指先は半自動的に通知をスワイプ――しようとして、止まった。

「やっべ! 合宿! 今日じゃねぇか!」

 メメント・モリの合宿の、出発日であった。しかも移動込みで猶予は二時間。慌ててバッグを引っ張り出す。予定は二泊三日。寂れた山奥である。

 合宿の話が出たのは、学生陣の夏休みが始まるかどうかというころだった。

 久々の登校でますます学校に行く気がしなくなったというハナビの愚痴を聞き流し、イサミンが一枚の紙を配った。『八月の予定』とだけ書かれた紙だ。

 そこに確実に空けられそうな日を書き込んでほしい、と言った。

 皆のタイミングが合いそうなら、合宿をしたいという。

 紙を渡されるまでは、盆暮れ正月くらいは家に帰るべきかと考えていた。

 しかし、実家で仕事を辞めたと報告するより、山奥に引きこもったり沢筋で落ち武者河童ごっこに興じるほうが生産的に思えた。

 だからコータは、その場で全日程が完全オフだと言い張った。失業保険の給付はすでに始まっていたが、預金通帳を思い出しつつまだしばらくは余裕があることにしたのだ。

 ……合宿は盆の後ろに設定されたため、ただの帰省しないニートと化したが。


 ただ、暇にかまけて警棒術のDVDを見ながらひたすら練習した甲斐はあった。

 

「――うん。コータ、すごく強くなってるよね」

 ハナビはニカっと笑って、そう言った。

 始めた時期は同じはずなのに、荒い息をつくコータとは違う。なぜだ。若さか。

「いやほんと、ハナビちゃんはスイッチ入ると強いですね」

 適当な言葉を返しつつ、イサミン曰く『道場』に集うメンツを眺める。 

 結局、合宿には全員が参加していた。コータにとってはありがたい誤算だ。独りで漫然と過ごす夏ほどキツいものはない。この際だから海にでも行ければ最高だったのだが、あいにくと女性陣は立ち合いにご執心のようだった。

 着いてすぐ、まずは挨拶代わりにサッキーにボコボコにされ、病院に行かなかったのを咎められた。ユカポンとは和気あいあいと組手ができたものの、何がムカついたのか、ハナビは代わった途端に猛烈な勢いで打ちこんできて、コータは床に大の字である。

「次、僕とやってもらってもいいですか?」

 とタケッチが代わってくれたときは、憐れんでくれてのことだと思った。

 しかし、彼もやたらと血気盛んに打ってきたので実態は違うらしい。もっとも、その後ハナビに滅多打ちされることコータの比ではなかったので、同情してしまった。

 そんないつもと大して変わらない合宿で得た収穫は、テツとの緩い和解だろうか。

「おい」と、言い辛そうに声をかけてきたときは驚きもした。

 だが、実際に打ち合ったことで蟠りも解けた気がする。最後に殺し合いじみた決闘をしてからロクに話す機会がなかったから、イサミンが気を回してくれたのかもしれない。

 そうして一日目は過ぎ去り、二日目にはいちおう川にも行った……のだが。

 案の定、メメント・モリのメンバーはこの手のイベントが得意ではなかった。

 ハナビはまさかの服の下にスクール水着だし、ユカポンはかたくなに日陰から出ようとしないし、頼みの綱のサッキーはバーベキューもどきに夢中である。他にはテツがタケッチを巻き込みスイカ割に興じようとしていたくらいか。

 結果として、合宿最大のイベントは、夜に持ち越されることになった。


 夜、川辺で宴席の始末をしようかというとき、タケッチが低い声で語り出した。

「ところで皆さん、ご存知ですか?」まるで表情を変えずに、ホタテの貝殻を利用した常夜鍋をつつく。「近くに心霊スポットがあるらしいんです。公衆電話なんですけど」

「……もしかして、死を喰らう電話ってやつですか?」

 言いつつコータは自身の持ち込んだグレンフィディックの十二年――シングルモルトウィスキー。飲みやすから皆も飲むかと思って買った――を紙コップに注いだ。

 すぐ隣で、手ずから混ぜたスクリュードライバーを飲むテツが、怪訝な顔をした。

「なんスか? それ?」

「――えーと、若い子たちの間で流行ってる噂、みたいなやつですよ」

 いまだにテツの砕けた口調に慣れない。いつの間にそうなったのか気づけないほど自然に変わっていたのだが、一度気になりだしたらダメだった。酔っているのかもしれない。

 サッキーは急に不機嫌になり、余りものの冷めきった肉を口に放り込んだ。

「いきなり何? オカルト? ウチ、そういうの苦手なんですケド」

 言いつつビールの缶をくしゃりと握りつぶし、細いタバコを咥えて火をつけた。

 タケッチはわざとらしく鼻をつまみ、手で煙を払った。

「夏ですし、いいじゃないですか。でも『死を食らう』じゃなくて、『願いを叶える』電話って話じゃなかったですか? なんでも特定の公衆電話じゃないと、つながらない番号が――」

「タケッチも知ってるんだ」

 ハナビがつまらなそうにオレンジジュースをすすり、むせた。

 日ごろの鬱憤晴らしのつもりなのか、テツがウォッカを足していたのだ。大人は全員、酔っ払いになっていて、誰も止めようとはしなかった。

 それは日頃はマジメな日本酒党のユカポンであっても、例外ではない。

「それってぇ、公衆電話の受話器を取ってぇ、六を七回押すって奴だっけぇ?」

「そうらけろ、ゆらぽん、おしゃけくしゃい」

「うおぅ。ハナビちゃんかわいいぃぃ!」

 ユカポンは一瞬で舌っ足らずになったハナビに抱きつき、ほおずりし始めた。完全に悪酔いタイプでできあがっている。

 それを横目にタケッチが眼鏡を押し上げた。カッコつけているが眼鏡は指紋だらけである。

「ハナビちゃんの学校でも有名? 倶利井戸(ぐりいど)様って言って、僕らの間でも流行っててさ。僕らも皆で行ったりとか――」

「タケッチら? ちょっとひんりらりぇらいんられりょ。ほんろりぃ?」

 舌っ足らずを通り越し、もはや何を言ってるのか分からなかった。ただ、とりあえず挑発しようとはしているらしい。

 怯んだのとはまた違うのだろうが、タケッチが気まずそうに目を逸らした。

「……僕は行ってないんだけどさ。でも、噂は本当だよ」

 恐るべきことにタケッチはハナビの言葉を正確に聞き取っていた。

「ひゃっぱりぃ、いっれ――」「せっかくですから、行ってみませんか?」

 ハナビの減らず口を遮るようにして、黙って聞いていたイサミンが口を開いた。

「実はその公衆電話、近くにあるんです。すぐそこの道を登って行くと、ちょっとおもしろい噂のある古い廃寺があるんですが、その少し手前なんですよ」

「えっとぉ、肝試しをぉ、しようってぇ、ことですかぁ?」

 純朴すぎるユカポンの質問に、コータは苦笑する。けれど興味がないと言えば嘘になる。

「いいですね。肝試し。俺、そういう経験ないんですよ」

 事実だ。事実だが、せっかく持ってきたのに誰も飲んでくれないグレン・フディックのボトルをひとりで飲み干しかけていたのも、子どもじみた興味を後押ししていた。

 正直、『死を食らう電話』なんて忘れていた。

 我ながらバカらしいが、『死を食らう電話』であれ、ハナビの言う『願いを叶える電話』であれ、もし本当なら力を借りたい。並木の言うとおり前進に怯えているのなら、そんな無意味な恐怖は捨てるべきだ。捨てられるのなら、どんな方法でも構わない。

 オカルトそのものに興味はないが、この際、神でも悪魔でもよかった。

 危機感が欲しい。

 実際の行動にはいたらない危機感など、存在しないに等しい。どんな理由であれ、今は半強制的に動かされるメメント・モリの突飛な行動がありがたかった。

 だから、コータは、

「それじゃ、皆でお盆過ぎの肝試しと洒落込みますか」

 と、ボトルを空けてしまった。強い酒気が喉を焼く。

 時刻は、午前零時を回ったところであった。

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