死を食らう電話4(ユカポン)

 夜間講義の補助に入ったユカポンは、情報処理室の片隅で、隠れようにしてコンセントに充電器を差し込んだ。見られていないだろうかと肩越しに教室を覗く。

 六十人と少し入れるはずの教室は、やんちゃそうな若者でほぼ満杯になっている。授業直前の怠惰な空気は大学院と同じか、あるいはゼミによっては院のほうが真剣味に欠けるくらいだ。

 ユカポンは小さくため息をつき、講義の準備をしている若い非常勤講師に声をかけた。

「あの、先生。ありがとうございます。スマホ、充電させてもらっちゃって……」

「え? あぁ! 構いませんよ。学生さんに見えないように……見えてもいっか?」

 講師は女性らしい愛想笑いを浮かべて小さくぺろりと舌を出す。

 リラックスさせようとしての発言なのか。ただの嫌味か。いつも判断に迷う。

 しかし非常勤とはいえ相手は講師。誰とどこで繋がっているか分からない。

 ユカポンは礼儀として頭を下げ、学生たちから少し離れた席についた。

 とうとつに退院した後輩の穴埋め仕事は、資料を配布したり、教室を巡回して学生の質問に答えたりといった、専門性を微塵も必要としない――むしろ邪魔になることすらある――情報処理実習だった。

 博士課程にまでしつづけるユカポンのような人種にとって、専門性が低く、トラブルへの対処も要求されないような仕事は、実に退屈だった。

 不謹慎ながら、いっそ学生が騒ぎ出してくれればとすら思う。

 しかし、夜間学生というのは、昼は働き夜は学ぶという健全すぎる精神の持ち主たちだ。見た目はともかく中身はいたってマジメで、いつだって講義は滞りなく進む。

 誰でもできるような仕事に時間を取られるくらいなら、昨晩まとめきれなかったハナビの観察記録を書き足したかった。だが悲しいかな、急な話で講義内容を把握しておらず、進行を追い続けなければ質問に対応できそうにない。なんでもない仕事でミスを重ねれば、心象を大きく損なうだろう。

 他にどうすることもできず、ユカポンは講師のつまらない話に耳を傾けつづけた。

「――次に、コントロールキーと一緒に――」

 連日の睡眠不足でぼうっとしている頭を、優しい声音が撫でていく。

 遠くなっていく意識の片隅に、あの日のハナビが立ち現れた。パニック発作が収まった直後だ。泣き腫らした目をして『コータには言わないで欲しい』と懇願してきた。

 しおらしいと可愛いんだけどなぁ、などと寝ぼけていると、

「――じゃあ、各自でやってみてください。データは――」

 仕事の時間が始まった。

 といっても、学生がエロ動画でも見て鼻息を荒くしていないかとか、何をすればいいのか把握しているかとか、そんなことを見て回るだけの時間だ。

 学生たちは画面に釘付けになるため、必然的にこちらに背を向ける。彼らは見えない監視の目を警戒し、ちょっとしたおふざけすらやりにくくなる。まるで監獄の中心に内側の見えない塔さえ作れば監視員はいらないという、パノプティコンそのものだ。

 それでも、座りつづけているよりはずっとマシか。

 ユカポンはクリップボードを胸元に抱え、二足歩行する監視塔と化した。

 やんちゃな若人の間を歩いていると、ついテツを思い出してしまう。

 ハナビにバカにされたからか、彼は部族的トライバルな刺青を増やしていた。さすがにあの怖れ知らずの中学生のように『金魚にトライバルって、ほぼ人間落書き帳じゃん』なんて挑発はできないが、必要以上に怖がることもなくなった。

 これまでの観察からすると、テツは加害恐怖性じみた強迫観念をもっているらしかった。

 もし推測が正しければ、彼の威圧も意味が変わる。周囲の人を傷つけるのではないかという恐れから、無理をしてでも周囲から人を遠ざけようとしていることになる。

 ユカポンは不良社会について詳しくないが、加害恐怖を抱えて生きていくには辛い世界だということくらいは分かる。もし、それが理由でメメント・モリに参加したのなら、皆の前で恥をかかされてしまったいま、彼は恐れととどう向き合うのだろうか――、

「先生、質問いいですか?」と、学生のひとりがユカポンを呼び止めた。

「はい、なんでしょう?」

 私は先生じゃないけどね、と心の中で舌を出しつつ、他愛もない質問に回答する。

 監視塔役を再開したユカポンの意識は、今度はサッキーとタケッチに飛んでいった。

 サッキーはユカポンが最も多く組手を重ねる相手だ。テツと同じく見た目と内面が乖離しているタイプだが、彼女の服装は単なる趣味らしい。口調が荒いのと短気なのを除けば、看護師志望者らしい優しさも持ち合わせている。

 彼女が看護師に憧れを抱いたのは、祖母の死を病室で看取ったときだったという。

 しかし、多くの学生がそうであるように、サッキーもまた看護師という職業の理想と現実を知って、道を見失った。

 それは学力的な問題ではなく、やはり恐怖症のせいだ。

 彼女の場合は、他人の死に著しい恐怖を感じてしまうらしい。気づいたのは友人が入院したときで、過剰に恐怖を感じて五分と病室にいらなれなかったという。

 いわば死恐怖症の他人版だ。

 ハナビは自身の死の想起が恐怖を誘発するが、彼女の場合はそれが他人になっている。死に瀕しているわけでもないのに、その人がある日とつぜん死ぬのではと予期し恐怖する。

 それが、コータがテツにやられたとき叫んだ理由だ。彼女の場合は恐怖症と上手く向き合えれば献身的な看護師になりうるし、それを自覚している感もある。

 一方、タケッチは分かりにくい。

 まだ高校生らしいが、ほとんど何も話してくれない。無口で、大人しく……少年らしく女性に興味津々らしい。メメント・モリで汗だくになっていると、しばしば彼の視線を感じる。

 年相応といえばそれまでだが、コータのように白系は透けるから止めたほうがと直言できる大人になってほしいものだ。……言われなければ気づけなかった自分が悲しくもなるが。

 ともかく、平日、昼間の集会にも参加していたから、ハナビと同じように不登校児なのだろう。仮に軽度の鬱だとすれば、傍目には普通で、その実、自殺企図に悩んでいる可能性もある。

 いまのところ、その兆候は認められないが、完遂される自殺は、いつだって兆しすら見せずに実行される。

 ――って、私はカウンセラーか。

 ユカポンは自嘲気味に苦笑し、首を左右に振った。視界の端に、ゲームに興じる学生たちが映った。講師は管理PCで学生が何をしているか把握できるのだが、知らないのだろうか。

 ユカポンはすかさずリーダー格と思しき金髪逆毛の頭をクリップボードでぺちんと叩いた。

「うぉぁ!?」と上がった悲鳴を聞き流し、

「こら。そういうのは家でやんなさい。作業は終わったの?」

 正論を言い添え、確認をとる。

 途端に三人組のひとりが隙を見つけたとばかりに睨めつけてきた。

「俺ら、もう作業終わったんスけど?」

「だったら――」

 手が自然と腰の後ろに伸びる。ジャケットの下にあるたしかな感触。イサミンの勧めで購入した軽量アルミ合金製の警棒である。いつでもやれるという安心感が、楽に言葉を紡がせる。

「――率先して応用してみたら? 勉強になるよ? それにID使ってログインしてるんだからさ、誰がゲームしてるか分かるし、後で何か言われるかもしれないよ?」

「えっ、マジすか? でも俺ら――」

「無駄な反論はなし。大学のパソコンなんだから、当たり前でしょ?」

 ニッコリ笑ってやると、男の顔が歪んだ。ユカポンは指を警棒のグリップにかけた。

 立ってみな。ぶっ叩いてやる。

 しかし、三人組は「サーセン」と頭を下げた。

 頷き返したユカポンは鼻でため息をつく。途端、自分の中で膨れた感情に戦慄した。

 いま、私、残念だと思わなかった?

 気付けばジャケットの下で特殊警棒の柄を握りしめていた。そっと離して手を見つめる。

 メメント・モリの活動に毒されているのかもしれない。

「――染谷さん。染谷さん」

 突然のように聞こえた小声に、悲鳴がでそうになった。

 講師が教室をチラ見して、こっそり手招きしている。

 ユカポンは特殊警棒を隠そうとジャケットの裾を引っ張った。元々が細身のジャケットだから却って形が浮きでてバレるかもしれない。心持ち胸を張って誤魔化す。

 上品に口元を手で隠す講師は、学生たちの様子を窺いながら囁く。

「すごいね、染谷さん」

「はっ?」

 予想外の言葉に、思わず間抜けな声が出た。

 講師は苦笑しながら先ほどの学生三人組を指さす。

「だってほら、あの子たち刺青とか入ってるしさ。怒りだしたりしたら……」

「あぁ……なるほど」

 見れば、クリップボードで叩いた金髪逆毛くんの首には、蜥蜴とかげの刺青があった。横並びの二人も前腕に地味な刺青を入れている。

「でも、まぁ、言っても夜間に来てる学生ですから。怖がってたら始まりませんよね」

「……はら、据わってるんだね、染谷さんって。でも見てるこっちが怖いから、今度からは口頭注意だけで済ませてもらっていいかな?」

「あ、と……す、すいません!」

 ユカポンは腰を九十度に曲げた。忘れていた。講師の反応が正解だ。普通は怖がる。

「あ、いやいやいや。いいの。いいんだけど、今度から、ね?」

 講師は学生の視線を気にして声を低めた。

「あとスマホ、やたら呼んでたよ?」

「え、あ、すいません……! 失礼します……!」

 ユカポンは小さく会釈し、小走りでスマホを取りに行った。

 昼間、進言通り学校に行ってくれたらしいハナビと、例の如く公園で自主練をしているらしいコータが、メッセージのやりとりしていた。それも非常に興味深いものを。

『コータ:暇があったらでいいんですけど、同級生に、死を食らう電話について、聞いてもらえますか?』

『ハナビ:聞いてみる。続報を待て』

 以降、ずっとやりとりがないままだった。ユカポンはやりとりの続きを待つ間に同期の優奈が送ってきた下らない動画なんぞを見て、貴重なスマホの電池を失ってしまった。

 チャンスを上手く利用できたかな? 頑張れよぅ、ハナビちゃん。

 割と他人ごとめいた応援をしながらユカポンはスマホのロックを解いた。

『ハナビ:友達いないからクラスメイトに聞いてみた』

 重い。重いよ。一発目からハードヒットすぎるよ、ハナビちゃん!

 ユカポンはがっくりと肩を落とした。あまりの大仰な動きに講師が驚いたほどだ。

 そんなことには気づかぬまま、ユカポンは会話の行き先を目で追っていく。

『ハナビ:死を食らう電話ってのは知ってる人いなかった。でも、願いを叶えてくれる電話って話はあるらしいよ』

 ナニソレ。

『コータ:何ですか、それ』

『ハナビ:こっちが聞きたいくらい。なんか、電話すると、何かひとつだけ、なんでも願いを叶えてくれるんだって』

『コータ:俺が聞いたのとは、だいぶ違うみたいですね』

『ハナビ:誰に聞いたの?』

『コータ:友達です。正確には、友達の友達の友達で、中学校の先生だとか』

『ハナビ:じゃあオジサン仲間だ』

『コータ:ヒドイ』

『ハナビ:世代間格差だね』

 コータさん可哀そう、とユカポンは思った。ついでに、そのスタンプ何、とも。

 そしてまた、自身も少しだけ胸が痛んだ。 

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