死を食らう電話3(ハナビ)
憂鬱な顔をしたハナビが、教室のスライドドアを開いた。
ユカポンに焚きつけられて久しぶりに登校してみたものの、学校は相変わらず青粉だらけの死にかけた湖のようだった。気分を変えてくれそうな水流もなく、湖底から泡のようにポコポコと吹き出す会話からは腐臭が漂っている。
教室に入ると、アイプチをキメた高宮の「なんで来てんの」という視線が飛んできた。
ハナビは無視を決め込み、窓際で日光浴している机についた。
高宮はこちらを睨みながら机の下に隠すようにしてスマホを出した。すぐに高速フリック入力を始める姿は、さながら人目を忍んでお気に入りの石を撫でさする猿だ。
目をつけられたのは、二年に上がったばかりのことだった。一年目から浮きがちだったハナビを、高宮のほうから誘ってきたのだ。
一年目に友達ごっこを拒否して面倒な思いをしたのもあって、ほとんど反射といってもいい速さで承諾した。しかし、他人の悪口だらけの会話に嫌気がさして、すぐに距離を置いてしまった。それからハナビと高宮一派は、ずっと緊張状態にある。
青春を代弁するモノリスをありがたそうに撫でる猿を見やって、ハナビは細い息を吐いた。
来なきゃよかった。
ユカポンにアレを見られたあの日、恐怖のコントロールをできるようにするためにも学校に行けと言われ、つい約束してしまったのだ。どんな形で交わした約束であれ、自分でした約束は学校のルールと違って破りたくなかった。でも。
来なきゃよかったと思うのは自由だよね。
ハナビは執拗に飛んでくる敵意を無視する。どうせ高宮だ。面と向かって追放を宣言をされていないから、明示的に抜けたりもしない。抜ければ悪化するのは目に見えているし、メメント・モリに入ったいま、抜けてやらないことが攻撃になると知っている。
身をもって教えてくれたサッキーに感謝しつつ、ハナビは高宮の心境を想像した。
高宮の目はときおりスマホから離れ、窓際に座る少女の物憂げな横顔を覗き見るのだ。窓から学校周辺のマンション群を眺める姿が、とてつもなく疎ましいはずである。
出席したのは一カ月ぶり。その間、毎日のように担任に様子を聞かれたはずだ。
高宮は未だ担任に下の名前を憶えてもらえていない。なのに――、
あのクソ生意気な、澄ました顔した、イジメから守ってやろうという善意を断った身の程知らずのゴミは、下の名前で呼ばれていた。なにがハナビだ。
『花火なんだから休んでる間にパっと散ればよかったのにね』
『ね。私、休んでる間、毎晩夜空にお願いしてたし』
『お前ら辛辣すぎ。そしてまさかのポエム』
『おうよ今日から夜空の写真ばっかあげるかんね』
『ウザ』
『誰か花火あげてくれないかな』
『しつけぇし』
即座に始まる言葉とスタンプの応酬に、高宮はしばし声を殺して笑うのだ。
そして、高宮はハナビを睨みつける。
そのときクソ生意気なチビは、侮蔑するかのような薄笑いを浮かべて待っている。
――どうやら、想像はだいたい当たっていたようだ。
モノリスに見放された猿が威嚇していた。効果テキメンとはこういうことかと思う。
一度、目を見てから無視するべし。またしても、サッキーに小さく感謝である。
ハナビは遠い目をして窓の外を眺めた。味気のない建売住宅群を守るように高層マンションの壁があり、その先に大人が働く街がある。いまごろ、メメント・モリの仲間も働いている。
――コータ以外は。
そう思うだけで、頬が緩んだ。
イサミンに内緒で作ったSNSグループで、彼は『今日は昼から自主練』と書いていた。
すぐにユカポンから『ハロワに行きましょう』だの『いい大人が昼から何してるんですか』だの『どこで自主練なんて』だの怒られていた。
なので、優しいハナビ様が、「ケガに気をつけて」と。調子に乗って「付き合おうか」と送ったら、ユカポンから「ハナビちゃんは学校に」と窘められてしまった。
先日の発作を思い返す。助けてくれたユカポンのことも。
感謝はするけど、負けないからね。
ふいにスマホが身震いした。コータだろうか。
しかし、担任の大塚が授業を始めたので、とりあえず放置する。焦らすのも大事だ。
永遠のようにも感じる大塚の一人語りを聞き流し、窓の外に意識を向け続ける。あまり無視していると当てられるから、たまにはチラリと黒板を見る。
教壇で熱弁をふるう大塚は、コータと同い年くらいの、女子から人気の、イケメンとか言われて喜んでいる、調子のいい教師である。お節介な使命感に燃えているらしく、何かとハナビに構いたがった。実はロリコンだったりするのか。あるいは不登校児をダシにして他の子の人気が欲しいのだろうか。実際『ヤサシー』とあしらわれているとき、嬉しそうにしている。
「おい、ハナビ? 聞いてるのか?」
その大塚の声を耳にして、ハナビは自分がしくじったことに気付いた。
嫌々ながらに顔を向けると、他の女子なら喜ぶだろう爽やかさが待っていた。
「せっかく来たんだし先生の話も聞いてくれよ。期末テストに出そうと思ってるんだ」
クラスメイトとかいう腐った藻の笑い声が響き、その裏でシャーペンの走る音がした。
ハナビは教室のどうしようもなく薄っぺらい空気に息がつまり、こんな人生があと何年も続いて死ぬのかと思うと怖くなり、恐ろしくなり、何にもないまま死にたくないし、死んだら何も考えられなくなるから死にたくなくて、死にたくなくて――、
思考が暴走をしかけたまさにそのとき、ユカポンの言葉が脳裏を過った。
『ハナビちゃんはコータさんと似てるとこあるから、大丈夫だよ』
ほんとに? どこが似てる? 全然、違うくない? でも、それなら大丈夫かも。
「おい? ハナビ? 大丈夫か? 顔色悪いぞ?」大塚が言った。
「まだ、死にたくない……っ」
ループし続ける思考は内言にすり替わり、そのまま口からまろびでていた。異質な言葉が水流を分断する。教室の空気が澱み、ボコリ、と汚れた泡が膨れた。
「おーい。俺の授業で死んでくれるなよぉ」
その一言で粘着質なあぶくが弾け、ドッと嗤い声が噴出した。満ちる腐臭に吐き気を覚え、ハナビは手で鼻と口を覆った。胸の裡で、死への恐怖が、ゆるゆると鎌首をもたげる。
まずい。まずいまずいまずい。
焦りが思考を加速する。間に合わない。止められない。
蛇が口を大きく開いた――が。
飛びかかる寸前、首を叩っ斬られた。
『まぁ、死んだからって、ねぇ?』
記憶の中のコータが、そう笑い飛ばした。
クリームシチューにカツもあり。違う。死中に活ありだったか。
やりすぎれば、なんでも、どうでもよくなる。
発覚を恐れて部屋に警棒を置いてきたのが悔やまれた。
「……授業、止まってますけど?」
「死にたくなぁい、って言ってたのはそっちだろー? ――まぁ久しぶりだし、いいけどな」
一瞬イラついた様子をみせた大塚だったが、速やかに持ち前の爽やかさでそれを隠した。
「それ……じゃあ……読んでどう思ったのか教えてもらおうかな?」
「できません」
即座にクラスメイトが失笑する。まるでアメリカのホームドラマもいいとこだ。
大塚が視線を巡らせ静けさをつくり、自分に注目を集める。教室の誰もが彼の発言を待っている。誰かを嘲笑うための免罪符をつくる。これまでもそうして人気を取ってきた。
「ほらぁ、ちゃんと俺の名解説を聞いてないからー。俺が寂しくて死んじゃうよ」
教室に正しい笑い声が響いた。決まった時間の息継ぎ。できなければ、生きてはいけない。
大塚はハナビの机に近寄り、閉じられたままになっていた教科書を強引に開いた。
「いいか? 今やっているのはここだ。んで、俺が聞きたかったのは――」
「いえ。それは分かってます」
ハナビは大塚のやり方にイラついていた。教室に滞留する空気にも、高宮の視線にも。
「ん? いやいや、さっき、できないって言ってたじゃないか。だから――」
「違います。そうじゃなくて、私がどう思っても正解じゃないから、言いたくないんです」
無意味な抵抗である。けれど、高宮の目が吊り上がるのを見たかった。
大塚は両手を腰において大仰にため息をついた。安い演技だ。
「そんなことはないぞ? 俺は皆がどう考えているのか知りたいと思ってる。そりゃ、間違ってるって思うことだってあるさ。けど――」
「ひとつ聞いてもいいですか?」
「なんだ? できれば、付き合ってもらえますか、とか以外で頼むな?」
言葉を遮られた大塚が、少しムッとした様子で返した。
反射的歓声が上がるより早く、ハナビが訊ねる。
「どうして私に感想を聞こうと思ったんですか?」
「どうしてって、それは、えぇと、き、聞いてるかどうかをたしかめようと思って……」
しどろもどろの回答に、温まりかけていた教室の空気が一気に冷えこむ。流れを失った湖に大きな波紋をつくってやろう。みんな凍えて死ねばいいんだ。
「課題の文章を読んで、私がどんな感想をもっても、授業とは関係ありませんよね? それとも、正しい感想のもちかたがあるんですか? なら、私はこう言います。『教科書に載ってる文章だからって、先生たちにの都合のいい思考の誘導装置として、使わないでください』」
最後のはユカポンが中学生のころに使ったという必殺フレーズだ。意味は分からない。
しかし、効果はテキメンだった。
――高宮の不興を買うのにも。
「さっきの、何?」
授業が終わり大塚が消えると、高宮が取り巻き二人と一緒に、ハナビの席を囲んだ。
嫌いなら来るなと思うと、見上げる目にもつい力が入った。
ガツン、と高宮が机を蹴った。
「ヒキニートが、何イキってんのかって、そう聞いてんの」
まだ中学生なんだし、ニートは余計でしょ。
ハナビは不快感をまるまる冷笑に変えて口を開いた。
「生徒が、教師に質問して、何が悪いワケ?」
「――ッ!」
高宮は目を吊りあげたかと思うと、次の瞬間、肩に拳を入れてきた。
突然ぶつけられた暴力に躰が強張る。メメント・モリでは、もっと危険な行為をしているはずなのに、反射だけはどうにもならない。
下っ腹の奥のほうで、粘ついた感情がじわりとにじみ出てきた。
恐怖だ。
無意識のうちに右手が腰の後ろに伸びた。コータからもらった警棒はない。手が空を切ると、茫漠とした不安が喉元までせり上がってきた。焦ってはいけないと学んでいても、それが膨らむのを抑えられない。
やっぱりまだ、学校に来るのなんて早かったんだ。
膨れあがる。加速する。頭の底のほうから、毒虫が顔をだす。嫌だ――。
ヴィィィィィム、と、鞄の中でスマホが唸った。
「悪いけど、スマホ、鳴ってるから」
喉から声を絞る。危ういところで戻ってこられたらしい。身内とユカポン、それにコータくらいしか登録されていないスマホだが、持ってきたのは正解だった。
「どうせ、なんかの更新でしょ? アンタの相手してあげてるの、優しい私くらいだし」
言いつつ高宮がまた机を蹴っ飛ばした。二度目。もう恐怖は感じなかった。
テツと同じだ。躰に落書きを増やし、大声をあげて脅しにかかる。手を出してきたなら、コータのように受け止めて返せばいいのだ。
ハナビは自ら机の脚を蹴った。
ガァン、と高宮が蹴ったときより大きな音が響いた。貴重な休み時間の喧騒が消え、奇異の視線がハナビたちに刺さる。
「私のことは放っといてくれていいから。面倒なんでしょ?」
そう言ってハナビは高宮には目もくれず鞄からスマホを取り出す。
『コータ:そういえば登校するって言ってましたよね?』
ハナビは出そうになった変な声を気合で飲み込み画面を叩いた。
『コータ:暇があったらでいいんですけど、同級生に、死を食らう電話って話について、聞いてもらえますか?』
「はぁ?」
コータの冗談はいつでも「はぁ?」ではあるが、今回ばかりは特に「はぁ?」だ。
でも『友達に』ではなく『同級生に』と書いてきたのは評価してあげよう。今はヒキニートかもしれないが、顧客の心を掴むのに長けた元・営業だ。
その営業努力に免じて協力してあげようじゃないか。
ハナビは営業先から友達にクラスチェンジするため、クソウザい高宮を呼び止めた。
「待った。高宮、だったっけ?」
わざと挑発を混ぜて。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます