大人のフリースクール7

 沼川鉄也――テツが、こちらを睨みつけていた。その手に握るメメント・モリ特製剣の切っ先が、剣道用の打ち込み台に接触して止まっている。

 逆立てた金髪に細い眉、耳に鼻にとピアスを増やし、左肩にトライバル模様の派手な刺青タトゥーを追加。メメント・モリに参加してから一月あまり、チンピラっぷりが加速している。

「大丈夫ですか? テツさん。すごい音がしましたけど」 

「うぉぉぉい、おっさぁぁぁん。トシ考えろや。なに手ぇ出そうとしてんだよ?」

 テツは不機嫌そうに眉を寄せて唇の片端を吊った。脅しのつもりなのか、首を小さく傾けたりもしている。正常な人間なら威圧感を覚えるのだろうが――コータに限っては別。鼻で小さく息をついただけだった。

 かつて営業で飛び込んだ先が、危険な自由業の方々のフロント企業だったこともあった。本職なら中身はともかく見た目は大人しいものだ。

 声色、口調、派手な演技を駆使して威嚇してくるテツは、本物にはほど遠い。それに、何度か組手でからんだが、防具のないところは決して打ってこなかった。剣道経験者のさががそうさせるのか、ニセモノゆえの臆病風か――いずれにしても、組手の相手としてはマジメだ。

 そう考えると、毎度タンクトップを着てきて刺青を誇示しようとする涙ぐましい努力は、むしろ微笑ましく思えてくる。恫喝にしたって、臆病がゆえの遠吠えでしかない。

 大人のフリースクールでは、臆病なチンピラもどきは庇護される側でしかないのだ。

「口説こうとしてたわけじゃないですよ。ちょっと俺が見た夢の話を――」

 そんな、臆病なチンピラもどきに、そう優しく告げようとすると、

 再び打音を響かせ、話を断ち切ってきた。

「そんな余裕ならさぁ……俺と活動、してくれねぇかぁ? おっさんよぉ」

 活動。すなわち、戦え、ということである。

 コータは(何イラついてんだよ面倒くせぇな)とか(嫌だねぇ男の嫉妬ってのは)とか、あるいは(言っても俺、三人にからかわれてるだけよ? 君もそんなん捨てて俺の擁護に回ってくれたまへよ)などと、口の中で呟いていた。

 正直にいえば、やりたくない。先ほどハナビと立ち合ったばかりで、しかも割と一方的にやられたばかりでもあって、腕やら足やらが痛んでいた。面倒なこと極まりない。

 けれど、

「オッサンじゃなくて、コータって呼びなよ。ルールでしょ?」

 自分を棚上げしハナビが珍しくも擁護してくれたので、立たざるをえなくなった。

「いいですよ。それじゃあ、活動しましょうか」

 まぁ、最年長だし、君らから見りゃオッサンだろうさ。

 苦笑交じりに足元の防具に手を伸ばす。すると間髪入れずに、

「いらねぇだろ、そんなもんは!」

 強気な怒声が飛んできた。

 メメント・モリでは、活動に際して、必ず防具をつける決まりになっている。ウレタンカバーで覆われているとはいえ、特製の剣は人を殺すのに十分な殺傷能力があるのだ。

 おそらくテツは、イサミン不在をいいことに、コータとの間で格付けマウンティングをしたいのだろう。防具不要の宣言はあくまで脅し。自尊心を満たすための方便でしかない。防具なしでやれば怪我は必至で、当たりどころが悪ければ死ぬ。マトモなら誰でも退く。すべて計算尽くの、ずる賢いやり口だ。

「じゃ、やりましょうか。防具なしですよね」

 しかしコータは意に介さない。未だに危機感を取り戻せずにいる。それに勝負を受けたらどうなるのかが気になって仕方がない。好奇心は猫を殺すというが、狙いが外れたとき臆病な犬はどうするのだろうか。

 と、テツの顔が強張った。足を止めるつもりはないらしい。

「上等じゃねぇか! ぶっ殺してやるよ!」

 吼えると同時に剣を振った。鋭い風切り音が鳴った。

 威嚇ばかりだと半ば呆れながら、コータも足元の剣を取る。

 この一月、毎日のように振ってきた得物だ。黒ウレタンで覆われたスチール製の芯棒は、長さ約六十センチ、重量カバー込で約一キロ。自分の特殊警棒よりやや長く、倍以上重い。

 当然、成人男性が本気で振れば、犠牲者はただではすまない。しかも暇にかまけて日の三分の一を自主練に費やしている。頭に当たれば、ほぼ確実に生死の境に立つ。

 しかし、まるで気にならない。

「お互い恨みっこなしってことでいいですよね?」

 痛いのは嫌いだけれど仕方ない。それくらいしか思うところがない。

 平然と歩きだすコータの手を、ユカポンが掴んだ。

「あ、あの、防具、つけない、と」

 その声は震え、顔も心なしか青ざめている。見れば、ハナビも、サッキーも、どう止めればいいのか分からないという顔をしていた。

 心配しすぎだろう。

 どのみちテツは本気で人を叩けるタイプの人間ではない。

 それに、仮にどちらかが死んだからといって、なんだというのか。

「俺が殺されちゃったら、スマホにはロックかかってないんで、それで」

 言ってコータはユカポンの手を引きはがす。ユカポンとサッキーが絶句し、ハナビが弾かれたように顔をあげた。先ほど聞かされた夢の話を思いだしたのだろうか。どうでもいい。

 ハナビが口が開いた。声はなく、ただ歯だけがカチカチと鳴った。

「テツさん」

 剣を振ったコータの声は、顔を合わせていなければ聞こえないほど小さい。

「あぁ!?」

 対し、テツは吼えた。コータの声をかき消すように。

 コータは剣を握る右手を担ぎ上げるように構え、左腕で顔半分を隠した。

「殺しちゃったら、ごめんなさいってことで」

「――っっっっ! ざけんなオッサン!」

 刹那、テツが床を蹴った。自分で殺すっつったのに何を怒ってんだと、コータが鋭く息を吐く。

 双方の体格に大きな差はない。腕はこちらのほうがやや長く、得物はテツのほうが十センチほど長い。彼我二メートル。問題は技術力の差だ。テツは腐っても剣道の経験者である。一メートル。対してこちらはメメント・モリで得た基礎的な技術しかない。

 肉薄。

 死んだらどうせ感じなくなる。生きてる内に痛みを味わっておこうじゃないか。

 テツが振り下ろした鉄棒が、コータの左前腕にめり込んだ。腕が押し込まれて鉄棒が左肩に食いつく。コータは左腕を力任せに払うと、そのまま伸ばす。

 掴んで殴る――はずだった。

 テツが素早く腕を引き、コータの左手は虚空を握った。すでにテツは二撃目の鉄棒を振り上げている。応じてこちらも剣を掲げる。同時、一歩踏み込む。

 怒りで血走ったテツの瞳と、冷めたコータの瞳が、一瞬交わる。

「オラァァァァァ!」

 怒号とともにテツが薙いだ。再びの左半身狙いだ。剣先が胴から斜め上へと軌跡を描く。その剣筋は剣道的な胴打ちではなく、頭を狙っていた。防ごうにもコータの左腕は一度目の打撃で下がり、受けられる状態になかった。

 来るぞ。

 コータは歯を食いしばった。衝突。押されて躰が傾いだ。幽かに悲鳴が聞こえた気がする。次の瞬間、足は床を強く踏みしめていた。

 まだ死んでいないし、意識もある。

 ならば。

 コータは痺れたままの左腕をさらに伸ばし、テツの襟ぐりを掴んだ。引く。引き寄せる。柄を握る右手に力を籠める。強く。強く。軋むほどに。そして、

『殺しちゃったら、ごめんなさいってことで』

 先ほど宣言したように、頭を砕くつもりで振り下ろす――。

「ハイそこまでぇ!」

 急に聞こえた終了の合図に、コータの剣が静止する。剣先はテツの眼前で止まっていた。

「ぁ、あぁぁ、ああぁぁ……」

 テツは腰が抜けてしまっているのか、襟を離すとズルズルとへたり込んでしまった。……考えてみたら、何も殺す必要はないのか。

 肩の力を抜いて息を吐く。どうやら、ガラにもなく興奮していたらしい。声のしたほうに顔を向けると、イサミンが柔和な笑みを浮かべていた。

「ダメでしょう、コータさん。防具なしでの立ち合いはルール違反ですよ? 前にも言いましたけどね、コータさんみたいな人にこそ、防具が必要なんです。まったく……恐れを知らないといいますか、躊躇がないといいますか……そんな調子じゃ、いつか本当に殺しちゃいますよ?」

 そう言って、ハハハ、と快活に笑った。その揺れる肩を越して、タケッチが覗き込んできた。

「すいません、長くなっちゃ――ってうわ! コータさん、血! 血ぃ出てますよ!」

「え?」

 鈍痛を主張する左のこめかみを撫でると、揃えた指先にぬるりと何かが絡みつく。付着しているのは真っ赤な粘液。血だ。

 体育館の静けさを切り裂くように、ひぃぁぁぁぁぁぁぁ、と奇妙な悲鳴が響いた。

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