大人のフリースクール3
額にうっすらと浮いた汗を拭いながら勲が皆に笑いかけた。
「と、まぁ、このように躰を動かすと、それだけで随分と心構えが変わるんですよ。もちろん危険がないわけじゃありません。カバーをしてても鉄の棒ですからね。ですが、それが攻撃性のコントロールにも繋がるわけです。それに皆さん、お越しいただいたということは、思うところがおありだったのでしょう。安心して下さい。こう言うと奇妙に聞こえるかも知れませんが、このスクールは、管理された攻撃性の発露を目指すのです」
そう言ってこちらを見つめる目は、まるで幽鬼のそれのように冷えていた。
視線のやりとりに気付いた鉄也が凶暴に笑む。
「いいね。俺、剣道やってたかんな。オッサンのことボコボコにしてやるよ」
「はぁ? あんたハナシ聞いてないの? だいたい、それじゃウチら不利じゃん。女と男じゃどうしようもないし、ボコってセラピー? とか、頭おかしいでしょ」
間髪入れずに毒づいた咲は、赤い髪をいらだたしげに掻きあげた。
委縮していた健も、由香里も、それに花火も、無言のまま首肯する。
皆の反応を予測していたかのように勲が緩やかに頷いた。
「皆さんには、まず戦う術を学んでいただこうと思っています。もちろん、安全第一ですよ? 溜め込んだものをコントロールできるようになったら、それから徐々に……多少は危ないこともしましょう。メメント・モリなんて仰々しい名前つけてますからね」
冗談めかした口調で言って、再び柔和な笑みを浮かべる。鉄棒をひゅんと振りぬき腰を下ろすと、特殊警棒を床に突きたて収納した。
「大人のフリースクールですからね。もし皆さんの都合がつくようでしたら、夏にはキャンプなんかもしましょうか。さて……ここまでで、何かご質問はありますか?」
投げかけられた問いに、公太を除く面々が互いの様子を窺い合う。
しかし、彼だけは動じていなかった。会の趣旨に興味を惹かれ始めていたのだ。
鉄棒で殴り合うのは予想の外だが、ときには荒療治も必要か。
そう思うくらいには、自らの異常性に悩んでいた。
公太がそれと気付いたのは中学生のころだ。はじまりは、クラスにひとりだけいた不良に恫喝されたこと。脅されていることが分からず、つまらない冗談として対応した。
その態度は不良の癇に障ったらしく、後になって仲間を連れてきた。恐怖した同級生たちが凍りつくなか、ひとりだけ皆が何に怯えているのか分からなかった。
そのときすでに、危機感なる
公太は特に抵抗することなく、また泣き喚くこともなく、淡々とボコボコにされた。当然のように殴った不良たちは停学となり、事件はそれで終わるはずだった。
一度失われた日常は二度と戻らない。
公太が自身の異常性に気付いたように、クラスメイトもまた気付いてしまった。
たとえ九割九分が正常でも、日々を共に過ごせば、異常な一分が積み重なっていく。小さな差異はビョーキに変わり、徐々に距離を置かれるようになる。ビョーキは成人しても治らなかったようで、自ら職を辞するに至った。
そして、今も彼を蝕んでいる。
気楽なニート生活に不安を感じられない。豊かな生活を送りたいわけでもない。そもそも、生き永らえている理由がない。痛いのは嫌だから死ぬなら楽な形がいい。
けれど。
能動的に死を選ぶほど生に困窮していていない。生意気な考えだと自嘲するくせに本能的なそれを払拭できない。とはいえ、さすがに金欠で餓死は辛そうだと、気づけば失業保険を申請し、
『もし、しばらく生活に余裕があるようでしたら、やりたい仕事を探すまでの間に、セラピーに通ってみるというのはいかがですか?』
担当者は性格検査の結果を見ながら、そう優しげに言った。
バカにするなと思った。さっさとやりたい仕事を見つけて二度と来るかと憤慨した。
しかし、生きようとしない人間にやりたいことなどない。その単純な事実に目を伏せたまま怠惰な日々を重ね、いよいよ失業保険の給付が始まろうかというとき、自分に言った。
いい加減に焦んねぇと、取り返しがつかなくなるぞ。
自宅ワンルームの郵便受けに名刺が入っていたのは、その翌日のことだ。なんとなくメメント・モリという名前に興味をひかれて来てみたが、ぴったりかもしれない。
「なんか面白そうですね」
だから、会の参加を躊躇わなかった。
その発言に触発されたか、健が小さく手を挙げる。
「あの……いいですか?」勲に促され、ぼそぼそと呟くように続けた。
「躰を動かすだけでセラピーになるなら別に棒で殴り合ったりしなくても……」
そう指摘された勲は神妙に首を縦に振った。
「分かります。ですが、大事なのは皆さんが恐怖への態度を見つけることなんです。死は受け入れるだけでなく与えることだってある。つまり、殺してしまうかもしれない。その恐怖も意識しないと、死の一面しか見ていないのと同じだと思いませんか? 両面を知るからこそ、生に充実感が生まれると思いませんか? それに……」
語尾を濁す勲に対し、健が食い気味に尋ねた。
「それに?」
「失敗したとき、多少なりとも物理的に痛い思いをしたほうが、真剣になれます。私は自衛隊に警備員にときてますからね。確信をもって、そう言えますよ」
その言葉を自身の経験になぞらえ公太も頷く。痛いのは嫌いだ。だが嫌いだからこそ、次は失敗を避けようとする。……もっとも、それができないから困っているのだが。
話をつまらさなそうに聞いていた咲が指輪だらけの手を小さく挙げた。
「ウチからも質問。この会って、いくら取るワケ?」
授業料、という意味だろう。
勲は忘れていたとばかりに両手を打った。
「それを忘れてました! 一番大事な話ですよね。失礼しました。えっと、まだ上手くいくかも分かってないので、お金を取りません! すごいでしょう?」
ひどく演技がかった調子で言って頬を緩めた。が、すぐに引き締める。
「ですが、せっかく護身術も教えるわけですから、できればメンバーの証として、皆さんには警棒を買っていただけないかと……」
顔とは裏腹に絶対に笑おうとしない瞳が、花火と健に向いた。
「思ってたんですけど、特殊警棒は未成年だと買えませんよね……」
二人の顔がさっと曇った。気持ちは分からないでもない。公太もいつまでも子ども扱いが嫌だったし、いつだって大人だと思われたかった。
だから、助け舟を出すことにした。
「二人とも、もう大人ですよ。もし、その特殊警棒ってのを買わなきゃダメって話だったら、俺が買って、二人に売ります。それじゃダメですかね?」
「えっ、アタシまだ――」
花火と健の本気かと言わんばかりの目がこちらに向いた。
公太は構わず続けた。
「それにほら、若い子にワルいこと教えるのも大人の務めですし」
言ってニヤリと笑ってみせる。悪さを教わったことはないが、教える側になるのは、やぶさかかではない。
公太が若い二人に手を差し伸べたからか、皆の間に、すでに妙な連帯感が生まれつつあった。
勲はしばし虚空を睨み、耳につけた器具を数度叩いた。
「それでは、そのようにしましょう。ただし違法行為には違いないので、皆さんも他言は無用でお願いします。よろしいですね?」
違法という単語が緊張感を生み、重苦しい沈黙が降りる。
「それともうひとつ」勲は指を一本立てた。「お互いに、ニックネームをつけましょうか。以後、この会ではニックネームで呼び合うこととしたいのです」
その奇妙な宣言によって、途端に場の空気が弛緩する。
まさか、この年になってあだ名で呼び合うことになるとは。
しかもコータなどという、あだ名なのかどうかも分からない名前で呼ばれるとは。
ハムタに比べれば数段マシかもしれないが、危機感を得るための代償にしては、ひどく滑稽に思えた。
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