大人のフリースクール2
公太が少女に笑われながら体育館に辿り着くと、すでに参加者らしき男女が集まっていた。若い男女四人が一列に並んで座っており、その前で中年男が胡坐をかいている。大人のフリースクールとやらの代表だろうか。
男は年の割にがっしりとした体格をしていて、耳に補聴器と思しき肌色の機器をかけていた。
「あなたは……参加希望の人ですよね?」
中年男は公太に気付き、柔和な笑みを浮かべた。
が、続いて入ってきた少女の姿に、ぴくんと片眉を跳ねた。
「えぇと……そちらの子は?」
「あ。すぐそこで知り合いまして。興味があるらしいので、一緒に聞いてもいいですか?」
そう答えると、少女はすかさず公太の太ももを叩いた。興味はない設定らしい。
中年男は集まっていた男女を一瞥し、「いいですよ」と、頷いた。
「マジかよ」一番奥に座っていた金髪の若い男が苛立たしげに言った。「大人のフリースクールつってんのにガキも一緒にやんの?」
その鋭い声と、キツい目つきと、そして黒いタンクトップから伸びる右肩に彫られた錦鯉の刺青が、少女を含む全員を威圧しようとしていた。
しかし、少女は怯むどころかむしろ、
「うわ。いまどき金魚の和彫りとか。ダッサ」
挑発した。周囲の大人が止めてくれると期待しているのだろうか。あるいは、先ほど言っていたように本当に誰かに殺してもらいたいのか。どちらにしても、今この場で金髪男が手を出すはずもない。
意外と狡猾な子かもと感心しつつ、公太は青筋立てる金髪男をどうなだめるか思案する。
いまどき和彫が珍しいのは事実だし、素敵な鯉ですねなどと褒めても収まるまい。ならばといって、子どもの言うことだからと返せば今度は少女が怒るだろう。少なくとも、若き日の公太だったら、反発して状況をよりややこしくする。
さてどうしたもんかと唸っていると、金髪男のすぐ横で声が上がった。
「どうでもいいけどさ。ウチ、あんま遅くなられると困んだよね。早く座ってくんない?」
片膝を立てた赤髪の女が厳しい銀色をはめた指で、もうひとりの青年との間を示した。
公渡りに船と手刀を切って、二人の間に腰を下ろす。何も言わずについてきた少女が青年との間に残るわずかな空間を埋めた。
可哀そうに、物静かな雰囲気の青年は怯えきっているようだった。その向こうで、集まっている面々の中では一番無害そうな若い女が、ほっと安堵の息をついた。未だ金髪男は怒り心頭といった様子で、声をかければ爆発しそうな――、
パン、と乾いた音がした。
正面にいた中年男が手を打ち合わせたのだ。
「さて。それじゃ皆さん、まずは自己紹介しましょうか」言いつつ金髪男に手を差し向ける。「フルネームと年齢と……ご職業もお願いします」
「はぁ? なんで俺から? だいたい会の説明がまだ――」
「まずはお互いに自己紹介してからです。恥ずかしいようなら、私からにしましょう」
崩していた膝を正した中年男は、両手指を前に揃えて深く頭を下げた。
「
勲は補聴器らしき器具を指で叩いた。
「これで引退です。ただ、まだ老後には早いなぁ、と。それでこのスクールを作りました」
言ってにっこり柔和な笑みを浮かべ、あらためて金髪男に手を差し向けた。
チッ、と舌打ちして、金髪男は吐き捨てるように言った。
「
年下、しかもフリーターかと、公太は自身も無職なのは棚上げして鼻で息をつく。
横目でそれを見ていた赤髪の女が、吹き出すように笑う。
「
派手な見た目に居酒屋バイト、看護師志望とは一息ではつながらなそうだ。人は見かけによらないものだと感心しながら口を開く。
「高柳公太です。今年で二十五になります。最近、営業を辞めたばっかりです」
「なんだよ。オッサンでニートかよ」
挑発するかのような声は無視する。フリーターもニートもさして違いはない。それに大人のフリースクールなんてものに参加しようとしている
「……?」
ふいの奇妙な静寂に首を巡らす。次は傍らの少女のはずだが、顔を伏せたままブツブツと呟くばかりだ。なんとはなしに肩をつつくと「ひぁっ」と可愛らしい悲鳴をあげた。
「えと、その……」コクリと、細い喉が動いた。「さ、
鉄也にみせた威勢はどこへやら。弱々しく儚げな自己紹介だった。その少女らしい初々しい挨拶に感化されたのか、隣の青年も深呼吸をはじめる。
「
マジかよ。と、公太は口の中でつぶやいた。
線が細く落ち着きのある青年は、十七にしては老け顔すぎた。これといって特徴のある顔ではないが二十過ぎでも通用しそうだ。堂々とするつもりで最後に噛むあたり年齢詐称ではなさそうだが、たどたどしさを強調するためにわざと噛むというテクニックもないではない。
と、ツッコミでも入れようというのか鉄也が身を乗り出す。
しかし、揶揄する言葉が出るより早く、奥の黒髪の女が、すぅ、と息を吸い込んだ。
「
たしか? 今度は首を傾げる。
二十三で学生ならありうる話か。留年か浪人か、歳を誤魔化したいときもあるだろう。そうでなくても、公太自身、成人式を境に自分の歳を忘れるときがある。
一通り自己紹介が終わったのを見計らい、公太は勲に訊ねた。
「それで、まだこの大人のフリースクール? が、何をしようとしてるのか、教えてもらってないんですけど……これって、どんなことをやるんですか?」
「はい。それじゃあ、今から説明しますね」
勲は背後から大きな黒い袋と竹刀袋のようなものを取り出し、横手に置いた。
「まず、この会の趣旨についてですが、皆さんお持ちの名刺に書いてある通り、まぁ大人のフリースクールのわけですが」
要領を得ない説明に、全員が呆けたような息をついた。
相変わらず柔和な笑顔を浮かべたまま、勲が懐から名刺を出した。自宅郵便受けにも入っていた、緑色の長っ細い名刺だ。
「ヒントは会の名前にあります。『メメント・モリ』の意味は、皆さん知っていますか?」
「――死を忘れるな」答えるタイミングを待っていたかのように健が答えた。「解釈としてはふたつあります。どうせ死ぬのだから生に固着するなという考え方と、」
「そうです。もうひとつは、いつ死ぬか分からないから今を楽しめ、という解釈」
「……それと、この会の目的と、何か関係するんですか?」
「まぁ、そう慌てないでください。いまから説明しますから」
言いつつ勲は竹刀袋を開いた。やや太い柄を持つ、長さ五十センチほどの黒いウレタンスチロールが巻かれた棒だ。スポーツチャンバラ用のエアーソフト剣のようにも見える。
だが、床に置かれたとき、玩具にはあるまじき鈍い音がした。
「大人のフリースクールですからね。大人は清濁併せ呑むということで、どちらの解釈も同時に採用します。生への執着を捨てるというのは武道でも重要な考え方ですし、単純に今を楽しむというのも大事でしょう」
「……何が言いてぇのかわかんねぇんだけど? ジイサン?」と鉄也。
「落ち着いてください、鉄也さん。噛みついてばかりいると却って弱く見えますよ?」
「あン?」
殺気立った視線を受け流した勲は、相変わらず柔和な笑顔のままエアーソフト剣の刀身を掴み、一気に引き抜ぬく。カバーの下にあったのは銀色に輝く鉄棒だ。
「これで打ち合うことで胸の奥につかえたものを解消しようというんですね」
にわかに皆がざわつく。が、もうひとつの大きな袋から防具が出ててきたため、場はすぐに落ち着きを取り戻した。
「もちろんフリースクールですから、安全面には配慮しますよ。この防具をつけてもらって安全に躰を動かそうというわけです。何をやるか、だいたい掴んで頂けましたか?」
平然とそう言い、皆を見回す。その目は冗談を言っているようには見えなかった。
「まぁ、ちょっと変わった
腰を上げた勲は右手を後ろに回して、握り拳から少しはみでるくらいの黒い金属棒を取りだした。鋭く振ると、金属質な擦過音を立てながら伸びた。
長さ二十一インチの三段式特殊警棒だ。玩具のような柔らかい鉄ではなく、また使い捨てレベルのアルミでもなく、特殊炭素鋼でつくられた本格的な武器だ。
勲は、シッ、と短く息を吐き、両手の棒を交互に振り回し始めた。力強く、滑らかに。回したか思うとピタリと止めて、次の瞬間、鋭い風切り音を立てる。鉄棒はまるで意志を持っているかのように舞い、銀色の残像が幾重にも重なっていく。
勲の手は止まらない。片手が攻撃する間に、もう一方は次の打撃へ備えている。一切の間断なく、左右に、上下に、縦横無尽に鉄棒が走る。
その攻撃的な音は体育館の雑音を打ち消し、静寂を生んだ。
皆が、その異様な光景に魅せられていた。と、
「ケヤアアアアアアアアア!」
獣のような咆哮をあげ、勲が一際鋭く鉄棒を振った。
そこに公太は、人が叩き伏せられる様を幻視した。
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