風希を切り捨てて、繰り上がった風希(三)
ツカサは生まれつき不可思議な能力を持ち合わせていた。
念力、降霊、呪術など。誰彼に教えられたわけでもないのに、彼には異能が使えた。
それゆえに、このご時世にオカルトじみた彼は、周りからは厄介払いされた。
中学に入り、ツカサが二年になったとき、伊原木風希と出会う。
彼女は分け隔てなく人に接してくる子だった。それゆえ同級生からは煙たがられる存在だった。
気色悪いとされるツカサに、風希は普通に接してくれた。
鈍らないよう密かに行なっていた念力を、風希に見られたのがその瞬間。
自分に対し嫌な噂が立っている時分だったから、異能を使う現場を押さえられてツカサはドギマギした。
けれど風希は凄いねと言って、明るく振る舞った。いや、振る舞っているどころか真心に明るい気持ちで、ツカサのことを凄いねと言ってくれる。その様子にツカサは感動を覚えた。
彼女との友人としての付き合いが始まり、風希は自らが抱える弱さを暴露する。その弱さゆえに自分が他人に迷惑をかけていると思っていたようだ。
「私から弱さを取り去って欲しいの」と懇願される。ツカサだけが頼りだと風希は言う。
こうして接してくれていたツカサには、風希に対する恩情があった。
それに応えるために、ツカサは紙人形を作った。
それは風希から、弱さという影を取り去る儀式だった。
紙人形には二層紙と呼ばれる厚めの和紙を使った。
掛け軸などに使われる紙である。あい剥ぎという工程を経ることで、この一枚の二層紙は、二枚に分けることができる。
ツカサは紙人形を風希に見立てて作った。その紙人形をあい剥ぎして二枚にした。
そして、彼女の弱さである影をなす、もう一枚のほうをその場で捨てた。ただ、その一枚がのちにドッペルゲンガーの風希になるとツカサは考えていなかったのだが。
儀式は成功した、形だけが。
次の日から風希は学校に来なくなる。
現実をわきまえ、場の空気を鋭く察知する。異常なまでの強みを手に入れた。
その強さをみだりに利用し、不良仲間と付き合うようになった。
以降、交流も途絶える。卒業して今日にいたるまで彼女とは会えずじまいだった。
結果を見れば儀式は失敗したのだ。
「長話になって済まなかった」
ツカサは目を伏せる。
先と変わらず彼の手は、風希の紙人形とライターを握る。
ドッペルゲンガーの風希は悲しそうなものを見るような目でツカサを見つめていた。
「俺は儀式を失敗させて、君たちに多大な迷惑をかけた。その責任を取らなくてはならない」
「だから、風希を消すの?」
「波来くんと言ったね、君。安心しろ。いま君の傍らにいる風希は消すことはしない。俺がそこの彼女を消す手立ては、いま知るところではない」
なぜか口元がにやにやしている。有頂天になって高みから見下ろしているつもりだろうか。波来にとって一番気に入らないところはそれである。
「私を消して!」
ドッペルゲンガーの風希が一歩出て、ツカサに訴える。
予想外の応答に、ツカサの瞳孔が一瞬だけ縮こまる。
「冗談言うな。俺が好きだったのは、君のそういうところだ。このゴミムシと比べれば何百倍も生きる価値が君にはある」
背後を一回だけ見て、ゴミムシと喩えられた風希を、一瞥するのみに留める。
「だからっ!」
「そう、だから君はそうやって、自分を消してくれと訴えるほど優しさがあるのだよ。なんて残酷なんだろうか。俺自身だって自分の罪深さ、尋常じゃないのだよ」
哀れなのはこのツカサだと決まっているのに。逆に、哀れむ目でドッペルゲンガーの風希と波来を見る。それが波来には悔しかった。
風希からの、怒りも恨みも憎しみも、そして哀れみも。ツカサは決して本気に受け取らず、ただ冷静に受け流すのみ。その冷静さすらも不気味な心地がする。
「終わりだ」
ライターの火をつける。紙人形を握る手からライターまで優に三十センチ離れている。
だがそんな距離はあるもないも同じだ。その凶器を奪うための猶予時間は一秒もない。
「この弱者にはとっとと消えてもらおう」
ライターの火が揺らめく。引きつけられるよう紙人形にツカサの手が近くなる。
「いまだ! 桔実ちゃん!」
ツカサの後ろ、女子トイレから、バケツを持った桔実が現れる。
水浸しの音を立てた瞬間、風希当人が頭からずぶ濡れになった。
清掃用具のロッカーから拝借したバケツ、そこにトイレの流し台の水を汲み、桔実が一杯の水を風希に被せたのだ。
入り組んだカラオケボックスの店内。桔実の背後には一本の横道があった。桔実は店内構造を利用し、風希当人の側まで素早く回り込んだのだ。
ライターの灯火が消え、煙だけがくすぶった。
紙人形が濡れていた。
波来は察していた。紙人形に手をかければ、相手も同じようになる。
その逆も同じ。
相手に水をかければ、紙人形も濡れる。波来はそう踏んでいたのだ。
ライターの火が消えたその隙を逃さない。
波来はその場から彼の眼前まで肉薄し、ツカサの顎先に向けて拳をぶつけた。
紙人形が手から落ちる。
その途端に不良どもがツカサを押さえ込みに入った。
動けないでいるツカサから離れ、波来は彼の落とした紙人形を奪った。
「き、貴様らぁ!」
電気が走るような音を立てる。
「あちいっ!」
「なんだっ!」
妖術で電気でも起こしたのか、明らかに痛覚で歪んだ顔をし、不良の手が勝手に離れる。その隙、ツカサは不良どもの腕を振りほどき、立ち上がりざまに不良どもを熨すように倒した。
何が起こったかはわからない。だが濡れた紙人形を持ったまま波来にツカサが肉薄する。絶対にそれを手離さないと見ている。
「波来くん、守るとか抵抗するとか。その行動は君のためにはならない。君は絶対に後悔する」
「僕もいま何をしているのかはっきり言えばわかっていない。けれど、僕はこの行動が正しいと信じている」
「それならば仕方ない。後悔しても俺は責任を取らない」
そして、水浸しの床の上で、濡れネズミになって茫然とした風希を睥睨する。
「よかったな消えなくて……せいぜい苦しみ続けろ、次に俺が現れる前に」
そう言いながら、ツカサはこの廊下を走り抜けて退散した。
安堵の息を一堂にして漏らす。
呼吸の音を一番響かせたのは、風希当人のほうだろう。
濡れて哀れな姿になった彼女を、腫れ物に触るような目で皆が見る。
そんな空気も読めず、波来は紙人形を持ったまま近づく。
「な、何なの?」
「別に、特別何もないよ」
髪を梳くしか役に立たない波来の指が、ツカサの堅い顎を殴った。まだ波来自身信じ切れていない。そんな優しい指に風希の紙人形が収まっていた。
襲いかかられても、死んでも離すまいと誓っていた。
風希の髪から雫が床を打つ。見上げる顔もびっしょりだった。睫毛を伝って零れる水滴は果たして水なのかは疑問だけれど。
「それを使って、私を殺すつもり?」
「そんなことしないよ」
まなじりを引き攣らせ、風希の目が真横に伸びる。波来は安穏に喋るだけだった。風希の唇に力が入ってるのが、傍目からでもわかるのに。
波来にとって風希は、頭を押さえつけ、殴ってやりたいほどの女の子だった。
それくらい、この風希が憎たらしいといつもいつも思えたのに。
だけど、いざ誰とも知れぬ奴に消されると知ると、波来は放っておけなくて。
やらねばならないと思った。
「私を殺しもしないなら、脅すつもり?」
「風希はそんなことを疑うような人間じゃない。僕の夢を壊さないで」
波来が怒鳴りつけて風希は、瞼が垂直にひしゃげ、強気の風希らしからぬ弱い一面を晒す。
「……は、はぁ?」
座り込んだままの彼女が、唖然とした顔で波来を見る。
「手を出して、風希」
波来の手はぎくしゃくとし、力も入らない。殴るとき握りしめ過ぎたせいで、感覚がない。おそらく指に内出血はしてる。
「え……? 手を出せ?」
「言われた通りに」と叫んで、風希は大人しく言う通りにした。
伸ばされた手に、波来は両掌でその手を包み込む。彼女の手は水で冷たく、手に触れてはじめて震えていると気づいた。
掌をふわっと退け、風希の濡れた手の上に、紙人形が載っていた。
「大切に持っておいてよ」
にべもなく眉間に鋭い皺を刻み、いい感じに終始していたこの空気をぶち壊す。
「……なんで虐げられてるあなたが、私に親切にするのよ」
「女の子が困っていたら助けるのが男の子だよ」
それは単純で幼稚な道理だった。誰が聞いても流行にすら乗れず、格好のつかない言葉だ。波来以外はそのことをきっと踏まえている。
「ふざけないで、身の程を知りなさい。私はあなたより立場が上なのよ」
ふざけた道理を嘲笑う顔をして、「女の子が困ってる? はぁ、私困ってなんかないわよ。付き合わされて迷惑よ」と無理強いする彼女に、誰も助け船を出せはしない。
「そういうことをまだ思ってるんだね、別に関係なんてないけど」
「関係あるわよ!」
空気が張り裂けそうなほど叫ぶ。彼女の頬は、血が出そうなほど赤かった。恥じらいではない。これはきっと辱めを受けたときに晒す顔だ。
「関係ないよ。僕は風希が好きだよ」
「私は嫌いよ」
叫びすぎたせいで、後から彼女は何度も咳き込んだ。
背後にいるもう一人の風希を上目に彼女は見る。
「ははっ、あんな風にかよわいもう一人の私のどこが好きなの?」
ドッペルゲンガーの風希をにらみつけながら、風希は床を思い切り拳で叩きつける。
「風希の悪口を言うな」
「うるさい、風希は私よ!」
「じゃあ自分を悪く言うな! 風希!」
「……」
「僕のことはバカにしてもいいけど、君自身……風希の悪口を一切言わないでくれ。さもないと僕は君を殴って、最低の男にならないといけない」
殴りたいほど気丈さを張ってるだろう。皮肉にも殴りたいのは波来のほうだ。だが、背後で心配そうに見ている風希のためを思って、彼は手を決して出さない。
「知らないわよ、そんなこと」
「わかれ!」と波来は乱暴に言った。説教をするつもりでもないし、そんなことをするほど器が大きいわけでもない。
「僕は風希のことが大好きなんだ、二度と風希の悪口を言うな」
「うるさいっ!」
ここから消え失せろと言わんばかりの風希当人の叫びに波来は何も言えず、「行こう……」と言って桔実と風希を促した。
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