風希を切り捨てて、繰り上がった風希(二)

「ちょっと準備が必要になったが、まぁいい」

 彼は紙を取り出した。ハサミで切って作った紙人形のようだ。

 遠近法のような密閉空間をなす廊下に、威圧的な不良二人が佇んでいる。

 その圧迫感を押し戻すように、ツカサは不良の前に対峙する。

「おうおう、そんなおもちゃ持ってどうするんだ?」

「君の腕をねじるのだよ」

「その細い両手で精一杯の抵抗を見せるのか?」

「両手で? いいや……指二本で十分だよ、君」

 紙人形を見せながら、その人形の腕を中指と親指で掴んで、後ろ手に持っていった。

「ぐ、ぐぎゃっ!」

 瞬間、不良の一人の腕が後ろに手がねじれる。

「肩をはずすこともできるが?」

 いったい何が起こっているのか心に不和が生じるばかり。唖然として波来は注視に努めるだけで必死だった。

 もう一人不良にいたっては何ひとつ肉体的なダメージはない。けれど、目の当たりにして精神的に気圧されてるようだ。

「お、お通りください……」

 指を紙人形から離し、そのまま二人の間を通り過ぎる。

 波来たちもそれに続いて、不良たちが開けた道を通った。

 この人が桔実の言うツカサさんだろう。すぐに波来は理解した。

 そして、ツカサの足運びに追いつく。

「風希くんにはこの世にいる価値がある」

 ドッペルゲンガーを一瞥してから、ツカサは風希当人のもとへと走っていく。

 相手を潰したが、感謝もすべきところもない。けれど、彼の行動を押し進めてはいけない。三人は彼の駆け足についていった。

「君はいったい何者なの!」

 波来の大声が、ツカサを振り向かせた。

「風希くんを助けに来たのだよ」

「でも、風希を消すって」

「ああ、そうさ。だから一方を生かすために、俺は間引きをするのだよ」

 何を言っているのかさっぱりだ。

「君の名を後ほど聞いておこう、積もる話はそのときに……」


「うう、やっぱり二杯はきつかったわね……」

 軽い気持ちで飲む酒に慣れていないのか。アルコールの匂いを漂わせ、風希がトイレから出てくる。風希の弱みを見せないための措置として不良が道を塞いでいたのだろう。

 だがその弱い彼女に向かって斬り込んでいくように迫った。

 突然の来襲に風希は背中が跳ねて、彼を凝視した。

「あなた、誰?」

「覚えていないのも無理はない」

「何よ? あなた急に……」

 さっきとは別の紙人形を彼女の目前に晒す。

「えっ……」

「君が忘れた契約を、いま蘇らせよう」

 風希本人の顔が青ざめてきた。それはきっとアルコールのせいではない。

 そして、焦点の定まらない目になり、後ずさりして軽く尻餅をつく。

 何のショックでも受けているのか。目線がふとこちら側に向かう。

 何をか状況を知らずこちらに佇む風希、ドッペルゲンガーに目を向けて風希は「ひっ」と悲鳴をあげる。

「伊原木風希、俺は君の形代を作った」

 紙人形を前に出して、風希は酷く狼狽する。彼女の手と足ががくがくと震えた。

「君の形代としてこの紙人形を作った。そしてその紙人形をあい剥ぎして二枚にし、一枚を捨てた」

 そして捨てられずに残した風希が、いま腰が抜けてツカサの前で動けないでいる彼女だ、そうつらつらと述べた。

「やめて……私を……」

「ほう、思い出したようだね」

 リノリウムの床から動けないでいる風希は、ただただ震えていた。

「君はかつて弱かった。弱い自分を捨てて強い自分になる。そのために弱い自分自身である彼女を捨てた」

 刹那、ツカサはドッペルゲンガーの風希をちらりと見た。

「君は強くなった、だが道を踏み外したがゆえに弱くなった」

「好き勝手生きたっていいじゃないの!」

「黙れ。だから君は弱い。夢と理想を持つ強さを持つ彼女よりも、現実にしがみつき常識に囚われたお前は圧倒的に弱者だ!」

 ドッペルゲンガーと本物を比較する目つきをするツカサ、彼は明らかに本物を安く値踏みしていた。

「やめろ!」

 叫び声をあげたのは波来だった。

「なんだね?」

 紙人形を二本指を持ったままのツカサが振り向き、波来はツカサと相対する。

「傍観者が横槍入れるのは悪いし、僕にはさっぱりわからないけど、風希をいじめるのはやめろ!」

 腰が抜けたまま壁にもたれた風希。涙をせき止めて、かろうじて潤んだ程度に留めている。そんな瞳で本物の風希は波来を見る。

「な、なに? 何を言ってるの! あなたはいじめられる側じゃないの。なんでこの期に及んで、私の前にしゃしゃり出てくるのよ!」

「黙れ、風希! いじめられてるかどうかなんて、いまは何の関係もない。僕は風希が好きだから」

 それはドッペルゲンガーがのほうが好きとか、本物のほうが好きとか、そんな二者選択的なニュアンスなど関係なかった。

 波来は風希のことが好きだった。

「弱いから消すとか、そんな弱い者いじめを僕は許さない! その紙人形、渡してもらうよ!」

「ふん、断る」

 やはりツカサはその言葉に耳を傾けない。

「温情のつもりだった。俺も納得のいくように、わざわざ彼女の目の前で形代を見せ、最後の濃密な時間をゆっくり味あわせてやるつもりだったが。いや、やむを得ん。いますぐ消してやる」

 そう言いながら、ツカサはライターを取り出し、紙人形に宛がった。

 ツカサは、妖術なのか魔術なのか、手品なのかトリックなのか、よくわからない手で紙人形を利用し危害を加える。先ほど拝見したよう、波来も理解はしている。

 彼が風希のそばに接近を試みる際に落としたのだろうか、紙人形がリノリウムの床に落ちていた。

 先ほど不良をねじふせるために使ったものだった。

「うぬぬ……」

 後ろを見ると先ほどの不良が拳をあげていた。

「やめるです」

 桔実が不良の裾を引っ張る。

「ハチさんが敵う相手じゃないってさっきわかっていたですよね?」

「しかし、このままじゃ姉さんが」

 ハチと呼ばれた不良は前へと出ようとする。しかし桔実が無理強いで裾を引っ張るものだから、彼の服に皺が寄っていた。そんなこと気にしている場合ではないのに。

 ため息を吐いて、足下に落ちた紙人形を見やる。

 そこで波来が気づく。

 紙人形の腰周りに皺ができてくる。

「離せ、キッちん」

「嫌です」

 桔実が服をきつく引っ張る衣擦れの音を立てるたびに、紙人形の腰周りに皺が寄っていく。

 もしかすると。

 波来は両腕を左右に広げて、後ずさった。

「君は物わかりがいいな」

 ふっ、と笑いながらツカサはライターを離した。

「敵前逃亡するですか! 波来くん」

「桔実ちゃん」

 耳打ちして波来は桔実にあることを伝える。

 聞くなり桔実はそのまま下がって、この場からいなくなった。

 ドッペルゲンガーの風希は悲しそうな目でこの状況を見る。自分が何者ではないかよくわかっていない状況だ。

「話を聞かせてよ、これはどういったことなの? もう最後だ、僕らはそれを聞くだけの時間もあるし。ツカサ、君にはそれを説明する義理がある」

「であるな、僕も少々慌てていた。納得すべきは風希だけでなく、ここにいる全員。そして」

 ツカサの目がドッペルゲンガーに向く。

「君自身のためにもね、たぶん君は何も知らないのだから」

 表情が硬いまま、この風希は彼の顔色を窺う。

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