風希がここにいても、嫌いではない風希

 波来は、風希本人に好意を伝え、交際を求めた。

 本人は拒絶したし、この風希の偽物が波来を好きになるいわれがわからなかった。

 たとえ寂しかったにせよ、このドッペルゲンガーと言う風希が波来と友達から交際を始めた。

 この彼女も波来のことが大好きとまでは言及はできないけど、控えめに言っても波来がこの風希と付き合うに相応しい魅力があることは言える。

 寂しいから付き合うという消極的な付き合いは本来難しいこと。自称ドッペルゲンガーは波来のことを生理的に受け付けていない様子がないのは明らか。彼には付き合うに相応しい魅力があることは明らか。

「いつも傍目から見てたよ、風希のことを見ているあなたの姿を後ろから見ていた」

 何それ。波来は彼女の言葉で寒気が生じる。口が震えかけた。

「ずっと、ずっと見てた。風希を見てるあなたを私は始終見てた」

 じっと風希のことを見つめていたところを、別の風希によって見られていたという感覚に波来はぞっとする。複雑な気分を抱えて、波来は頭を抱える。足下に敷き詰められた石のタイルを何気もなしに見つめた。何気もなしとも言うのも嘘だ。不躾に言うと、いま波来が彼女の顔を見たくなかったからだ。

「ごめんなさい、やっぱり迷惑だよね私」

「いや、気にしないで。悪いのは自分だから」

 そう言って、一呼吸ばかり間が空き、それから彼女の口が開く。

「私と波来くんとじゃ、釣り合いが取れないよ」

 いつか本当の風希が言ったことをこの風希ですらも復唱するのか。そう再び言うのだ。けれど、それはまったく同じ意味でなくて……。

「波来くんは私と付き合うにはもったいないくらいの男の子だよ」

 彼女のほうが波来の人間性よりも低いと、自らが卑下してきた。

 その謙虚さが身に染みて、波来は手のひらが暖かくなる。

「なんで?」

 本物の風希では絶対に口にはしない言葉だった。

 どうしてこの自称ドッペルゲンガーはいともそんなことを安易に言えるのか、逆に不安になる。

「だって、波来くんは優柔不断だもの」

 グサッと傷ついた。

「よくそんなことが言えるね、酷いよ」

「え、『優柔不断』って酷いの? 褒めてるんだよ?」

 いったい何を申して。

「優柔不断って、思慮深いってことだよ? よく考えて行動する波来くんを、私はいつも見てた」

「優柔不断」とは、考えすぎてなかなか行動に移せないっていうのが本義だと波来は知っている。だがそういう捉え方もできるのか。言葉の選択がとても悪いけど。

「だから本物の風希に、付き合ってくださいって言うのに、時間がかかったんでしょ? 波来くん」

 結果的に大失敗して、窮地に追い詰められたのだが。波来の思考は絡まった紐みたく、容易くほぐすことは不可能だった。

「他に僕の好きなところは?」

「四面楚歌で人の手を借りずいつも頑張っていて、浮世離れで注目人気の的になっていて……」

 そのふたつも本来ならネガティブの言葉だと知ってか知らずか。

 けれど、それはおそらくは、彼女も波来と同じで、浮いた存在なのだろう。

「私は、波来くんの友達だから。決して一人で頑張らせない」

「風希?」

「私と二人で頑張ろう。ううん、波来くんの一部に私もなりたいの!」

 さっきは泣きそうになっていた風希の顔が真面目な顔になり、常に真面目な顔つきをしている波来が泣き顔になりそうだった。

「波来くんがいつも風希を見てくれていたように、もし波来くんが困ったときには私は波来くんのところまで行くよ!」

 心強いけど、言い方が不器用で怖い。まるでこの風希が彼を追いかけているみたく思える。

「私はドッペルゲンガーだから」

 ドッペルゲンガー。ドッペルは「二重」で、ゲンガーは「歩く者」といった意味だ。

 波来はドッペルゲンガーの意味を知っていた。記憶は曖昧だが、たぶんラノベから仕入れた知識だろう。

「その顔、まだ信じてないでしょ?」

 横から人差し指を差して、彼女は問いかける。はっきり言えば、まだ信じられない気持ちだ。この現象には、何かしらのトリックがあるに違いないと波来は思う。

「いいよ、波来くんは信じなくても」

 意外な言葉を返してくるものだ。波来は無言で顔をあげ、この風希に顔を合わせる。

「さしあたって、私がドッペルゲンガーであることと、私が波来くんのことが好きだってことについて言えば、このふたつには何ひとつ関連性がないもの」

 それもそうだ。疑わなくてはならない、そんな道理はなくていいのだ。そのことに波来もはじめて気づけた。

 ただ、本物の風希を嫌っている上に恨まれて酷い仕打ちを受けている建前上、このドッペルゲンガー・風希にはそうべたべたとするのも躊躇する。

「僕は風希当人が嫌いになったんだよ。いまも君を見ているだけで、風希の理不尽な怒り顔が宙に浮かんで見えて、僕はとうてい好きという気持ちまで持っていけそうにないんだ」

「わかるよ。……ごめんなさい」

「風希本人のことを君が代わりに謝っても、僕は許す気になれない」

「ううん、そういう話じゃなくて。私の非を謝りたいの」

 ん? と言ってから波来は瞬きが多くなった風希の目を見つめる。

「私、波来くんが本物の風希に嫌われてよかった……そう思ってしまったの。ごめんなさい」

「風希……」

「嫌われてよかったって思ってる私はとても酷い人間だって思う。波来くんを好きになれる、両思いでなくても接点だけは持てるって思っちゃったの。だからもう一度言う、私は本物の風希に嫌われてとても良かったって思ってる。本当にごめんなさい」

 泣きそうだった顔は、本当に泣き顔に変わってしまった。大粒の涙が零れてくる。

「ごめんなさい……波来くん」

「ごめん、僕は……」

「ごめんなさい、ごめんなさい」

 互いに謝る応酬に気まずい雰囲気が払拭できない。

 このままじゃオウム返しに、謝罪のラリーをするばかりだ。

「ありがとう」

「え?」

 波来は笑顔を見せて、俯かせていた彼女の顔をこちら波来のほうに振り向かせた。

「君に真心があるってわかった」

 いままで勘違いをしていた。ドッペルゲンガーに感情なんてありはしないんじゃないかと。

 幽霊も宇宙人も妖怪も、それは人間味とは無関係なものと思っていた。機械的な反応しか返さない所詮想像の産物さ、そんな偏見を波来は持っていた。これはきっと他人にも同じことが言えるだろう。

「まぁ最初から恋人になろうなんて思わないよ。でも昨日も言ったけど友達から」

「あ……、うんっ!」

 泣いたカラスが笑って、風希が首を大きく前へ倒した。それから「ねえ、波来くん」と聞いてくる。

「波来くんは、どうして風希を好きになったの?」

 それを聞いて尻込みして「え、それは」と波来は言い渋る。「私はそれが一番聞きたい」とこの風希は興味津々だった。

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