第3話 それでも僕は悪くない
こんな時間に尋ねてくる人に心当たりのない僕は、チャイムの音に思わず眉を上げた。
「彼女さんですか?」
「……そうそう、お金で雇った恋人で童貞卒業するの」
僕は軽い冗談であしらいながら玄関に向かう。かなり古い上に変わった大家さんのアパートなので、外の様子を窺うためののぞき穴なんて気の利いたものはない。
そっと扉を半開きにして顔を出す。外に立っていた二人組を見て、僕は驚きに目を見開いた。
「こんばんは。警察のものです」
「こ、こんばんは」
なんでこんな時間に警察が……? まあ僕には何もやましいことはないから怖がる必要もないんだけど。
近くで何か事件でもあったかな。事件とはいかないまでも不審者とか? ああ、誰かの行方がわからないとかそういうパターンもあるか。認知症のお年寄りとか、小さい子供とか……。
「……うん?」
僕は何か引っかかるものを感じて、なんとなく後ろを振り返った。
きょとんと首を傾ける女の子と目が合った。
「…………」
黙って警官に向き直る。
僕と同じように部屋の奥を見ていた警官の視線が、無言で再び僕に向けられる。
「…………」
――あったわ! めっちゃやましいことあったわ!
「あのっ、これは……」
「確保ーっ!!」
少し歳上の警官が叫ぶと、若い方の警官が僕の腕をつかんだ。
「待って、本当に待ってください」
慌てる僕に、歳上の方の警官はしかつめらしい顔で首を振った。
「近隣住民から、窓からこの部屋に侵入する不審な人影が目撃されています。言い逃れをしても無駄ですよ」
……侵入? なんで自分の部屋に入るのに――ってそういうことか!
この警官はここが女の子の部屋だと思ってるんだな!? そして窓から侵入したのが不審者で、それが僕だと。いや、確かにどっちが怪しいかといえば僕だろうけど……。
「ここ僕の部屋です!」
「はい? ではなぜ窓から入ったのですか?」
「窓から入ったのは僕じゃなくてあの子の方です」
僕が言うと、歳上の警官は眉間のしわを深くした。
「つまり、女子高校生がわざわざ一回り歳の離れた男の家に忍び込んで、何を盗むでもなく今の今まで居座っていると?」
「……はい」
「もう少しうまい言い訳を考えてはどうですか」
本当なんだよー! そうやっていざ言葉にして表現されると確かに意味不明で絶対あり得ない話に聞こえるけど、本当なんだよー!
「話は署で聞きましょう。君は少女の保護を」
「はっ!」
歳上の警官が若い警官に代わって僕の腕をつかむ。若い警官は僕の横をすり抜けて部屋に踏み込んでいき、ちゃぶ台の脇に座っている女の子を連れてくる。
連れてこられた女の子は、ニヤニヤ笑いながら僕を見上げた。
「なんか悪いことしたんですかー?」
「君のせいだよ!」
僕が勢い込んで言うと、女の子は目を丸くした。
それからすぐに得心したように真顔でうなずいて、ポンと手を叩いた。
「なるほど、そういうことですか」
「そういうことだよ!」
女の子はアンニュイに微笑んで僕に流し目を送った。
「私の罪作りな美貌があなたを惑わしてしまった、と……」
「今それ洒落になってない! 文字通り罪作りそうになってる!」
「あはは、うまいこと言いますね」
全然うまくない。いや、もう本当そういうのどうでもいいからこの状況をなんとかしてください。
「おまわりさん、この人の言ってることは本当です。私がこの部屋に忍び込んだんです」
警官は目をパチクリさせて疑るように女の子を見つめる。
「え? どうしてそんなことを?」
「鍵が開いてなかったので」
「じゃあこの人とはどういう関係なの?」
「姪です」
「じゃあこの人が君の叔父さん?」
歳上の警官はいぶかるように僕を見つめる。
「どうしてそう言わなかったんですか?」
「それは……急に警察の方が来たものですから気が動転しちゃって……」
僕は引きつった笑みを浮かべて、なんとか目をそらさないように努めながら言う。
警官は渋い顔で首を傾げた。
「うーむ……では念のためお聞きしますが、こちらのお嬢さんのお名前と誕生日は?」
「……えっ?」
言われた僕は、思わずそんな声を上げて女の子をみやる。女の子は「あちゃー」という顔で目をそらした。
……まずい。生年月日どころかまだ名前も聞いてなかった。
誕生日くらいなら忘れててもおかしくないけど、名前はちょっと無理がある。
「どうしました? 答えられませんか?」
「そ、そんなわけないじゃないですか……ええと、こ、この子は……」
ど、どうする……? 当てずっぽうで言って当たるわけないけど、何も言わないことにはどうにもならないし……。
「……この子は、佐藤……美咲といって……六月八日生まれの、一八歳です」
僕はややしどろもどろになりながら言って、またちらりと女の子を見る。
女の子は満面の笑みで、胸の前に腕でバッテンを作った。
「惜しい! 正解は
――ミドルネーム!? そんなの予想できるか!
「――って、なんでわざわざ不正解発表しちゃうの!?」
「あ、それもそうですね。私が口裏合わせればよかったんだ」
まあ、それはそれであとからボロが出そうだから、嘘をついてほしかったとは言わないけど……今のはさすがにあんまりだ。
そもそもどこが惜しいんだ。最大限好意的に解釈しても「美咲」と「三波」の響きが似てるところくらいしかないんだけど。
僕が苦笑いしていると、女の子……星野さんはいい笑顔で親指を立てた。
「ちなみに年齢は一六歳、八月九日生まれのしし座流星群!」
「いや、降ってきちゃうよそれじゃ……」
僕がツッコミを入れると、星野さんは口が滑ったという風に顔をしかめた。
「ここは一つ、流れ星のように儚く美しいということで……」
「しかも群れだからね」
「空から押し寄せる大量の私……宇宙人でクローン人間とか設定盛りすぎですね」
実際の星野さんもその設定に負けず劣らず濃いキャラしてると思うけどね……。
「……あのー、よろしいですかね?」
と、割って入ってきた声を聞いて僕はようやく今置かれている状況を思い出した。
年上の方の警官が渋面で、若い方の警官が困惑気味に僕たちを見つめていた。
「あ、すみません……」
僕が謝ると、歳上の警官はうなずいて気を取り直すように咳払いをした。
星野さんは何食わぬ顔で、僕を盾にするように一歩後ろに下がった。歳上として頼られるのはやぶさかではないけど、露骨に防波堤にされるのもそれはそれで扱いの雑さが悲しい。
「つまり、あなたたちは他人同士、ということですね?」
「……はい」
「仲がいいのはわかりました。ただ、一六歳の少女と三〇歳前後の男性がこの時間に一緒にいるのは警察として看過できません。まず親御さんに連絡して――」
警官が淡々としゃべっている中、僕の後ろでパチンと指を鳴らすような音がした。気にはなったものの、警官からは目をそらさずにきちんと話を聞き続ける。
「お二人がどういう関係なのかなど、事情をはっきりさせる必要があります。一度、お二人にはご同行を――」
「――ちょっと、誰が他人同士ですって?」
警官の話を遮ったのは、背後から聞こえた知らない声だった。
振り向こうとした僕の右腕が、ふいに柔らかい何かに包まれる。
それが女性の体であるということに気づくのに、そう時間はかからなかった。
「えっ……?」
「は?」
「へ?」
僕、歳上の警官、若い警官、と順に驚きの声を上げる。
なぜなら、僕の右腕に今まで影も形もなかった美しい女性が抱きついていたからである。
「――って、いやいやいやいや!!」
僕は迅速かつ丁重に絡みつく女性を振り払う。
「誰!? えっ、誰!?」
僕が言うと、女性は唇を尖らせて僕を見上げた。
「誰ってひどいなー、もう。星野・ヴェルナッザ・三波。あなたの恋人でしょ?」
言いながらまた僕の腕に抱きつこうとする。僕はS極を近づけられたN極のように自動でそれをかわした。
女性は憮然とした表情を見せたものの、切り替えて今度は手を握ってきた。僕はやっぱり振りほどこうとしたけど、今度は強く握られて捕まってしまった。
「いや、星野って……」
僕よりほんの少し背が低いだけの体は、モデルのように細くしなやかだった。二十代前半から半ばくらいで、顔立ちもかなり整っている。さっきまで僕としゃべっていた女の子とは身体的特徴が違いすぎる。
「…………」
恐る恐る後ろを振り返る。さっきまで斜め後ろにいたはずの、星野・ヴェルナッザ・三波と名乗る女子高校生の姿がなかった。
……一体どうなってるんだ?
断言できるけど僕にこんな知り合いはいない。
あまりにわけがわからなすぎて、僕は思わず目を伏せた。それからゆっくりとまぶたを上げてみたものの、依然としてその女性は僕の手を握っていた。
「どうしたの、そんなに不安そうにしちゃって。あ、もしかしてまた発作? じゃあいつものおまじないしてあげるから耳貸して」
女性は僕の右腕を引っ張って体を傾けさせると耳元に顔を寄せてきた。
「とにかく、話合わせといてくださいね」
その口調は確かにさっきまでの星野さんによく似ているような気がして、何がなんだかわからないけど僕はとりあえず言うことを聞くことにした。どちらにせよこれ以上状況が悪化する気はしないし。
「あ、ありがとう。もう大丈夫だよ」
「よかった。それで、おまわりさんたちはどうされました? せっかくの二人の時間なので、あまり邪魔しないでいただきたいんですけど……」
歳上の方の警官は、金魚のように口をパクパクさせている。
「あ、いや、私たちは……その、こちらの男性と、女子高生、の……」
「女子高生? 誰のことですか?」
「あ、ええと……」
「もしかしてお世辞のつもりですか? 無駄ですよ、私は彼一筋なので」
女性が体を寄せてふくよかな胸の膨らみを押し付けてくる。
なんだかよくわからないけど、警官も混乱している。このままいけば押し切れるかもしれない。ここはぐっと我慢してこの人のセクハラに耐えるしかない!
「ひいぃ……」
理性でそう決意しても、体に刻まれた童貞の性はごまかしきれない。僕は小さく情けない声を上げて柔らかさの恐怖におののいた。なんか罰が当たりそう。
警官は狐につままれたかのように、引きつった笑いを浮かべて頭をかいていた。
「あー、ええと、すみません。何か勘違いをしていたようです。はは、疲れが溜まってるのかな……」
言って隣の若い警官を見る。
「ほら、行こう」
「は、はい」
目を丸くしたままの若い警官を伴って、歳上の警官は僕の部屋の前から去っていった。
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