第4話 女子高生になってみませんか?

 玄関のドアが閉じると同時、またパチンと指を鳴らす音がした。

 握られた右手が解放されたので顔を向けてみる。

 

「ふう」


 そこにあったのはため息を吐き出す女子高生の姿だった。

 僕は混乱による軽い頭痛に苛まれつつ、素直に疑問をぶつけてみることにした。

 

「今の……星野さんなの?」

「そうですよ? きれいでした?」

「そ、それはもう……すっごい美人だったけど……」


 二の腕に押し当てられた感覚が脳裏をよぎり、少し顔が熱くなる。

 星野さんはにっこりと笑って小さくガッツポーズした。


「ふふっ、ありがとうございます」


 本当に外見を褒められるのが嬉しいみたいだな。

 ……いや、あれが本当に星野さんなのかってことに関してはまだ全然納得してないんだけど。だってあれ変装ってレベルじゃないし、仮に変装だとしても着替えが速すぎるし。

 

「どうやって……?」


 問われた星野さんは腕を組んでうなった。

 

「おまわりさんが来る前、私がなんのためにここに来たのかを話そうとしてましたよね」

「あ、うん。そういえばそうだった」

「そこから話していくとスムーズに受け入れてもらえるかと思うので、私の目的から話してもいいですか?」

「うん。何が目的でここに来たの?」


 まさか童貞をからかうためじゃないよな、なんて考えつつ僕が尋ねると星野さんはにやりと笑った。

 

「あなたと高校に通うこと。ついでにあなたを魔法使いにすること、です」


 僕は思わず目を点にして、頬を引きつらせていた。


「……魔法使いが高校生のついでになれるものだとは思わなかった」


 とりあえず、率直な感想を口にしてみた。

 なんで高校から魔法の話になるのか。それとも僕が知らないだけで魔法は高校の必修科目になったんだろうか。グローバル化の波が魔界にまで広がって、出世に魔法が必要な時代が来ていたのか。

 

「すみません。本当は逆でした。魔法使いになるついでに女子高生になりませんか、というお話です」

「いや、どっちにしたって……って、今なんて?」

「え? 『というお話です』、と言いました」

「いやそこ繰り返されても……」


 逆になんでそこが気になると思ったのかが気になるよ僕は。

 

「じゃあ……『になりませんか』の部分?」

「なんでそこで切るの。その前だよ大事なの」

「『いになるついでに』?」

「……どうして急にひらがなしか読めなくなっちゃったの?」


 暗号文の読み方とかそういうたぐいだよそれじゃ。


「カタカナモヨメマス!」

「カタコトにならない胸を張らない」

「張るほどの胸がないとか……セクハラ発言ですよ?」

「そんなこと言ってない……」


 しかも胸普通にあるし。口にしたらそれこそセクハラだから絶対に言わないけど。

 

「えー、イマドキの女子の普通はもっと大きいですよ?」


 星野さんはすねたように唇を尖らせて自分の胸を見下ろした。


「――やっぱり心読んでるよね!?」

「本当にたまにですよ、たまに。それもたまたま。わざとでも常にでもないので安心してください」

「そう言われても……」


 いつ読まれるかわからない以上、常に読まれる可能性を気にせざるを得ないわけであって……。大学の講義で聞いたパノプティコンという監獄システムを思い出す。

 星野さんは肩をすくめて真顔になった。

 

「まあ話を戻しましょう。相変わらず焼きそばがまずい、という話でしたよね」

「それはさかのぼりすぎ……って、それ僕の独り言だったよね? えっ、まさかあのときもうベランダに……?」

「ふふふ」

「ふふふじゃないって」

「にゅふふ」

「笑い方にケチつけたわけじゃないから……」


 むしろにゅふふの方が嫌だよ。なんか腹立つ。

 ……なんなんだ。本当になんなんだろう、この子は。

 

「――ってそうじゃなくて、さっき魔法使いになるついでに何になるって言った?」

「女子高生?」

「そうそれ! どういう意味で言ったの?」

「どういう、と言われても……そのままの意味ですよ? 女の子、高い、生」

「訓読みすると危ない感じになるからやめて……」


 こう……ね? まあ細かいツッコミは自主規制ということで……。

 僕が複雑なリアクションをとっているうちに、星野さんは腕を組んで首を傾げていた。


「何も難しい話はしてないんですけどね。私のもとで魔法使いになる訓練を受けるついでに、私の通ってる女子校にも一緒に行きませんか、と言ってるだけですよ?」

「だけ、って」


 30歳童貞の男が女子校に乗り込んでいくなんて、それはもはや独創性に富んだ自殺以外の何物でもないと思うんだけど。

 

「もちろん偽装はしますよ。私の魔法の得意分野ですからそこは問題ないです」

「あの、魔法っていうのは何かの比喩なの? 特殊メイクとか?」


 そうだとしたら学校に行って魔法使いになるっていうのは特殊メイクのプロになるってこと? 仮にそうだとしてもなんで僕にそんな誘いを?

 

「うーん、もう一回実演したほうが早いですかね」


 つぶやくように言うと、星野さんは意味ありげにパチンと指を鳴らした。

 特に何が起きたというわけでもなく、星野さんは直前と変わらない様子でちゃぶ台の向こう側に座っている。

 しかし――。

 

「……へ?」


 僕が一つ瞬きをして再び目を開いたその瞬間、目の前にいた星野さんは忽然と姿を消し、代わりに紫色のローブをまとい、フードを目深にかぶった老婆が姿を現した。

 

「これが、路地裏での私の独り言をあなたに聞かれる直前までの私の擬態です」


 老婆がしわがれた声で話しているんだけど、その口調にはどこか星野さんを思わせるものがある。

 さっきの突然の大人の女性への変貌といい……まさか、本当に魔法で姿を変えてるとでも?

 

「一瞬ですり替わった、とかじゃなくて、同一人物……?」

「二者の同時瞬間移動とか、擬態の何十倍も難しいですね」


 そう言ってまたパチンと指を鳴らす。

 次に僕がまばたきをしたときには、再び目の前には星野さんの姿が現れていた。

 

「なので、路地での『私のこと見えてるんですか』っていうのは一応本気だったんですよ。通りがかったカップルに普通に見えたのはそのときにはもう擬態を解いていたからです」

「そうだったんだ……」


 それで補導とも不審者とも無縁だったわけだ。むしろ当人の方がよっぽど不審だ。警察には別の意味で目をつけられるだろうけど。

 

「いや、まあ、なんというか……」


 しかし百聞は一見にしかずとはよく言ったもので、確かに実際に目の辺りにしてしまうともう魔法の存在を信じざるを得ない。

 ……ということは、本当に僕を女子高生に擬態させて女子校に通わせることができちゃうわけなのか?

 

「どうです? 夢がありませんか? 秘密の花園に忍び込めるんですよ?」

「いや別に」

「即答!? 男の夢じゃないんですか……?」

「そんな下衆な真似を夢見ないといけないなら、僕は男じゃなくていいよ……」


 僕は遠い目で窓の向こうの夜空を見上げた。

 星野さんは納得したように目を伏せてうなずく。

 

「そうでした。そういう人だから勧誘してるんでした」


 そう言われて、また別の疑問を思い出す。


「そう、それもだよ。なんで僕にそんなわけのわからないオファーを? やっぱり童貞からかって遊んでるだけなんじゃないの?」

「違います。あんまり詳しくは話せないんですけど……まあ、端的にいうとあなたに才能があるからですね」

「才能……魔法の?」

「はい。そうじゃなければ、少し手を抜いていたとはいえ私の魔法を破ることなんてできませんからね」


 どういうことなんだろう。もしかして、本当に30年童貞でい続けた結果本当に魔法使いになってしまったのか?

 

「あ、童貞がどうこうっていうのは関係ないですよ。まあ心の在り方の問題ではあるので無関係でもないですけど。30歳まで童貞であることも、魔法の才能があることも、ユニークな内的世界ミクロコスモスを持っていることが理由ということですね」

「ミクロコスモス?」

「あー、魔法における専門用語です。世界観とかそういうものだと思ってください」


 それは、なんというか……。


「……要は、僕が変人だからってこと?」

「そんな嫌そうな顔しないでください。私も仲間です」

「…………」

「なんでもっと嫌な顔するんですか!?」


 おっと、本音が顔に出てしまった。大人げなかった。

 

「そりゃ君が変人なことはこの短時間で痛いほどわかったから……。それと同類ってことは僕も結構な変人なんだな、って思ったらちょっと憂鬱に」

「いいじゃないですか、変人同士仲よくしましょうよー」

「僕は普通だ」

「どうしてもと言うなら、変人じゃなくて恋人でもいいですよ」

「はいはい。そういうのはいいから」


 さすがにこの子の童貞いじりににも慣れてきた感がある。まあ不意打ちされればまた期待通りの反応を返してしまいそうだけど。

 

「それで、どうですか? 私と一緒に女子高生……もとい、魔法使いやりません?」

「僕は普通だから無理だよ」 

「えー、ちゃんと可愛い女子高生にしますよ? 私に女にされたくないんですか?」

「語弊しかない台詞!」


 可愛い女の子に女にされそうになる30歳童貞とか、世界中探しても片手で数え切れるほどしかいないんじゃないか。いやでも今の世の中わりといたりする?

 僕が状況の複雑性に頭痛を感じて眉間にしわを寄せていると、星野さんは一瞬苦笑すると急に神妙な顔になって少しうつむいた。

 

「すみません。ついふざけてしまって……本当はもっと真剣にお願いしようと思っていたんですけど」


 態度の変化に戸惑いつつも、僕は含みのある言い方から察して尋ねる。


「……何か事情でもあるの?」

「ええ、まあ……」

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