第四節 暴虐の獣に死の眠りあれ

 女王シェヘラザードの母である大后ハトゥといえば、シャルカーン王子との恋物語のヒロインであり、その叡智をもって知られている才媛である。

 だが、夫であるシャルカーン王子を失ってからというもの、彼女は、王都テヘルにとどまることをよしとせず、少し離れた領地に屋敷を構え、使用人を連れて引きこもっていた。


 そんな大后の下へ、ジンは女王シェヘラザードの紹介状を持ってたずねたのだが……


「大変申し訳ないが、大后様はお加減がよろしくないためどなたにもお会いにならない」

 大后ハトゥの屋敷の入り口にいる門番たちに来訪を告げたところ、代表の男は紹介状に押された女王の刻印にすら目を向けず、言外に侮蔑をにじませた調子でそう告げた。


 あぁ、これは俺のことを偽の紹介状を持って押しかけた山師か何かだと思っているな。

 きっと、今までもそんな輩が多かったに違いない。

 いや、むしろ目立たないようにと平民の格好できてしまったのがまずかったか?

 門番の視線からそう読み取ったジンは、ひとつため息をついてからその纏う空気を威圧的なそれにきり変える。


「女王の紹介状があってもか? ……不敬だろ、それは」

 そう告げると同時に、ジンの存在感が人とは思えぬソレに変わった。

 周囲の光すら飲み込むような殺伐とした空気に、その場にいたものは一瞬で真冬の寒さを味わったことだろう。


「ひっ、ひぃぃぃっ!?」

 たかが気迫とは言うものの、鬼神ですら怯えてひれ伏すジンの威圧だ。

 とても普通の人間に耐えられるものでは無い。

 この門番たちも、尾族の警護を任せられるだけ会って多少は腕に覚えのある男共だったのかもしれないが、抵抗すら出来ずに一瞬で腰が砕けた。


「で、ででで、では、あ、貴方は、その、体調の……優れない女性と、えっと、む、無理に引き合わせよと、お、おおお、おっしゃるのか!?」

 力なく地面にしゃがみこみ、地面に小便の染みを作りながらもこの台詞である。

 実際には腰が抜けて逃げられないが故の自棄であったが、ジンはなかなか見上げた根性だと門番を心の中で褒めていた。

 だが、彼にも果たさなくてはならない役目というものがある。


「おいおい、質問しているのは俺なんだがな」

 だが、誰も通さないようにと、よほど厳命されているのだろう。

 ジンがさらに威圧を強めると、門番の代表が泣きながら地面を頭にこすり付けて嘆願しはじめた。


「お……お願いです。 どうか、お許しを! どうか、お引き取りください!!」

 その哀れな光景にジンはひとつため息をつき、土下座状態の門番の肩をポンと軽く叩いてから踵をかえす。

 正面から押しきる自信がないわけではないが、その後の事を考えるならば別の方法をとったほうが良さそうだ。

 ジンはぼんやりと天を見上げてそう考えると、しばらく王都に帰ることが出来ないかもしれない旨を手紙に書いて女王の下へと手配するのだった。


***


 大后の屋敷を追い払われたジンは、ひとまず近くの村にて宿を取り、対策を考えることにした。


「さて、本格的にどうしたものかな」

 だが、今のジンには土地勘もなければ情報も無い。

 何かを考えるにも、その材料となるものすらなければ、良い考えが浮かぶはずもなかった。

 一度テヘルの街に帰って誰かと相談したほうが良いだろうか……そんな事を考えたときだった。


「マスーラが出たぞー!」

「なんだと!? 逃げろ!!」

 突如として聞こえてきた悲鳴と叫び声に、二階の窓から外を覗くと、そこにはとんでもない光景が広がっていた。


「なんだこれは。 ワニか?」

 窓を開いた外を駆けずり回っていたのは、なんと全長5mを超える巨大な爬虫類。

 どうやら、村人が叫んでいたマスーラというのはこの化け物のことらしい。

 しかし、なんとも不気味な……

 それは地球にいた頃に見たワニにとてもよく似ていたが、ワニよりもやや脚が長く、悪意をもって塗りつぶしたようにその全身は真っ黒だった。

 むしろ感覚としては恐竜の子孫と言ったほうがしっりとくるだろう。


「む、いかん!」

 そう呟くと、ジンは二階の窓から躊躇なく飛び降りた。

 彼の目の前には、転んで泣き喚く子供。

 恐怖に飲まれたのか、迫り来る化け物を前に身動きも出来ない。


「いやあぁぁぁぁ!」

 母親らしき女が男たちに羽交い絞めにされながら絶叫する中、化け物が大きく口を開く。

 だがその時、大きな影が風のような速さで化け物に向かって襲い掛かった。


「うぉりゃあぁぁぁぁっ!!」

 子供が化け物に食われる寸前、ジンの蹴りがサッカーボールのようにマスーラのわき腹を蹴り上げる。


「……グブォォウ!?」

 おそらくこんな激しい衝撃を食らったのは生まれて初めてなのだろう。

 驚愕の声を上げながら、マスーラの巨体は宙を舞って近くの納屋に突っ込んで、壁に大きな穴を開けた。


「おじちゃん……誰?」

 太陽の光を背にそびえるジンの巨体を見上げ、その子供は逃げることも忘れて呆然として呟く。

 周囲の大人たちは、マスーラの巨体を犬や猫のように蹴り飛ばす怪力に目を見張り、驚きのあまり声も出ない。


「そうだな、しいて言えば神様の使い……かな? それより坊主、早く逃げろ」

 その言葉と共に、納屋の壁の破片を撒き散らしながらマスーラの巨体が跳ね上がる。

 ジンの馬鹿力で蹴り上げられてまだ息があるあたり、半端な生命力ではない。


「グフゥゥゥッ……」

 その生き物は、この地域において敵なしの暴君であった。

 捕食者としての埃を傷つけられて、その生き物は苛立たしげな声と共にジンの顔を睨みつける。

 だが、そんな悠長な時間は長くは続かなかった。

 マスーラと呼ばれるその化け物は、その巨体からは想像もつかないスピードでジンに向かい頭から突っ込んできたのである。


「おとなしく退散すればよかったものを。

 恨むなら……こんな奥義を残したうちの流派の開祖を恨むがいい」

 迫り来るマスーラを前に、ジンは左手を上に構え、右手を軽く下におろした。

 そして胸と喉元をがら空きにした、なんとも奇妙な……というより無謀な構えで巨大な怪物を迎え撃つ。


「……しかし、我が師匠ながら、なんで虎やワニを想定した技なんか口伝で残してるんだか」

 迫り来るマスーラを前に、ジンはそんな愚痴を口にしつつ前に踏み込む。

 その予想外の動きに、化け物の体が一瞬ひるんだ。


「どっせぇい!!」

 そんな掛け声と共に、ジンはマスーラの上あごを左手で掴み、下からの右の掌底をぶち込んで強引に閉じる。

 さらにそのまま腹を蹴り上げて、相手の力を利用して投げの体制に入ると、途中で捻りをくわえた。

 もしもこれが人間ならば、そのまま首をあらぬ方向に向けたまま息絶えていたに違いない。


 ズシン……と地響きを立ててマスーラの体が大地に叩きつけられる。

 なお、この業、奥義ではあるが、名はない。

 ジンは口伝を受けたときの師匠の言葉を元に、虎捻りと便宜上呼んでいた。

 そしてごらんの通りこれは対人用の技などではなく、本能的に喉元めがけて噛み付いてくる野生動物を想定した秘伝の投げ技である。


 しかも、この技にはまだ続きがあった。

 頚椎と頭部へのダメージで動けないマスーラに対し、間髪をいれずジンの踵が容赦なく襲い掛かかる。

 オーバーキルだと言われそうだが、実はこの奥義、倒れた相手の頭を踏み潰すまでがセットなのだ。

 しかも、執拗に息の根がとまるまで何度も何度も踏み潰すというのが、この奥義の肝要とされているのである。


「グギッ! ギギャッ!?」

 体制を立て直す暇もなく、何度も襲い掛かるジンの脚に、さしもの化け物も哀れっぽい悲鳴を上げることしか出来なかった。


 時間にすればおよそ10秒ほどであっただろうか?

 マスーラの体はついにピクリとも動かなくなる。


「うおぉぉぉぉ! すげぇぇぇぇぇ!!」

「あのマスーラを殺っまっただと!? しかも、たった一人で!!」

「誰だあいつ! ただものじゃないぞ!!」

 ジンの勝利が確定すると、固唾を呑んで見守っていた群衆が歓声を上げながら押し寄せてくる。

 怪物相手には勇敢に戦えるジンではあったが、興奮した住人たちが相手ではあまりにも分が悪い。


「おい、勘弁してくれ! 痛い! 髭を引っ張るな!!」

 よほどあの怪物に悩まされていたのだろう……ジンはものすごい勢いで村人たちに抱きつかれ、もみくちゃにされながら悲鳴を上げる。

 そしていくら注意したところで、お祭り騒ぎになった民衆は聞く耳を持たなかった。


 そこに、一人の杖をついた老人が近づいてくる。

「ところでアホみたいに強いお兄さんや……マスーラは一匹だけではないのじゃがの」


 かくしてジンは、その日だけで7匹の巨大なマスーラを始末する羽目になった。

 なんでも、本来は百人近い兵士を動員してやっと一匹しとめられるかといった感じの生き物らしい。


***


「やれやれ……なんでこうなるかねぇ。

 こんな事している暇はないんだが」

 日もくれた村の広場。 その真ん中に豪華な絨毯が惜しげもなく広げられ、その貴賓席にジンが飾り立てた状態で座っていた。


「悪いのぉ、兄さんや。 皆、あの化け物が退治されたということで浮かれきっておってのぉ。

 こうして祭りをせずにはいられんのじゃ」

 ジンのために料理を取り寄せながら、村の長老だという老人がヤギのような髭の向こうから語りかける。

 なお、退治されたマスーラは、爬虫類を食ってはならないという神の戒律により皮と牙だけを剥ぎ取って残りは埋めてしまうらしい。


「ところでこの料理……鳩か?」

「おぉ、見ただけでお分かりになるか。

 いかにも、この村の名物である鳩の料理じゃ」

 その言葉の通り、この村の産業の一つが食用鳩の養殖であった。

 鳩肉は日本だとあまりなじみのない代物かもしれないが、海外……特に中国の南部においては高級食材として珍重されている食べ物である。


「鳩か……」

 その時、ジンの頭の中に閃く物があった。


「なぁ、そこのご老人。

 ひとつ、このあたりの伝承について教えていただきたいのだが……」

 かくしてジンは、大后と会う為の秘策を練り始めたのである。

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