5 叡智が奸智に勝利する話
プロローグ:道化の語り部
果てしなき書物と文字の海を旅する紳士、そして淑女の皆様。
獅子と女王の物語を続ける前に、今いちど道化の語りに耳を傾けたまえ。
それは遥か昔の物語。
千夜一夜物語の第881夜、頑固な少年と足の小さな妹の物語に曰く。
ある村にとても信心深い夫婦がいました。
夫婦には息子と娘がいましたが、兄である息子はわがままでとにかく頑固。
そして娘は優しくて、愛らしくも足の小さい女の子。
夫婦のうち旦那が先にくたばったのですが、その時に彼は妻に恐ろしい呪いのような遺言をしたのでございます。
――我侭な息子が何をしても叱らず、何を言っても必ずかなえるようにと。
なんという愚かな願い。
そしてその遺言を守った母親も、そのあとすぐに亡くなってしまいました。
ですが、彼女もまた枕頭に娘を呼び、亡き夫の遺言を彼女に押し付けたのです。
そうでなければ安らかに死ぬことも出来ないと、娘の優しさにつけこんで。
とんでもない苦労を背負う事は目に見えていたでしょうに、なんとひどい母親でしょうか。
さて、両親が相次いで亡くなると、ろくでもない息子はやはりとんでもないことを始めました。
いったい何を考えたのか、残された遺産をすべて集めて自分の家ごと燃やそうとしたのです。
理由を尋ねると、理由は無いがそうしたいからとの事。
あぁ、兄よ。 遺産をすべて燃やしてしまったら、私たちは明日からどうやって生きてゆけばいいのです?
そう問いかける妹ですが、兄は聞く耳を持ちませんし、逆らってはいけないという遺言もあります。
そこでかしこい妹は、こっそり財産を村の人々に頼み込んでかくまってもらったのでした。
それにより、まだ幼い妹は生きながらえることが出来たのです。
しかしそれはすぐに愚かな兄の知るところとなり、彼は恐ろしいことを考えました。
両親の遺産はすべからく燃やさなくてはならない――そんな妄想に取り付かれた彼は、なんと村中の家に火をつけて回ったのです。
あぁ、これではもう故郷の村にいる事はできません。
仕方なく妹は、頭のおかしい兄を連れて逃げました。
そうでなければきっと殺されていたことでしょう。
そして二人はとある立派な農地にたどり着きました。
見た目だけは愛らしい二人でしたので、そこの農地の住人たちは二人を気に入って従業員として雇います。
ですが、ふたたび兄が恐ろしいことを始めてしまいました。
彼は農場の幼い子供たち3人を言葉巧みに手懐けて、親がいない間に連れ出すと、麦打ち遊びというものを考案します。
それは、麦に見立てた役を棒で殴るというとても野蛮な遊びで、最初に兄は自分が麦となって幼い子供に殴られました。
ですが、自分が麦を打つ番になるや否や、彼は本性を現したのです。
あぁ、なんとおぞましくも恐ろしいことでしょうか。
彼は子供たちを骨が粉々になるまで殴ると、3人の幼子を殺してしまったのです。
この凶行にいち早く気づいた妹は、この殺人癖のある兄を連れて逃げました。
それもこれも、母親から面倒を見るように言われ、その言葉に縛られていたからです。
そして二人は森に逃げ、木の上に隠れます。
すると、子を殺されて怒り狂った親がその下を通りかかりました。
その時、息を潜める妹に兄は言ったのです。
あの怒り狂った農夫の頭に、ここから糞尿を引っ掛けてやったらさぞ愉快だろう……と。
なんというキチガイ。 もはや知性も理性もありません。
このおぞましい兄は、必死で止める妹の言葉には耳も傾けず、農夫の頭に汚物をお見舞いしました。
さぁ、大変です。
怒り狂った農夫は弓矢でもって憎きクソガキを殺そうとしましたが、木が高すぎてうまく矢が届きません。
ですが、いつまでもここに潜んでいることも出来ず、妹はいつ殺されてしまうのかとただ恐怖に震えるだけ。
その時でした。
大きな羽ばたきの音が聞こえてきたかと思うと、空から巨大なロック鳥が襲い掛かってきたのです。
そして二人はその巨大な鷲の足に引っかけられ、ものすごい速さで天高く空へと連れ去られました。
ですが、さらにその時、頭のおかしな兄が恐ろしいことを言ったのです。
あの鳥の尻をくすぐりたい。
お願いだからやめてちょうだい、そんな事をすれば死んでしまう!
必死に訴える妹に、兄は言いました。
絶対にやるのだ、こんな風に……と、鳥の尻に手を伸ばしながら。
たちまちロック鳥に放り投げられた兄と妹は、天から地へと投げ落とされます。
幸いなことに下は海になっており、泳ぎの心得のあった二人はなんとか岸にたどり着きました。
ですが、そこは食人鬼が君臨する永遠の夜の国だったのです。
寒さに震えた兄と妹は、石と石を叩き合わせて薪に火をつけます。
すると、そこに恐ろしい
我が闇に定めし領域で明かりを灯す不届き者は誰だ!?
可愛そうに、賢い妹はその恐ろしさを理解してしまったために気を失ってしまいます。
ですが、頭の悪い兄は恐怖を理解できず、火のついた薪を女食人鬼の口の中に次々と投げ込みました。
すると、いかなる偶然か、女食人鬼の体は真っ二つに裂けて死んでしまったのです。
そして暗黒に包まれていた島にふたたび太陽がさしました。
この地の太陽は、この
なんという理不尽な尻でしょうか。
これに喜んだその地の王様は、食人鬼をたおした少年に娘をめあわせ、少女を妃としたのでした。
やれ、めでたし……といいたいところですが、おそらくこんなおぞましい化け物を身内としてしまった島の王は、きっと後悔したでしょう。
物語はここで終わっていますが、この頭のおかしな兄がこの後もおとなしくしていたはずがないからです。
人の意見に耳を傾けず、思いつきをすべて実行しようとする輩など、歩く災厄でしかないのですから。
え? どこかの誰かさんもそうじゃないかと?
いえいえ、あれは他人の幸せを願うだけの頭は持っているので勘弁してやってくださいな。
頭がおかしいのは否定しませんが、この少年と同類にするのはあまりにも哀れというものです。
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