千夜の晩餐

第五節 乞食よりもなお賎しき者

　その日、王宮は久しぶりに求婚者を迎えていた。

「……それで泥棒の正体を見破ったアキム王子はこう言ってやったのです。

　くだらない庶民の金を掏り取ったのと、偉大なるアキム王子の部屋に入り込んだのとでは、後者のほうがより罪深い!　それで技量を見せ付けたつもりか、この泥棒め!」

　玉座の前で感情をこめてそう語るのは、アキム王子の従者の一人だった。

「……退屈じゃな。　話はそれだけか？」

　表情をまったく変えぬままシェヘラザードがぞんざいに評価を告げると、その場の空気が一段と涼しくなる。

　現在、謁見の間では女王シェヘラザードを前にして、二人の王子の従者がそれぞれ売り込みの真っ最中であった。

「は、はぁ。　その後、スリの男は百叩きにし、泥棒の男は斬首されました。

　偉大なる王族に触れる罪は庶民を搾取する罪よりも重いということ……

　私の話は以上です」

　アキム王子の従者が引きつりまくった顔で引き下がると、女王の関心を買うことができなかったアキム王子は、こめかみに血管の浮いた鬼のような形相で従者を睨みつける。

　人は視線の中にこれだけの罵声を詰め込めるのかと、思わず感心した……とは、後のシェヘラザード女王の言葉だ。

　なぜこんなことになっているかといいえば、何と言うことは無い。

　二人の王子を前にするになり、挨拶や自己紹介もそこそこに、シェヘラザードがこう告げたからである。

「最初に言っておくが、余はお前らに興味が無い。

　ゆえに名すら聞くつもりはないと心得よ。

　そうじゃな、名を聞いてほしければ……まずは我を楽しませてみせよ。

　ただし、もう料理で楽しませてくれる男は間に合っている」

　当然ながら年若い二人の王子にとって、寝台の上以外で女を喜ばせる術など知るよしもなく、寝台の上ですら……楽しむ事はできても、楽しませる事ができるかは怪しいものだ。

　たちまち苦境に陥った二人であるが……そこでアキム王子の従者が、自らの主のエピソードを面白おかしく話してみせましょうと名乗り出たのである。

　さすがに自ら名乗り出るだけあってなかなかの話し上手であり、近習の武官たちも身を乗り出して話に聞きいるほどだったのだが……結果はご覧の通りだ。

「で、ではこちらからも一つ面白そうな話をしましょう!

　つい昨日のことではありますが……」

　そう話を切り出したのは、ハラム王子の従者だった。

　こちらもなかなかの話し上手で、しかもこの国の害悪を叩かんとする若き隣国の王子の話。

　他でもない、先日の盗賊退治の話だった。

　たぶんに脚色を加えられたそれには、若い女官たちまでもが目を輝かせる。

「そして、我々が連中のアジトに到着すると、なんとそこはもぬけの空。

　どんなに凶悪であろうと所詮は盗賊風情。

　彼らはハラム王子の武勇に恐れをなし、逃げてしまったのであります!」

「……役立たずが」

　ボソリと呟いたのは、シェヘラザード女王その人。

「今、何と？」

「それで、さらわれた子供たちは無事だったのか？」

　だが、従者風情の質問に答える義理はないとばかりに、シェヘラザードは彼の問いかけには答えなかった。

　そして、質問に答えぬまま質問を返す。

　話をへし折られた従者は苦い顔で唸り声を上げるものの、相手が女王とあっては答えざるをえない。

「いえ、我々のたどり着いたときには誰も……」

「では、その臆病な盗賊はどこに行ったのかを知っているか？」

　畳み掛けるような質問に、その従者は何も答える事はできなかった。

「さすがに土地勘の無い我々にそこまでの事は無理でございます。

　しかしながら、もしかすると今頃は臆病風に吹かれてこの国から逃げ出しているやもしれませんな」

「都合のいい憶測でモノを言う輩は嫌いじゃ」

　なんとかして話しを取り繕う従者だったが、その無責任な言葉をシェヘラザードはバッサリと切り捨てる。

　そして蛇の女王を思わせる笑みを浮かべ、火のような怒りをこめた言葉を吐いた。

「余はその盗賊がどこに行ったかも知っておるぞ」

　シェヘラザードの台詞に合わせて、その隣に控えていたジンがチラリと横目でアキム王子とその従者を見れば、彼らはまるで蛇に睨まれたカエルのようにダラダラと冷や汗を流しているではないか。

　――王族ならこの程度は涼しい顔で流せよ。

　そんな感想を抱くジンではあるが、相手がこの女王では致し方ないと思い直し、おびえる罪人たちからそっと視線をそらした。

　そしてこのタイミングで言葉を挟んできた者がいた。

「お二方のお話、大変楽しく拝聴させていただきました。

　では、こちらもおもしろい話をさせていただきましょう」

　その発言の主は、他でも無い。

　この国の財務を司る重臣……サイードである。

「先日、緑の宮（カスル・アフダル）の君が私ども王宮の財務省をお訪ねになり、地方の料理を学びたいので資金を融通して欲しいとおっしゃったのです。

　そして心ばかりの金貨をお渡ししたところ、多すぎるとおっしゃったのですよ」

　この老人もなかなかの話上手で、たちまち周囲の耳はその軽妙な語りに集められた。

「なるほどさすが清貧を尊ばれる緑の宮（カスル・アフダル）の君であるなと感心いたしましたが、ふと帳簿を見れば、緑の宮（カスル・アフダル）の君のために設けられた予算のほとんどが使われた後ではありませぬか。

　これはおかしい。　彼の普段の生活を聞く限り、そんな贅沢をするはずもなく、彼もここへ金の無心に来たのは始めてとの事」

　むろん、緑の宮（カスル・アフダル）の君とはジンの事である。

　物語の主役にされることになれていない彼は、こっそりと人目につかぬようにしながら、尻をもじもじとさせていた。

　その様子を盗み見て、シェヘラザードが顔を隠すヴェールの下で笑みをこぼす。

「そこで詳しく調べてみると、恥ずかしながら我が財務省の一人が犯人でございまして、私と緑の宮（カスル・アフダル）の君はこれを強く咎めました。

　すると、彼はこう告げたのです。

　娘を人質にとられ、異国の王族に不正を強要されたのです……と」

　そこで話を区切ると、サイードはニッコリと微笑みながらアキム王子たちに向き直った。

「ところでアキム王子。　この国に来てずいぶんとおたちになりますが、ご不便はございませんか？」

「と、特に心配は無い!!　貴国に心配されるいわれはないわっ!　不愉快である!!」

「サイード、言葉が過ぎるぞ」

　なんとも露骨な話の誘導に、アキム王子は真っ青な顔で叫び、シェヘラザードは蛇の喜悦のこもった声でたしなめる。

「おお、大変失礼しましたアキム王子。　なにぶん、ご実家からの仕送りが止まっていると伺ったものでつい、いらぬ老婆心を出してしまいました。　お許しあれ」

「許せるか、この無礼者!　よいか、実家からの仕送りがとまったとしても、私には支えとなる忠臣たちがいる!　そのような憶測は無用だ!!」

「では、その忠臣が何を持って金銭を稼いでいるかもご存知ですよね？」

　その言葉と共に、謁見の間へと何人もの男たちが連れてこられた。

　ジンの金を横流しした財務官、盗賊のアジトから村人を持ち出して売り飛ばそうとした男、そして村人を買い取ろうとした奴隷商人である。

「さて、これなるは奴隷商人の店に隠されていた隠し帳簿でございますが、ずいぶんとアキム王子の名前が記されていますね」

「べ、別人だ!!　私はそんな商人など知らない!!」

「では次に……先日、奴隷商人を取り押さえようとしたときに黒幕の男に逃げられましてね。

　そのときに右手に傷を負わせたという話があるのですよ。

　……確認させていただきましょうか」

「えぇい、触るでない!　私を誰だと思っている!!」

　右手を確認しようとする武官を殴りつけ、あくまでもシラを切ろうとするアキム王子。

　だが、その背後にいつの間にか忍び寄っていた影があった。

「往生際が悪いな」

「貴様、いつの間に!?」

　その大きな影……ジンは太い腕でアキム王子の首を絡めとると、一瞬でその意識を奪う。

「ふむ。　ごらんあれ、我等が女王よ。　右手の大きな切り傷。　これが何よりもの証拠だ」

　ジンがアキム王子の腕を捲って証拠を見せ付けると、アキム王子の従者たちはガックリとその場に膝をついた。

「……なんとまぁ、よくもその卑しくも浅ましい根性で我が前に出る事ができたものじゃ。

　ジン、晩餐のしたくをせよ。　気分を変えたい」

　そう告げると、シェヘラザードは玉座から立ち上がって歩き出し、ふと思いついたようにハラム王子の方を向く。

「そうじゃの、ハラム王子。　よければ一緒に食事でもどうじゃ？

　我が晩餐のための料理人は、三国一の腕前であるぞ」

「おぉ、ぜひご一緒させていただこう!」

　その時のハラム王子は、まさに幸せの絶頂であった。

　ライバルは自滅して、女は自分に声をかける。

　紛れも無い勝利であった。

　同時に彼は、シェヘラザードを軽んじる。

　なんとも他愛ないな。　取り澄ました顔をしていても、所詮は小娘。

　王族であり、逞しく精悍で見目のよいこの自分に、心惹かれないはずが無かったのだ。

　しかし、これで自分も国の王か。　感無量だ。

　だが、歓喜に打ち震えていた彼は気づかなかった。

　女王のそばにいる近習たちが哀れみのこもった視線を向けていることに。