第四節 天国の作り方

 シェヘラザードの抗議の枕を顔に受けた後、ジンは彼女の隣に腰をおろした。

 そして拗ねた顔のまま睨みつけてくる彼女にそっと寄り添う。


「まぁ、俺が悪いのはわかったから機嫌を直せ。

 そうだな、今日の昼はククサブジでも作るか」

「ククサブジ? なんじゃその料理は」

 耳慣れない言葉に、シェヘラザードが首をひねる。


「まぁ、いうなれば卵料理のことだな」

 ペルシャ料理において、卵とじのことをククといい、サブジは緑を示す言葉だ。

 まだ見ぬ料理にを想像し、シェヘラザードの目に好奇心の光が点る。

 だが……


「ん? 誰かシェヘラザードを呼んでいるぞ?」

 ジンが材料を何もないところから取り出していると、遠くからシェヘラザードを呼ぶ女官たちの声が近づいてきた。

 おそらく、政務を抜け出してここに来ているのだろう。

 そっと隣から盗み見ると、シェヘラザードは乙女にあるまじきしかめっ面をしていた。

 こういうところを見ると、やはり彼女もまた18歳の少女なんだな……と感じられ、ジンは少しホッとする。


「せっかくだから、女官達も誘ってここで昼食を食べてゆくといい。 今日は炊き出しの予定もないから、十分に時間あるしな」

「……なに?」

 ジンの提案を聞くなり、シェヘラザードの眉間にくっきりと皺が刻まれた。

 むろん、彼女が二人っきりで昼食を楽しみたいことがわからないほどジンが鈍いわけではない。

 それが最初からかなわない願いであることを理解しているだけである。


「さもないと、食事はたぶん執務室で書類を見ながら取ることになるぞ」

 何か言いたげな顔をするシェヘラザードにそう告げると、ジンの言うとおりであることを理解し、仕方ないといわんばかりの顔で言葉を飲み込んだ。

 あとはジンがいかに巧妙に女官たちをたらしこむ……もとい、丸め込むかにかけるしかない。

 そしてやってきた女官たちに向かってジンが快活な声で昼食へと誘うと、彼女たちは頬を赤らめながらおとなしく誘いに乗るのだった。

 なお、この世界ではアラブ社会と同じく目つきの鋭くて威圧感のある顔が美男子の条件であると言っておこう。


「まぁ、せっかくだから女性向けにいくつかバリエーションを作るか」

 そう呟くと、ジンは鍋とフライパンをいくつも出し、ジャガイモとニンジンをザックリと切って茹で始める。

 そしてフライパンで鳥のひき肉を炒め、続けて細かく切ったほうれん草を残った油で炒めはじめた。


 野菜を煮込んだお湯でサフランを煮出し、煮上がった野菜は3つのフライパンに放り込まれ、同時に三種類の卵とじが出来上がる。

 ほうれん草と胡桃で作った緑の濃い野菜の卵とじクク・サブジ、サフランとニンジンで鮮やかに彩られたオレンジ色のニンジンの卵とじクク・ハヴィージ、ジャガイモと鳥挽肉が入ったジャガイモの卵とじクク・スィブザミニー、この三食の卵とじククをジンはそれぞれ4分割し、一枚のプレート皿に盛り付けた。


 さらに、卵とじククに火が通るまでの間を利用して、ジンは忙しく動き続ける。

 彼は油鍋に火をいれると、花の形に型抜きしたニンジン、ナス、ジャガイモ、ベビーコーン、ズッキーニを素揚げして、作り置きのドレッシングをまぶして温野菜サラダにした。

 そして焼きあがった卵とじククの横にうずたかく盛り付ける。

 あとは作り置きの濃縮スープに野菜を煮込んだお湯を注いで即席のスープを人数分のカップに注いで……ランチメニューの完成だ。

 王宮の厨房からパンをもらってきてもらって、キラキラした目でこちらを見ている女官たちの前にドンとおくと、さっそく食事前の祈りが始まる。


「お、美味しいです! 陛下はいつもこんな料理を食べているんですか?」

「この料理は初めてじゃな。 だが、いつも美味いのは間違いない」

「ジンさんの料理って、なんというか見た目が可愛いですよね。

 なんというか、色合いも鮮やかで楽しいって感じで」

 無駄に広い部屋で行ういつもの静かな食事と違い、私室で行われる女性ばかりの昼食は恐ろしくかしましい。


「それはな、ジンが我々女性のための料理を作っているからじゃ」

 女官たちの疑問にシェヘラザードが答えると、彼女たちは雷に打たれたような顔をした。


「女性のための料理ですか?」

「うむ、この国の文化はとにかく男が優先される傾向にある。

 それは食事においてもしかりであろう?」

「言われてみればたしかにそうかもしれません」

 シェヘラザードの言葉に、やや年配の女官がしみじみと頷く。


「でも、女性のための料理って何なんですか?」

 まだ若い女官の疑問は尽きない。

 そもそも料理に男性用や女性用があるのかといわんばかりの顔だ。


「たとえば……これはジンの故国の話なのじゃが、女性というものは、とかく色が鮮やかで一つ一つが小さくて、種類の多い食事を好むものといわれているらしい。

 まぁ、それが真実でなくとも、確かに我々女と男とでは体のつくりが違う。

 それゆえに好むものや価値観の基準が違っても、それは仕方がないことではないか?

 それに、このような愛らしいものであれば見ているだけでも楽しい。

 我としては一つの料理がドンとおいてあるのも嫌いではないがの。

 それこそ、好みというものは人それぞれであり、女性だからコレが好きという絶対的なものは存在しない。

 じゃから、それはあくまでも表面上の話じゃ。

 本当に大事なのは、これが女性を喜ばせようと工夫を凝らされた料理であるということにある。

 そして、ジンは名誉など最初から求めていない。 あるのは清らかな愛情だけじゃ。

 つまり、神の尊ぶ献身の徳がこの料理がここにはこめられている……お前たちにもそれがわかるか?」

 シェヘラザードがそう締めくくると、女官達の口から感心したようなため息が漏れた。


「おいおい、そんな堅苦しい話にしないでくれ。

 俺はただ、食べる相手が笑顔になるような、そんな料理を作ることが出来たらいいとは思ってる……ただ、それだけだ」

 そんな言葉を口にしながら、ジンは追加で焼き上げた卵とじククと温野菜のサラダを皿にのせる。


「謙遜するでない。 そのような心遣いこそ、我は天国を作るものだと思っている」

 そう告げると、シェヘラザードはほかの男には決して見せない笑顔でジンに微笑みかけた。


 やがてデザートに出した桃のコンポートとミントティーが行き渡ると、彼女たちは満足してにぎやかにおしゃべりを始める。

 そんな、まるで小さな天国のような時間に、ジンもまた部屋の隅でほっこりした気持ちになりながら一人で茶を楽しんでいた。


 ただ、それつかの間のこと。

 このささやかな天国も、他の部署の役人が現れ、彼女たちが仕事のことを思い出したとたんに木っ端微塵に砕け散った。

 そして、彼女たちに引きずられるようにして、シェヘラザードが再びお仕事地獄へと引きずられていったのはいうまでもない。

 げに、世の中は天国などではなく、ただただ世知辛いのだ。


 そしてその日の夜、ジンの元に使いが訪れた。

「そうか、無事にさらわれた村人と奴隷商人の身柄を抑えたのだな。

 では、予定通りハラム王子とアキム王子を王宮に招いてやってくれ」

 ――そろそろ悪い虫にはご退場願わないとな。

 彼の呟きは、静かな夜の闇へと消えていった。

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