第一節 盗人の尻尾

「そうだ、農村へ行こう!」

 麻戸あさど じんという男はしょっちゅう突拍子もないことを言い出す男である。

 そして、その日もまた何の前触れも無くそんな事を言い出した。


 まぁ、それでも彼なりの理由というものは存在し、先日は屋台の料理を調べたのだから、今度は農家の料理を知りたくなった……というのが今日の名目である。

 料理とは、日々の学習がものをいう道なのだ。

 そして、学習とは同じ失敗を繰り返さないことである。

 さて、ジンがおかした失敗とは他でもない。 一銭も持たずに市場へと出かけたという、先日の大失態の事であった。

 けっしてシェヘラザードに欲情しかけたことでは無いと、本人のために言っておく。


「……というわけで、金がほしい。 シェヘラザードに会って相談したいのだが?」

「馬鹿ですか、貴方は」

 女王の部屋の前を守る近習たちは、情けも容赦も無くそう言い放った。

 馬鹿にはしているが、悪意は無い。

 むしろ、見ていると悪友同士の掛け合いにしか見えなかった。


「馬鹿というより、むしろヒモ男?」

「ぷっ、違いない!」

「ちょっ、お前らそれはあんまりではないか! ぷっ、ひ、ヒモは無い。

 ぶははははははは! でも、その通りだから言い返せん! ぶははははははははは!!」

 その証拠に、最後には馬鹿にされたはずのジンも含めて全員で大笑いである。


 実を言うと、最初は本気でジンを恐れ嫌っていた近習たちではあるが、この男……嫌味を言っても堪えるどころかそれを冗談にして笑いを誘う始末。

 二日ほど言葉のやり取りをするうちにだんだん悪意を向けるのが馬鹿らしくなり、気がつくと言葉に遠慮がなくなるほど親しくなっていた。

 今では数十年来の友人のような感覚である。

 もしかすると、これが麻戸あさど じんという男のもっとも恐ろしい点かもしれない。


「しかし、あらためてヒモ男はひどくないか? これでもちゃんと働いているのだぞ?」

「私たちからすると遊んでいるようにしか見えませんよ。

 なんですか、晩餐専門の料理人って」

 なんとかしてムッとした表情を作るジンだが、近習たちはそ知らぬ顔。

 むしろここぞとばかりに茶化してくる。


「まぁ、そう言うな。 なんだ、羨ましいのであれば代わるぞ?」

「ご冗談を。 それこそ、我々は皆がうらやむ近衛ですよ? 誰かと地位を交代するだなんてとんでもない」

「そうそう、ずうずうしいこと言うんじゃないぞ獅子アサド!」

「まぁ、その話はいい。 それで、こういうときは誰に相談すればいいんだ?」

「そういうのは城の経理に相談してくれ。 女王は忙しいんだ」

 そう言うなり、近習の一人はシッシッと手を振ってジンを追い払う。

 むろん邪険にするつもりでは無い。 彼らはこの厳つい見た目の男との会話を心から楽しんでいた。


「お前等、俺に冷たすぎないか? もう少し優しくしてもバチはあたらんぞ。

 あと……女王には、あまり無理して体を壊すなと言っておいてくれ」

 そういい残して立ち去ろうとするジンだが、ふと近習の一人が彼を引き止める。


「あぁ、郊外に出るなら一つ頼まれてくれませんか?」

「……なんだ?」

 いぶかしげに首をひねるジンに、その近習は本物の嫌悪を顔に貼り付けながら告げた。


「実は、また女王への求婚者が来ているんですよ」


***


獅子の精霊アサド・ジン様ですね? ええ、お話は伺ってます」

 経理部を訪れたジンに対応したのは、年配のふくよかな体つきをした文官の男だった。

 おそらく、ジンの対応をするだけの度胸を持つ文官が、彼しかいなかったのだろう。

 この男、とにかく見た目の印象が怖いのだ。


「ここにくれば、小遣いをくれるって話だったんだが、間違いないか?」

「えぇ、間違いありません。 しかし、小遣いですか……」

 なぜか文官は渋い表情をした。


「じゃあ、近郊の村で買い食いをするのと……あとは女王のための食材を買いたい、そのぐらいの金をくれ」

「はぁ……では、これを」

 だが、差し出された小袋の中身を見て、ジンは怪訝な顔になる。


「なんで金貨なんだ?」

「なぜといわれましても、そのぐらいは必要でしょう? いつも貴方様の名義で届く請求書のほうがよほど高額かと」

 なんだろう、このボタンを掛け違えたような違和感は。

 ジンと文官は、互いに居心地の悪さを感じていた。


「……何かの間違いじゃないのか? 俺は神から与えられた能力でずっと食事をまかなっているし、衣類は最初に用意してもらったきりだぞ。

 請求書なんて出した覚えが無いんだが?」

 ――何かがおかしい。

 ジンは思わず首をひねる。

 彼の普段の生活はきわめて清貧であり、贅沢など一つもしていない。

 そもそも、朝と昼に神から与えられた食材を使って貧民外で炊き出しを行っており、享楽的なことなど何一つする暇が無いのだ。


 なお、彼がなぜそんな事をしているかというと、他に出来る事も考え付かなかったことと、神より与えられた食材は神の子に還元されるべきだと考えたからである。

 それに、この世界で富める者が貧しいものに施しを与えるのは義務であり、大きな美徳とされているからだ。


 ちなみに、食事と共にどこからか拾ってきた訓話を面白おかしく語るジンの炊き出しは人気があり、貧民街における彼の人望はうなぎのぼりだった。

 そして腹も心も満たされた人々は争うことがなくなり、治安もかなり改善しはじめている。

 まさにこの世にあるべき奉仕の心と神の恩寵のなせる業だ。


「一つ確認ですが……貴方の生活費について、王配候補ということで特別に予算が組まれているのはご存知でしょうか?」

「そんな話は初耳だ。 俺は金なんてまったくもらった覚えは無いぞ?」

 だからこそここに来る必要があったのだから、間違いは無い。


「俺はな、居候も同然の身で贅沢をするほど恥さらしはないし、神は清貧を尊ぶと聞く。

 俺はけっして賢くは無いが、わざわざ神の不興を買うほど馬鹿ではない」

 そもそも神の被造物ですらない彼がここで暮らしてゆけるのも、ひとえに神の好意あってのことである。

 まぁ、向こうにもいろいろと思惑はあるようだが、そこは信用すべきだと彼は考えていた。

 そして、他人の好意を踏みにじるような行為など、この男がもっとも唾棄する振る舞いの一つである。


「あえて金がかかったとしたら、緑の宮カスル・アフダルの管理費用ぐらいだと思うが……」

 それとて、ジンのところに請求が来たことは無い。


「それはまったく別の予算の枠組みになります」

 ここまできて、ようやくジンと文官は何がおかしいのかに気づいて視線を合わせた。


「ふざけた奴がいるようだな」

「大変申し訳ありませんが、しばらくの間はジン様が直接来い限り請求書を受けつけないようにしておきます」

 文官の目の奥に烈火のごとき怒りがあることを見て取り、ジンはすべてを彼に任せることにした。

 なお、この文官の正体がこの国の財務大臣サイードであることを彼が知るのは、かなり後になってからの話である。

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