第三節 女王よ、宝石は好きや否や

「何者だ!?」

「俺の名は麻戸あさど じん。 よその国からきた料理人だ」

 誰何すいかする声に、男は恐れも無くそう答えた。


獅子の精霊アサド・ジン?」

 聞きなれない名に、男の近くにいた兵士が思わず聞き返す。


 奇しくも、男の苗字は獅子アサド、名前は精霊ジンという意味の言葉であった。

 獅子アサドはいう苗字はこの国でも武人の家に好まれる代物ではあるが、精霊ジンの名は人としてあまりにも異質である。

 そして篝火に照らされるところまでやってきた男を見て、人々は驚く。

 彼の姿が、まさにその名にふさわしい威容であったために。


「こ、これは……まさか本当に精霊ジンか!?」

「悪いがこれでも人間だ。 少し傷つくぞ」

 平然とした顔でそう語る男の身の丈は、この国の男たちよりも頭一つ高く、少なくとも190センチは越えているであろう。

 見慣れぬ服の上からでも盛り上がった筋肉がよくわかり、顎鬚あごひげと繋がった黒髪は逆立ち、まるで獅子アサドたてがみのようである。

 なによりも、この国で色男の条件とされるその鋭い目は刃物のようであり、猛悪な精霊といわれたほうがしっくりとくるほど力に満ちていた。


「あぁ、最初に言っておく。

 俺はとある存在から依頼を受けてこの審判に参加させてもらうが、心配しなくても王になるつもりは無い」

「なんだと?」

 続いて飛び出した暴言に、王宮の住人たちはひどく驚いた。

 むしろこの姿と性格ならば、『審議など知るか! 今日からこの国は俺のものだうはははは』といわれたほうが納得できるだろう。

 むしろ聞き間違いをしたのではないかとしばらく考えてしまった者が多かったほどだ。


「なんで頭を抱えているのかはしらんが、俺はこの女王の馬鹿げた誓いをやめさせに来ただけだ」

 なんともいえない表情をしている城の住人たちに、男は軽く微笑みながら首をかしげる。


「……無礼者め。 我を侮辱するか」

 ムッとした表情で無礼な男をにらみつける女王だが、なぜかそんなに機嫌が悪いようには見えなかった。

 粗野な容貌にあけすけな物言いだが、悪意を感じない上にあまりにも本人の姿に似合っているせいか、もはや妙な魅力になってしまっている。

 なんとも恐ろしげで、つかみどころがなく、なのに憎めない。

 実に不思議な人物であった。


 そして男は止めるまもなく女王の前に歩み出ると、ひざを折り、玉座に腰掛けた女王と目の高さを同じにする。

 何と言う無礼。 まるで自分と女王が同格だとでも言わんばかりの態度だ。

 こんな事は許されるはずも無い。

 なのに、誰も口を出すことの出来ない。

 玉座の間に、妙な空気が漂っていた。


「女王がこのようなことを始めた理由を、俺は知っている。

 そして、今はもうやめたがっていることも教えてもらった」

 男の発言に、一瞬周囲がざわめく。

 それは、紛れも無く禁忌の言葉であった。


「止められるのか? お前に」

 だが、男の言葉に女王は目を細くしてにらみつけるだけで、特に越えを荒げることは無い。

 一見して不機嫌に見えるが、実はこれが機嫌のいいときの表情であることを、侍女の何人かは知っていた。


「俺が女王を満足させて、その上で結婚しないと宣言すればいいだけだ。

 簡単なことだろ?」

「ほぉ、面白いことを言ってくれるな。

 我はまだお前の料理を見てもおらぬというのに、気に入るのが当たり前のような言い方をする。

 ずいぶんと大きな口を叩くが、弱い犬ほどよく吼えるという言葉を知っているか?」

 台詞からすれば売り言葉に買い言葉だが、傍から見るとなぜか獅子のつがいが戯れているようにしか見えない。


 もしかしたら、この二人は似たもの同士なのではないだろうか?

 近習の一人がそんな事を心の中でつぶやいたのも、無理からぬ話である。


「それもそうだが、俺は弱くないし、わりと料理のほうにも自信があるぞ?

 さっきのやり取りで、何が問題なのかはしっかり見せてもらったしな。

 しかしまぁ……可愛そうに。 よほど見る目のない男ばかり相手にしてきたんだろ」

「なんだと!?」

 プライドの高い者は、同情されることを嫌う。

 ましてや国の女王である身では、好き嫌いにかかわらず他人から哀れみを受けるなどあってはならない。


 だが、男はそんな様子にまるで頓着とんちゃくせず、その太くて長い指で女王の腰を指差した。


「女王、コルセットはどうした?」

 その言葉に、近習や兵士たちはハッと驚いて息を呑み、侍女たちはまさかそこに気づく者がいるとは……と、驚きの目を男に向けた。


「気づいたのはお前が初めてだよ、獅子の精霊アサド・ジン。 褒めてつかわす」

「いや、基本だろ?

 少しでも女王のことを考えていれば、こんな場所にコルセットもなしに出てくることがおかしいってことぐらい気づいて当然だ」


 だが、そのちょっとしたことにも気づかないのがたいていの男という生き物である。

 連中の大半は、髪を切っても、化粧を変えても気づかない。

 周囲の侍女たちの目に、獅子の精霊アサド・ジンを名乗る男を賞賛する視線が少しだけ混じり始めた。


「なにせ、隣にはコルセットをガチガチに絞めたお嬢さんがたくさんいるのに、一人だけ違うってのは変だ。 普通は何かあると思うだろう?

 身分が上の人間が略装をする習慣は珍しくないが、求婚者相手にそれはちょっと気が緩みすぎだよなぁ。

 だとしたら、選択肢はそう多くは無い。

 料理を作らせておいて、すでに満腹ってのはひどいぜ、女王。

 まぁ、そんな事にも気づかない男が女王を……ましてや多くの民を満足させることが出来るとは思えないけどな」

 その言葉に、シェヘラザードは驚きを隠せなかった。

 半ばヒントのつもりでつけなかったコルセットだが、そこに気づくどころかその趣旨まで見抜く男など一人もいなかったからである。


 彼は……今までの男たちとは違う。

 もしかしたら、神が私のために遣わしてくれた伴侶なのだろうか。

 シェヘラザードは自らの中になにか狂い惜しい熱のようなものを感じ、女王の仮面の下で激しくうろたえていた。


 なんだこれは。

 こんなんわけのわからない感情、余は知らぬぞ!


「では、私にどんな料理を持ってきても無駄なのは分かっているであろう。

 今なら許す。 立ち去るがいい」

 これ以上は危険だ。

 平民の男を伴侶として迎えれば、それはこの男にとってひどく窮屈で辛いことになるだろう。

 おそらくこの男の本質はまさに獅子のようなもの。

 獅子は野に生きる生き物であって、手元において飼いならす生き物ではない。

 これ以上話をしていれば、たぶんこの男をここに縛り付けてしまいたくなる。

 たとえそれが、この男の意志に反する事になろうとも。


 だが、男は大きく横に首を振った。

 そして優しく力強い声で告げる。


「まさか。 それでは依頼者との約束をたがえてしまう。 俺には貴女を満足させる義務があるんだ」


 ――やめよ。 これ以上、余を誘惑するな!

 ああ、認めよう。 これが世に聞く一目ぼれと言う奴じゃ。

 これは、おそらく恋というものなのであろう。

 なんたる頽落たいらく

 そして余を狂わせておいて、お前なしではいられなくなったあと、お前は願いをかなえ終わったランプの精のように私を置いて消えてしまうのだろう?

 それはあんまりではないか。


「そうまで言うならもはや止めぬ。

 だが、何をもって我をもてなすつもりじゃ?」

 どうしようもなく惹かれてゆく思いをこらえ、心の裏側で泣きそうになりながら告げた台詞に、男は人喰い獅子のような顔を人好きのする笑みに作り変えながら告げた。


「女王よ、宝石はお好きかな?」

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