第二章 お嬢様? 常識外れの金髪少女

第6話 夢

「だから、そこはこの公式に当てはめるんだってばー」

「こ、こう……か?」

「違うよー。公式を覚えたのは偉いよね。だから、次はその応用を頑張ろうね」


 誰も居ない教室で、セーラー服姿の明日香が僕の解答を見ながら、丁寧に教えてくれる。

 だけど、どうしてこう数学ってやつはこんなにも難しいのだろう。

 意味不明に沢山ならんだ数字が、僕の視界で右へ左へと踊っているかのように思える、


「んー、空が暗くなってきたから、優斗がその問題と、次の問題を解いたら帰ろっか」

「うーん。この問題だけじゃダメか?」

「ダメだよー。あ、次の問題はノーヒントだから」

「えぇぇぇーっ!」


 思わず頭を抱えそうになるけれど、大学受験が待ってくれる訳ではないので、逃げてはいけない。

 明日香と同じ大学へ進学して、夢のキャンパスライフを送るためにも。

 マンガなんかで良くある話では、高校で付き合っていても、同じ大学に行こうとして、男が浪人したら大概破局を迎えている。

 新しい生活でサークルやバイトと、新しい人間関係が始まり、一方で大学生の彼女に対して浪人生である事の引け目があって、疎遠になっていくというのが定番だ。

 彼氏彼女ですらそうなるのに、ただの幼馴染でしかない僕なんて、同じ大学に進学出来なければ、確実に忘れられる。

 明日香の周辺を取り巻く環境から、僕という存在がすっぽり消えてしまうんだ。


「そんなの絶対に嫌だっ!」

「どうしたの? 今の問題が解ければ、次の問題だって同じように解けるよ?」

「あ、違うんだ。ごめん」


 しまった。つい考え込み過ぎて、叫んでしまっていた。

 とにかく今は、この問題に集中しなきゃ。


……


「出来たっ! 出来たよ、明日香っ!」

「うん。答えも大丈夫ね。じゃあ、帰ろっか」


 荷物を片付け、明日香と共に放課後の教室を後にする。

 勉強を教えてくれた明日香に感謝のお礼を述べつつ、歩いていると、ポツリと手に水滴が落ちた。


「げ、降ってきた!」

「あー、雲がどんよりしてたもんね」

「明日香、走れる?」

「大丈夫よ。私、折り畳み傘持っているし」

「そっか。じゃあ、俺は家までダッシュで帰るよ。勉強教えてくれてありがとうな!」


 鞄を抱え、走りだそうとしたところで、急に腕が引っ張られる。


「え?」

「え? じゃないわよ。傘を持ってるって言ったじゃない」

「でも、一本しか無いんだろ?」

「一本あれば十分でしょ。はい、どうぞ。あ、優斗の方が背が高いんだから、傘は持ってね」

「……え? いいの?」

「いいの……って、受験生が濡れて帰って、風邪でもひいたらどうするのよ」


 小さな赤い折り畳み傘に、明日香と二人で入り、並んで歩く。

 明日香がすぐ傍に居て、時折傘を持つ俺の左手が明日香の腕に触れる。

 いいのかな? 僕、こんなに幸せで良いのかな?


「ちょっと、優斗。そっち、濡れてるんじゃない?」

「いや、全然。ほんと、大丈夫だから」


 幼馴染の女の子と一つの傘に入れるなんて、かなりの幸運だと思うんだ。

 雨が降る事。傘が一つしかない事。帰る方向が同じ事。そして何より、幼馴染の女の子が居るという事。

 ある意味夢のシチュエーションじゃないか。この夢の状況を守るためなら、少しくらい濡れたって全く対した事ではない。


「って、優ちゃん。ほら、やっぱり濡れてるやん。風邪ひいちゃうって」

「いやいや、本当に大丈夫だって」

「そんなん、アカンわー。ほら、ウチの家がすぐそこやから上がって。それから、濡れた服も乾かすから脱いでー」

「あ、明日香?」

「ほらほら、ズボンも。それから、風邪をひいたらアカンから、服が乾くまでベッドで待ってて」

「ちょ、明日香? どうして、明日香まで服を脱いでいるの!?」


 何故か、全裸にされた僕は見覚えのあるベッドに押し込まれ、下着姿になった明日香が僕の上に覆いかぶさってきた。

 服の上からでは全く想像がつかなかった、予想外に大きな胸が、僕の身体に押し付けられる。

 明日香の胸は控えめだと思っていたのに、どれだけ着痩せしているんだよっ!


「あ、明日香?」

「大丈夫やで、優ちゃん。ウチに身体を委ねたら良いねん」

「あ、ちょ……そこは……」


 僕は柔らかくて暖かいけれど、重量感のある膨らみに押しつぶされ、


「……っ!? ゆ、夢か」


 明るくなった自分の部屋で、定番の夢オチに見舞われる。

 明日香の家に寄ったはずなのに、僕のベッドだったし、明日香はあんなに胸が大きくない。それに何より、明日香は絶対にそんな事を自分からしないだろう。

 だけど、ベッドから見える視界は僕の部屋の天井なのに、何故か夢の続きかのように身体の上に何かが乗っている。

 左手は……動かない。どうやら、僕に乗る何かが、左腕も巻き込んでいるようだ。

 右手は……動く。僕の上に乗っているのが何なのかと、ペタペタと触ってみると、サラサラとした細い糸のような物に触れる。

 そのまま柔らかい何かを触り続けていると、


「ん……」


 小さな声と共に、僕の上に乗っていた物がもぞもぞと動いた。


「――っ! リ……」


 思わず叫びそうになった所で、何とか口を塞いだ。

 というのも、スケスケシースルーの服(これは服って言うの!?)を着たリナさんが僕の左腕に抱きついている。

 どうして、リナさんが僕のベッドで眠っているんだよっ!

 優子が別の部屋を用意していたよね!?

 というか、ミウちゃんはどうしたのっ!?

 ツッコミたい事がたくさんあるけれど、とにかく一番マズいのが、僕のお腹だ。

 リナさんの寝相が悪いのか、太ももかな? それなりの重量が僕のお腹に乗っている。

 これをどけるには、当然手を触れないといけないのだけれど、太ももに触れてしまって良いのだろうか。

 一先ず、唯一自由に動く右手をお腹の方へと伸ばそうとして、


「……優ちゃん。……寂しかった……」


 リナさんがポツリと呟く。

 どうやら寝言らしいけれど、一体どんな夢を見ているのだろう。


「優ちゃん……か」


 僕の父さんと母さんはとても仲が良く、今も二人っきりで海外旅行へ出かけている訳だけど、未だに母さんが父さんの事を「優ちゃん」と呼んでいる。

 先祖代々、「優」という字が名前に付く家系とはいえ、まさか父さんと同じ呼び方をされる日が来るとは思わなかったよ。

 しかし、それにしてもリナさんは本当に誰なんだろう。クゥクゥと寝息を立てるリナさんの顔を至近距離で見ていると、


「お兄ちゃん、おっはよ……って、昨日はリナさんたちとは何の関係も無いって言ってたのに……お兄ちゃんのケダモノーっ!」


 いつもの様に起こしに来てくれた優子が、僕をケダモノ呼ばわりして部屋を出て行ったのだった。

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