第5話 夕食

「あぁぁぁ、可愛いっ! 可愛いよぉ……」


 僕たちの目の前で、琴姉ちゃんが眼鏡が当たらないように気をつけながら、ミウちゃんのモチモチと柔らかそうな頬にスリスリしている。


「こ、琴姉ちゃん?」

「――っ!? 違う……これは、確認……。そう、幼女の肌から健康状態を確認した。この子は大丈夫……」


 僕の言葉で我に返ったかのような琴姉ちゃんが、静かにミウちゃんを下ろす。

 僕には頬ずりしただけにしか見えなかったけれど、薬学部で博士号を取っている琴姉ちゃんが言うのだから、きっとそういう確認方法があるのだろう。

 ただ琴姉ちゃん何故か僕から顔を逸らし、目を合わせてくれない。口では大丈夫と言っていたけれど、実は何かあったのだろうか。


「優君。新しい出会いを祝って、食事にしよう。食事を共にすれば、皆仲良し……」

「それ、琴姉ちゃんがお腹空いたってだけだよね? というか、食事にしようって言っても、琴姉ちゃんは料理できないでしょ」

「大丈夫。私の代わりに優君が作る。優君は出来る子……」


 十年振りくらいに琴姉ちゃんと再会したというのに、子供の頃と全く変わらないな。

 実際、僕は幼い頃から妹の優子と一緒に母さんの手伝いをさせられてきたから、それなりに料理は出来るんだけどさ。

 苦笑しながら立ち上がると、僕と共に明日香も立ち上がる。


「えーっと、優斗。ご飯作るなら、私も手伝おうか?」

「あ、そうだね。じゃあ、明日香にも手伝ってもらおうかな。今日はいつもより人数が多いから……って、本題をすっかり忘れてたぁぁぁっ!」


 廊下に出ようとして足を止め、振り返るとミウちゃんがリナさんと手遊びをしていて、その様子を食い入るように琴姉ちゃんが見つめていた。


「……明日香。とりあえず、食事の準備を手伝ってもらっても良い?」

「それは良いけど、あの人、リナさんはどうするの?」

「小さなミウちゃんも居るし、少し早いけど、夕食を食べながら話し合おうか」

「分かった。ふふっ、やっぱり優斗は子供に優しいんだね」


 子供に優しい……か。

 明日香にはそう見えるかもしれないけれど、実際の僕は……


「ところで、優斗。ミウちゃんは除いたとしても、優子ちゃんを入れて、優斗に私、琴音さんにリナさんで、五人分も食材があるの?」

「あー、無いだろうなー。優子は朝から部活に行っているし、琴姉ちゃんが買い物に行ってくれているとは思えないもんな」


 明日香と一緒にキッチンで冷蔵庫の中を確認してみたけれど、予想通りたいした食材が無い。


「ちょっと、スーパーまで行ってくるよ。琴姉ちゃんが魚を食べたいって行っていたしね」

「あ、私も一緒に行く。けど、ちょっとだけ待ってね。ご飯だけ炊いて行こうよ」


 炊飯器にお米をセットして、買い物袋を手に取ると、明日香と共に外へ出る。


「あ。でも、自転車が一つしかないや」


 家が山の中腹にあるので両親は自転車に乗らないし、優子の自転車は本人が部活へ行くために使用中。

 残っているのは僕の自転車一台だけだ。


「大丈夫、大丈夫。優斗が頑張れば良いんだよ」


 そう行って、後ろの荷台に腰を下ろした明日香が、早く早くと手招きする。


「この辺、坂道ばっかりなんだけど」

「あはは、頑張れー」

「えぇーっ!」


 行きは下り坂だから、まぁ良いか。

 銀色の自転車が走り出すと、腰に細い手がそっと添えられ、僕の背中に明日香の顔が触れる。

 考えてみたら、長い間幼馴染として一緒に居るけれど、明日香と自転車で二人乗りをしたのなんて初めてだ。


 このまま目的地に着かなければ良いのに。


 内心そんな事を思いながら、ゆるやかな下り坂をゆっくりと降りて行く。

 だけど残念な事に、数分もすると目的地であるスーパーに着いてしまった。


「さて、お魚がメインだよねー? 何が良いかな? 小さな子が居るから、お刺身とは避けた方が良いよねー」

「え、そうなの?」

「詳しい訳じゃないけど、育児の本とか読んだ時に、そんな事が書いてあった気がするんだー」

「ふーん、そうなんだー。でも、どうして育児の本なんて読んだの?」

「それはもちろん、将来子供が出来……な、何でもないのっ! 偶然、偶然読んだのよっ!」


 そんなに恥ずかしがらなくても良いのに。

 うちの家なんて、優子が保育士を目指しているから、その手の本がいっぱいあるし。

 まぁ僕は読んだ事がないから、内容は知らないんだけどね。


「ちなみに、優斗は食べたい物とかあるの?」

「僕? 明日香が作ってくれた物なら何でも嬉しいけど」

「な、何を言っているのよっ!? な、何でもだなんて、い、一番困るリクエストじゃない」


 そ、そんなに顔を真っ赤にしてまで怒らなくても良いのに。


「でも、ふと思ったんだけどさ。リナさんって外国人だけど、どこの国の人だろ?」

「さぁ……肌が雪みたいに白いから、ヨーロッパとかじゃないのかな? で、優斗はどうして他人のはずのリナさんの出身を気にするのかしら?」


 明日香。目が笑っていない笑顔は怖いって知ってる? あと、迫り過ぎっ! 顔が近いよっ!


「いや、琴姉ちゃんは魚が食べたいって言ってたけど、日本と違って魚を食べる文化があるのかなって思って」

「あー、海に面している国だと食べそうだけど、内陸国だと食べないかも。琴音さんに電話して、聞いてもらったら?」

「琴姉ちゃん、こっちにスマホを持って来てないんだよ。家の電話に掛けてみるけど、出てくれるかな?」


 暫く待ってみたけれど、僕のスマホからは呼び出し音が鳴り続けるだけで、出てくれる気配はない。

 まぁ琴姉ちゃんは、ゴールデンウィーク限定の居候みたいなものだから、家の電話には出てくれないか。


……


「なるほど。それで、こうなったんだ……」


 部活から帰ってきたセーラー服姿の女子高生、優子も加わって皆で夕食を囲む。

 和室の机に並ぶ、海苔と酢飯とカットされた食材。

 琴姉ちゃんの希望の魚と、リナさんにウケそうな日本食。それからミウちゃんの事を考え、大丈夫な物だけを選んでもらう……そう考えた結果、材料だけ揃えて後は自分で作ってもらうスタイル――手巻き寿司パーティとなってしまった。

 生魚がダメだった場合のために、きゅうりとかソーセージに、卵焼きなども用意したので、特に問題なく食事も進む。

 特にリナさんは、手巻き寿司は初めてだと言いながら、サーモンを大量に食べていた。あの細い身体のどこに入るのだろうか。……胸か!? あの胸に蓄えられるのかっ!?


「ところで、お兄ちゃん。夕食が手巻き寿司になった理由は分かったけれど、そちらのリナさんとミウちゃんは、この後どうするの?」


 海苔は使わず、ご飯と卵焼きだけでお腹いっぱいになってウトウトするミウちゃんを、リナさんに代わって抱っこする優子が、もの凄いジト目で僕を見てくる。


「え、えっと、とりあえず勘違いだと思うので、今日の所はお引取りいただこうかなって」

「もう日が落ちてるのに? ミウちゃんなんて、まだ二歳にもなってないのに? 今から? どこへ? 話を聞けば、お兄ちゃんに会いに来たんでしょ? それを追い返すの?」

「いや、優子。でも、僕が結婚なんてしていると思う?」

「お兄ちゃん。今はその話じゃなくて、お兄ちゃんが大事な話をせずに、こんな時間まで引き止めてしまった事についてどうするのか聞いているんだよ?」


 ぐ……優子の言葉が正論過ぎて反論出来ない。

 夕食を食べながら話をするつもりが、琴姉ちゃんの分を巻いたりしているうちに……いや、言い訳はやめよう。

 そうだ、僕が話を先延ばしにしてしまったんだ。


「部屋はいっぱい余っているから、今日の所はうちに泊まってもらおうか」

「うん。優ちゃん、ありがとー!」


 状況を理解しているのかしていないのか、リナさんが腕に抱きついてきた。


「……そうね。ミウちゃんも眠そうだし、それが良いと思う」

「ちょ、ちょっと待って。じゃあ、私も……」

「明日香さんは、そこまで家が離れていないでしょ? 大学生とは言っても、外泊はダメですっ!」

「え!? でも……」

「お兄ちゃん。リナさんの部屋は私が用意しておくから、明日香さんを家まで送ってあげて」


 おそらく、この家で母さんに次いで強い優子(父さんも優子には甘い)により、リナさんが我が家に泊まる事になったのだった。

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