第12話 夜物語ゆうぎりスパイダー

 蜘蛛。それは、節足動物門。鋏角亜門クモガタ綱クモ目に属する動物の総称である。

 クモは糸を出し鋏角に毒腺を持ち、それを用いて小型動物を捕食する。


 一般的にはその外見的特徴から、忌み嫌われる存在として名を馳せてはいるのだけれど、地域によっては古来クモを見ることによって、縁起をかつぐ風習が存在するのも紛れもない事実である。


 代表的なのはいわゆる「朝蜘蛛」「夜蜘蛛」という概念であり「朝にクモを見ると縁起が良く、夜にクモを見ると縁起が悪い」。


 しかし現代社会において、都会で暮らしている者にとって、朝も夜も蜘蛛を見ることがないのも、また疑いようのない事実である。

 否、蜘蛛は何処にでもいるのであって、砂漠、高山、森林、草原、湿地、海岸など、あらゆる陸上環境に分布しては自慢の網目状の巣を作り、否応なく中心で獲物を悠々と華麗に、気品さえをも醸し出し、淡々と待ち構えているのだ。



 それは蜘蛛の糸であって彼らの生存競争による意図でもあった。

 ここまでは、オンライン参加型百科事典というメインに、持論をそれこそ前菜にもならないような知識を披露したに過ぎない。



 女郎蜘蛛。または絡新婦じょろうぐも。『絡』糸で纏いつく『妊婦』腹の中に膨れて抱き抱える。つまりは絡んでくる身重の女性である。

 この二つの意味を持つ彼女は唐突と、それこそ鎖国をしている最中に異国からやってきた招かざる客人の様に、高圧的、かつ巧妙に彼らに迫ってきては、すぐさま話題の中心になったのだけれど



 これはたった一日しか働かなかった。彼女の彼女による彼女にしか分からない、妖しくも寂しい夜の物語。




「店長、体入の子が来ましたよ」



 控え室のドアを開けるとエルフであるセイラは、中でPCとにらめっこしていたマサムネに声を掛けた。セイラは髪型をコロコロ変える事で自分の気分をも変える様な所があり、今日は長い金髪をツインテールにしていた。



「あぁ。控え室に案内してくれ。ってか、お前はツインテールにすると少女にしか見えないな」



「少女は少女でも『美』少女ですから。ってか、マサムネよりも何倍も年上だっての」


 セイラはムッとしては、口を尖らせて反論すると勢い良くドアを閉めた。

 閉めたドアの中からは「マサムネじゃなくて、店長だ」との声が微かに聞こえてきた。




 トントントン


「体験入店する事になっている『夕霧』じゃ」



「どうぞ、お入り下さい」



 夕霧は控え室に入るとマサムネを一瞥した。マサムネが椅子を指し示すと、夕霧は失礼する。と、凛とした声で告げ椅子に座った。



「初めまして『ドゥルキス』の店長をしておりますマサムネです」



 マサムネは名刺を手渡すと、夕霧は名刺を目を細目確認するように見ては、テーブルに置いた。



「わらわは絡新婦の『夕霧』じゃ。分からないことだらけじゃが、頑張るゆえ今日は宜しゅう」



「こちらこそ宜しくお願いします。最初は誰でも同じですから心配されなくても大丈夫ですよ。一応、先輩の女の子とペアで接客して貰いますから」



 夕霧は頷くと一切の迷いもなく給料の話を切り出してきた。



「わらわの時給の事じゃが、体入なので仕方ないが、もう少し上げては貰えんかえ?」



 マサムネは経験者でもないのに最初から時給を上げろとの要求に、外見上は落ち着きを払いながらも内心はイラついていた。



「夕霧さんは未経験ですよね? それならば、まずは仕事に慣れることを優先された方が良いですよ。頑張れば後から付いてきますから」



 夕霧は表情を変えずに、マサムネを見据えると同じ要求を繰り返した。



「短期間で稼ぎたいのじゃ。正直、わらわは見た目も良い。未経験じゃが即戦力になれるじゃろ。時給によってわらわのモチベーションも変わろうというものを」



 稼ぎ時で少しでも女の子の数は揃えたい。夕霧は確かに見た目は綺麗であり気品があり、それでいて大人の妖しい色気が漂っていた。マサムネの母国であるニホンの花魁でも一部にしか名前を許されない◯◯太夫と呼ばれていてもおかしくなかった。可愛らしい子が多いドゥルキスでは貴重な存在になるかもしれない。

 そう結論付けると、右手の中指で眼鏡を押さえマサムネは答えた。



「分かりました。最初から経験者と同じ時給に致します。ただし、今日の働き次第では未経験者と同じ時給に戻す事も有り得ますが、それでも宜しいですか?」



 夕霧はテーブルに置かれていたティーカップを手に持つと、微笑み紅茶を口にした。



「それで良い。で、具体的には、どの位の働きを見せれば良いのじゃ?」



「そうですね。ドゥルキスはガールズバーですから、指名料はないですが、接客したお客様からのドリンク代は折半になります。まずは、このドリンク代をペアを組むセイラの8割。達成出来たら経験者給で出しますよ」



「承知した。もし、私がセイラとやらの150%のドリンク代を稼いだとしよう。そうなったらバック料金もわらわが6で店が4で、どうじゃ?」



 マサムネが驚いた様に夕霧を見ると、夕霧は当たり前の顔をして言葉を口にした。



「初日からそれくらい稼いだら、これからにも期待は持てるじゃろ」



 流石にセイラもドゥルキス内では上位のドリンク代を稼ぐので、未経験者が初日からセイラの1.5割増は行くわけがないとマサムネは考えた。万が一、本当に出来たとしたら、それはそれで店の売り上げにもなるので特に断る理由もマサムネにはなかった。



「分かりました。その条件で良いでしょう。給料面は以上で大丈夫ですか?」



「大丈夫じゃ」



 夕霧は満足したのか、わざと生足をマサムネに見えるよう足を組み替えては挑発するように口角を上げた。



 マサムネは普段からリリムの色気や美雨の美脚に慣れているとはいえ、夕霧の絡まりつくような、ねっとりとした視線に少しの興奮と寒気を覚えると話題を移した。



「仕事面ですがお客様のお話を聞い」



「大丈夫じゃ。わらわは見て覚えるタイプでな」



 お金の話以外は興味が全くないと。でも言うように夕霧はマサムネの言葉を遮った。



「そうですか……では、開店まで少し時間もありますので、掃除をしているセイラを手伝って下さい」



「乗り気はしないが、仕方ないのう。了解じゃ」



 夕霧は紅茶を飲み干すと、マサムネに挨拶もなく控え室を後にした。ドゥルキスの店内では、ちょうどセイラが掃除を終わらせる所であった。




「あ。ど~も、さっきは名乗らなくてごめんなさいね。『セイラ』です。今日は私とペアになるので、宜しくね」



 セイラは控え室から出てきた夕霧に挨拶をすると、握手を求めてきた。



「わらわは『夕霧』じゃ。セイラ、わらわの邪魔をするでないぞ。獲物はわらわが、わらわのタイミングで好きな様に頂くのでな」



 夕霧はそう言うとセイラの握手を無視しては、バックバーの棚を見て歩いた。


 夕霧は独り言の様に、別料金のお酒の名前とその値段を言っているようだった。



「『夕霧』さんか。変わってる子だな~」



 セイラは握手を無視されたのも意に介さずに、酒を手に取っては何かを確認している夕霧を見ては呟き、身だしなみの最終確認をする為に控え室へと歩いた。




 時計の針はもうすぐで19時を指し示す。

 今宵も『ドゥルキス』開店になります。

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