第13話 夜物語ゆうぎりスパイダー②

 夕霧は開店時刻ギリギリまで、店内の隅々を確認するかの様に歩き回っていた。



 開店と同時に赤いドゥルキスのドアは開き、一人の常連客が入ってきた。特にお気に入りの子がいる訳でもなく、その時々で付く女の子と楽しくスマートに飲むニンゲン客である。



「どうも。今日は開店からいる女の子少ないね」



 ニンゲンは店内を見回すと柔和な笑顔で、バックバーから迎えに来たセイラに軽く手を上げた。



「悠平。いらっしゃい! 今日は21時過ぎからは多くなるけど、それまでは少ないかな。でも、美人な女の子が体入で出てるからね」



 セイラは悠平を招き入れると、カウンター席へと案内した。悠平は椅子に座りカウンター越しで準備していた夕霧と目が合うと、驚きを隠せずに思った言葉が口に出た。



「凄い美人さん。名前教えて」



「『夕霧』じゃ。初めてゆえ、至らぬ所もあると思うがその時は許してたも」



 夕霧は真っ直ぐに悠平を見つめると、妖しくも美しい笑顔を浮かべ答えた。

 色白の肌に唇は赤くその淫靡な唇から漏れる艶かしい声は、悠平を虜にさせるには十分だった。



「『夕霧』か外見とピッタリな良い名前だね。僕は『悠平』何飲む?」



 メニュー表を渡された夕霧は、視線を落とすとメニュー表を顔の近くまで近付かせていた。



「悠平は何飲むかな? で、私も飲んで良いよね?」



「もちろん。セイラも飲みなよ。僕はハイボールで」



「やった。ハイボール了解。私はレモンライム。夕霧ちゃんは?」



 夕霧は目を細めたりしながら、まだメニュー表を見ていた。



「夕霧ちゃん?」



「わらわは目が悪いのでのう。びっしりメニューが並んであると読めなんだ」



 悠平は少し笑うとそれならば。と、別料金のメニュー表を渡してきた。



「ふむ。これならば読みやすい。礼を言おう。わらわは、この純米大吟醸とやらで良いかえ?」



 悠平は目を丸くすると、困った顔をした。それを見ていたセイラは助け船を出す事にした。



「夕霧ちゃん。こっちの方が飲みやすいから一杯目はこっちにしなよ」



 セイラは特別純米酒を指差し、夕霧に提案したものの、夕霧はカウンターに置かれていた悠平の手の甲を、自分の指で卑猥にさすったり、なぞっては悠平を見据えた。



「セイラちゃん。大吟醸で良いよ。僕は夕霧にとって初めての客だからね。何か特別なものを彼女に記念として残したい」



「あと、わらわには水も頼む」



 セイラは納得してなさそうだったがお客様が言うならとの事で、マサムネにオーダーした。



「は? 大吟醸!?」



 マサムネはセイラからオーダーを聞くと、思わず声を上げてしまった。



「ん。大吟醸。なんか、悠平がそれで良いってさ」



「分かった。お客様に無理をさせない様に見といてくれ」



 マサムネはハイボールとレモンライムを作るとセイラに手渡し、漆箱から大吟醸の紫のボトルを、手に取り出し徳利へと移し変えた。



「ハイ。悠平のハイボール」


 セイラはカウンターにハイボールを置いた。



「お待たせしました。悠平さん、大吟醸ありがとうございます」



「良いよ。良いよ。夕霧の初めてだからね」



 マサムネは徳利を持つと陶器で出来たお猪口に注ぎ夕霧の前に置くと、その場を離れた。



「何かフルーティーな良い匂いがするね」



 セイラはお猪口に鼻を近付けると大吟醸の香りを楽しんでいた。



「わらわは飲まん。水で良い」


「え? どういうこと?」



 セイラは夕霧に問い掛けると夕霧は悪びれた様子もなく答えた。



「わらわは酒は飲まん。なんなら悠平が飲んで良いぞ」



「じゃあ。何で頼んだのよ?」



 セイラは怒りよりも純粋に疑問に思っていた。



「無論、高級じゃからだ。わらわが飲まなくても、わらわと一緒に飲みたい男は高級な酒でなくてはならない」



 悠平は困ったように笑うとお猪口を取り自分の手前に置いた。



「ははっ。まいったなぁ。まぁ、あまり飲める機会もないし、僕が飲むよ。大吟醸ハイボールってのもあるしね」



 セイラは呆れた目で悠平を見たが、悠平は罰が悪いのかセイラから目を逸らした。



「じゃあ。乾杯しよう。夕霧ちゃんもお水で良いから」



 3人が暫く他愛もない話をしているとドゥルキスのドアは開き、お客様が店内に入ってきた。



「いらっしゃいませ」



「久しぶりだね。店長さん」



 やって来たのは、ここ最近は顔を出さなくなっていた王国軍の若い兵士だった。



「久しぶりだね。フランチェスコ。戻ってきてたのかい? あぁ。まだ女の子が少ないから相席で良いかな?」



「そうなんだ。ようやく辛かった軍事訓練とも、少しの間はおさらば出来るよ。相席で大丈夫」



 フランチェスコはそのまま悠平の隣に座った。



「フランチェスコ元気みたいね。訓練を逃げ出した訳じゃないわよね?で、ビールで良いの?」



「セイラ。久しぶり。何度も逃げようと思ったけど、逃げ切るより、ちゃんと訓練をした方が生き延びる事が分かったからね。ビールでお願い」



 フランチェスコはそう言うと悠平に握手を求めてきた。



「お邪魔させてもらいますよ。『フランチェスコ』です。王国軍兵士やってます。よろしくです」



 差し出された手を悠平も握ると自己紹介を始めた。



「それはご苦労様だね。僕は悠平だよ。王都大学で講師をしてる」



「はい。フランチェスコのビールお待たせ。悠平は延長になるからね」



 悠平は頷きセイラがビールをフランチェスコ手渡してから、二人は握手を交わし皆で乾杯した。




「フランチェスコとやら、兵士とな。たいそう良い体をしているのう」



 夕霧はフランチェスコを舐め回すように視線を動かすと、前のめりになりフランチェスコの体を人差し指で上から下へとなぞった。



 フランチェスコは固まると夕霧から目を逸らせなくなってしまった。



「夕霧ちゃん。フランチェスコは、うぶなんだから、からかっちゃダメだよ」



 セイラの声に耳を貸さずに夕霧は間近にある、フランチェスコの顔から少しずらしては耳元で、と息を吐くとそのまま指を太ももへと這わせていった。



「ふむ。年下の健康な肉体を味わいたいものじゃな」



 夕霧は恥ずかしげもなく告げるとフランチェスコに酒を煽った。



「フランチェスコよ。わらわは、これを、所望じゃ」



 夕霧がメニュー表を指した。今度は高級なワインだった。フランチェスコはただ頷くだけだった。



 マサムネがオーダー通りにワインを持ってきても、やはり夕霧は口を付けずに三人で飲む事となった。



「悠平。お主はフランチェスコに負けて良いのかえ?わらわは、強い男を好む。それは体力でも経済力でも酒に強いでも、何でも良いかのう」



 悠平は先程よりもグレードの高いニホンシュを頼んだ。



「良い。良い。フランチェスコ。お主もこんな男に負けて良いのか? 若さだけで勝てるほどは甘くはないぞえ」



 フランチェスコも先程よりワインのグレードを上げてきた。



 夕霧は満足気に笑うと、カウンターにはどんどんと高級なボトルや瓶が並んでいった。



「実に良いぞ。まだまだじゃ。わらわはどちらにするか決めておらん。飲んで強さを見せてみよ」



 セイラは何回かオーダーを止めようとしたが、二人は大丈夫だ。と言い張るばかりで、いつもと違う悠平とフランチェスコに戸惑いながら様子を見ていた。



 ドリンクの会計がいつもの二人の10倍を越えた所で、終了の時間が近づいていた。それを見越したのか、夕霧は口を挟んだ。



「こんなもんじゃろ。もう良いぞ。なかなか楽しい時間じゃった」



 悠平とフランチェスコは酔い潰れる一歩手前であった。

 マサムネは会計を済まし二人をしっかりと出口まで誘導すると、セイラを呼びつけた。



「オーダーされたからには、俺も出さないといけないが、ボトルキープするとか、お客様の飲むペースを考えろ」



 セイラは不満そうに言葉をぶつけた。



「だって。止めようとしても勝手に飲むんだもん。何か夕霧ちゃんの言いなりみたいになってたし」



 マサムネはバックバーに立っている夕霧を見るとセイラに注意を促した。



「あいつはヤバイな。次の客が来てもお前一人で接客しろ、もう少ししたら氷芽やルナルサ・美雨もやって来る」



「じゃあ。夕霧ちゃんはどうすんのさ?」



「最初の接客で疲れたと思うから少し休憩したら。とでも言って控え室で休憩してもらえ」



 セイラは言われた通りに夕霧に言うと、意外にも夕霧は従い控え室へと向かった。




 時間も進むにつれキャストが出勤し、客の入りも良くなってきた。テーブル席までお客様が入るようになるとセイラはマサムネに告げた。




「どうしよう。お客様の方が多くなって来てるよ」



 マサムネはすぐさま控え室で休憩している夕霧を呼んで、一緒に接客しろと指示を出した。



 セイラが控え室に呼びに行くと、夕霧はお腹を擦っているようだった。



「夕霧ちゃん。大丈夫? お腹痛いの??」



「そうではない。大丈夫じゃ。全て上手く行くゆえ、安心せい」



 夕霧は自分のお腹に目をやると優しく擦りながら答えた。初めて夕霧の素の笑顔を見たとセイラは感じていた。



 控え室から夕霧が出てくると店内で思い思いに飲んでいた客たちは、夕霧に目を奪われ視線を釘付けにされたかの様に、逸らせなくなってしまった。目を細めて店内をゆっくりと見回すと独り言のように呟いた。



「獲物が沢山掛かっておるのう。わらわが全て頂くとしよう」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る