第8 話 狐の嫁入り
季節的な要因もあったのか、ここタケルメノでも忘年会のシーズンでお客様の入りは毎日が順調であった。
開店前の『ドゥルキス』には四季が控え室で寝ており、九尾狐である『
美雨はトレードマークである黒髪のツインシニョンに、赤いチャイナドレスを着ていた。スリットから時折見える艶かしい美雨の美脚のファンは多い。
「美雨。お前が開店前からいるのは珍しいが話ってのは何だ?」
マサムネは世間話や他愛もない挨拶を飛ばして本題から入った。
女の子から話がある時は大体2つの理由だった。
1つは仕事を辞めたい。これも理由は様々で目標の金額を貯めたから。や、彼氏が出来たので昼職に付く。または何となく働いていただけなので何となく辞める。
マサムネは辞める子を引き留めたりはせずに、来たくなったらまた来れば良い。というスタンスだった。
事前に辞めると言ってくれるだけまともで、事前連絡なしに音信不通になるケースも少なくない。
2つ目はお給料を上げて欲しい。『ドゥルキス』では基本は時給+ドリンク代の半分がバックになるので、この時給やバック率を上げて欲しいとの事だ。
ここは女の子の働く時間や稼ぎ方を考えているマサムネである。
稼働時間が少ない子にはバック率を増やして短い時間でもドリンク代で稼げる様にしたり、稼働時間が多く真面目な子であれば時給を上げたり。客を捕まえらるかどうかや、店の売り上げにどれだけ貢献しているかを、吟味して女の子にも納得してもらった上で給料を決めているので、セイラ以外からはあまりクレームは入らない。
美雨はマサムネに視線は合わせず躊躇いながらも小さい声で呟いた。
「セイラが中盤から来ますから。それに今日はお客様で私の大切な人が来ます。もし、私が変な接客をしていたらすぐに駆け付けて下さい」
マサムネは面食らった。辞める事でも給料の事でもなかった上に美雨から客の話が出るとは、さすがのマサムネも予想してなかったのだ。
マサムネから見た美雨は、仕事は仕事としてきっちりこなすが隙があまりなく素人感がないので、ヴィジュアル重視のお客様には受けが良いが、話で楽しみたいお客様にはあまり受けは良くない。
マサムネは面食らった事をバレない様に、軽く咳払いをし低い落ち着き払った声で問いかけた。
「それは彼氏さんか? たんに好きな人か?」
「どちらも『前』が付きますが」
マサムネは掛けていた眼鏡を人差し指で押さえると短い言葉で終えた。
「分かった。そのお客様が見えられたら教えてくれ」
美雨は男を魅了する、どこか憂いがある艶やかな笑顔を見せるとバックバーへと向かった。
開店と同時に1人の男性が入ってきた。見るからに仕立ての良いコートと靴を履いており、普段遊ぶなら会員制の高級な店だろうとマサムネは推測した。そして美雨の言っていた男だとすぐに感じた。
「いらっしゃいませ。当店は初めてで御座いますね?」
「えぇ。初めてですが内装といい、後ろの棚に並んであるお酒の種類といい、中々素敵なお店ですね」
男は柔和な笑顔で答えると気品の溢れる佇まいでコートを脱ぎ、バックバーから出て来た美雨はコートを受け取った。
「久しぶりだね。相変わらず綺麗だ」
男の台詞に美雨は一瞬だけ歩みを止めたがすぐに戻り男を誘導した。
「コートはこちらに掛けておきます。カウンター席の端にお座りになって下さい」
男はマサムネに向かって、両手を広げ肩をすくめるとカウンター席に向かい座った。
バックバーに入った美雨は初見のお客様へのシステム説明はいらない。と、マサムネに告げて、男に注文を伺った。 マサムネは遠くからそれとなく様子を見る事にして全てを美雨に任せた。
「このお店で一番高いやつを頼む」
男はあっさりと口にしたが美雨は首を横に振りメニュー表を指差した。
「僕はもう君の役には立てない。なら最後くらいは君の役に立ちたいんだ」
美雨は悲しそうな顔をすると、棚からお酒を取り出しグラスに注いで男の前に置いた。
男は口をつけると懐かしむように目を閉じて美雨に語りかけた。
「懐かしい味だ。
美雨が果実酒をグラスに注ぎ終わると男は乾杯を求めてきた。
二人は言葉を交わさずにグラスだけを合わせた。
「美味いなぁ。これポットで出してもらっても良いかい? すぐになくなりそうだよ」
美雨は少し笑うと、男の見えない所でボトルからポットに移し変えてカウンターに置いた。
「僕は言い訳はしない」
男は美雨を見つめたまま視線を外さない。
「何も言われない方が辛いよ。僕を軽蔑してくれて構わない」
美雨は小さく首を振ると声を出すのも精一杯たったのか、いつもの燐とした耳障りの良い声とは違い少し掠れた声だった。
「
憂炎は自嘲気味に笑い老酒を飲み干すとうなだれた。憂炎からは入ってきた当初の気品はなくなっていた。
「僕は、君と権力を天秤に掛けて権力を選んだ。僕に尽くしてくれていた君を置いて…………」
美雨はうなだれている憂炎の頭を撫でようとしたが、ためらい伸ばした手をもとに戻した。
「最初は恨んだわよ。化けて出てやろうと思ったわ。将来を誓い合ったのに。ってね」
憂炎は顔を上げると苦悶の表情を浮かべた。
「ごめん……」
「最初は。って、言ったじゃない。今はあなたは過去の人だし、私たちの種族の為に婿入りするんでしょ? 並みいるエリートを押し退けて、さすがだわ。それを種族の為に行かないで。なんて言えない。それこそ私たちは滅んでしまう」
憂炎の目からは涙が零れ落ちていた。
「それでも……種族が滅んでも良いから君と添い遂げたい気持ちはあったんだ。でも、仲間全員を敵に回して生きる覚悟は僕になかった。僕は権力や富・名声を選んでしまい勝ち組と呼ばれたが、君を失った時点で負けたんだ。本当に欲しいものは失ってから気付くなんて、それこそ想像もつかなかった」
美雨はたまらず指で憂炎の涙を拭うと、ハンカチを差し出した。
憂炎はハンカチを受け取り涙を拭う。
「僕の好きだった君の懐かしい匂い。今からでも遅くな…」
パチン
突然乾いた音がドゥルキスの店内に響いた。
マサムネは憂炎にビンタをした美雨を止めようとしたが、様子を見守った。
「情けない事をいつまでも言わないで。自信に満ち溢れ、身分の低い出で有りながら、誰よりも気高く前を進む貴方だから惚れたのよ。間違いなく私たちの誇りだった。今の貴方じゃ惚れて損したわ」
憂炎がポットからグラスに注ぐと、ポットは空になっていたのか何も出てこなかった。
「もう一杯だけくれないか? それを飲んだら僕は帰る。そして、君と二度と会えないと思う」
美雨は微笑みボトルからコップに直接注いだ。
「狐の婿入り何て笑っちゃうわね。今度は私も追って行けないから……貴方はすぐに無理をして、体調を崩しがちなので気を付けるのよ。暗いところが苦手だからって、いつまでも明かりを付けたまま寝ていたら笑われちゃうからね」
いつの間にか頬を伝う涙が、カウンターにポツリポツリと落ちては、水溜まりがじょじょに広がっていった。
「嫌いな食べ物だからって、噛まないで水と一緒に飲み込んじゃ駄目だよ。鍵のかけ忘れも多いからちゃんと確かめるんだよ」
美雨は我慢しきれずに両手で顔を覆い始めた。
「そして最後に、ちゃんと奥様を心から愛してあげて、出来ないなら愛せる努力をしてあげて」
美雨は覆っていた顔を上げると涙の一滴は憂炎のグラスに入った。
憂炎は一気に飲み干しカウンターにグラスを置いた。
「美雨。全部了解した。僕は君の惚れた九尾狐代表の憂炎だ。絶対に九尾狐を守る。子孫繁栄は任せたよ」
美雨は泣きじゃくった顔もそのままで別れの挨拶をした。
「馬鹿。最後に何て事言ってるのよ馬鹿馬鹿馬鹿。私は絶対にここで幸せになるんだから、憂炎何て早く行っちゃえ」
「ようやく僕を怒ってくれたね。泣き顔も素敵だよ。さようなら美雨」
憂炎はカウンターにお金を置くと、マサムネに会釈をしコートを羽織り店を後にした。
美雨はその場にしゃがみ込むと声を上げて泣き叫んだ。
少しずつ美雨の泣き声は嗚咽へと変わっていき、マサムネは優しく美雨の背中を泣き止むまでさすった。
「良く頑張ったな。お前は強いよ」
美雨の嗚咽は少しずつ収まっていった。
「おはようございま~す」
場の空気を一変させる様なセイラの元気な声が響いてきた。
セイラはカウンターに置いてあるお金に目を輝かせると、マサムネに尋ねた。
「え? なにこの大金! お店の1ヶ月分くらいあるじゃん」
「それは美雨のだ。触るなよ」
「え~。美雨ちゃんのか。仕方ない」
セイラはそのまま独り言の様に呟いた。
「しかし参ったなぁ~。外の天気がさ夜だからあれだけど、雲とかないから絶対に晴れてるのに雨降ってるのよね。美雨ちゃんお嫁にでも行くのかなぁ」
美雨はバックバーにしゃがみ込んでいるので、見えなかったのであろうセイラにマサムネは変わりに答えた。
「美雨はここで幸せになるのだから、嫁には行かない」
セイラはマサムネをまじまじと見つめると、疑いの眼差しを向けてきた。
「マサムネ、何それ? 美雨ちゃんと出来てるの?」
マサムネは慌てて否定した。店には泣き止んだ美雨のしゃっくりだけが響きだしていた。
「美雨ちゃんもいるじゃん。さらに怪しいぞー。これはスクープだねマサムネ」
マサムネは困ったような顔でずれた眼鏡を直すとセイラを睨み付けた。
「マサムネじゃなくて、店長だ」
狐の嫁入りは誰にも見られては行けないのです……
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