第16話 ライサの過去とミハイルの記憶


 夢の中での爆発と同時にライサは目が覚めた。いつもならばもう少し先まで夢は続くのだが、それを見たとしてもあまりいいものではないので見ない方がいい。


「……もういい加減見たくはないのだけれど」


 目覚めてまず初めに目に入ってきた医務室の天井を見ながらうんざりしたようにライサが呟いた。そして自身の体に異常がないか確認する。薬の効き目がいくらか悪くなっているが、体はどこも痛くはないし物の見え方はいたって普通。しかし、右手が妙に暖かい。


「ライサ……さん……」


 ベッドの脇からの声に反応してそちらを見ると、見覚えのある顔がそこにはあった。上体を起こすと、まだほんの少し幼さが残るミハイルの顔をライサは優しくなでる。そして思う。やはり彼は記憶がなくても昔と変わらない、と。


「月にいたころもこうしてくれてたっけ」


 まだ月に来て間もなかったころから、妙に彼女に懐いていたミハイルは今のように彼女が体調を崩す度に付きっきりで看病をしていた。彼にとって彼女はとても大きな存在だったのだろう。今ではその事もきれいさっぱり忘れているが。


「でも体はまだ覚えてるのかもね。記憶には残っていなくても。それとも……」


「ん、ライサさん。ごめん、寝てた」


 ライサが何か言いかけたとき、ミハイルが目を覚ます。彼は眠たげに体を起こしながらライサに謝罪した。ライサはそれに生返事で答えつつ手を引っ込めて呟きかけていた言葉も切った。


「ずっと私についてるなんて、あなたも暇なのね」


「ここに連れてきたのは俺だし、付き添うのが筋かなっておもってさ」


「ふーん。一応礼は言っておくわ。ありがと」


 記憶はないが、薬も飲ませてくれたのだろう。おかげでだいぶ体が楽になってきている。まだ全快とはいかないが、起き上がって服を普段のものに着替えた。いつまた襲撃されるかわからない。


「まだ寝てろって!東条さんの機体もそろそろ使えそうだし、ライサさんが休んでても大丈夫だから」


「それって私は必要ないって言ってるの?確かにさっきは大した戦火は上げられなかったけど――」


「落ち着けって。ライサさんはさっき兵士としての人生が嫌っていってたよね?なら、戦わなくてもいいじゃん。何をそんな焦ってるのかは知らないけど、ライサさんはもっと体を大事にした方がいいよ」


 "兵士として育てられたのに納得がいかない"。 ライサが戦闘前に言っていたことだ。彼女は口は悪いが、面倒見もいいしなんだかんだ優しい。彼女は戦うべき人間ではないとミハイルは感じていた。


「ライサさんの分まで俺が敵を倒す。約束するよ。だからせめて体が本調子に戻るまでは休んでほしい」


 ミハイルは真剣な眼差しでライサの目をみた。なぜライサをここまで守らなくてはならないと思うのかは分からないが、絶対に必要なことだと感じていた。


「約束、ね。……わかった。今度はちゃんと守りなさいよ」


「え?ああ、うん。最善を尽くすよ」


 ライサの言葉に多少違和感を覚えつつもライサの分まで戦うことを約束した。



***



「さて、行こうか」


 両手を合わせてコックピットを再度確認する。先日まで乗っていた試作機と違い第三世代の機体である可変機、ヴィルヘルムのコックピットは広い。ごちゃごちゃした機械はなく、死角のない360度のモニター。機体状況を把握するため、またその他の細々とした操作を行うためのサブモニターが手元にあり、操縦系統もレバーやボタンといったものは少なくなり、より直感的に操作できるようになっている。

 ようやく整備がおわり東条用に調整されたヴィルヘルムだが、現在それは航空機の形態をとっており細長い四角錐や三角錐が集まったような鋭いフォルムが特徴的だ。頭部と思しき部位はセカンド・アリアのようなスリットが入ったものでその性能は高く、武装は高火力なビームが主体。機体のパワーもスピードもレグルスと同等かそれ以上の性能を有している。

 兵器としての外見でありながらも所々鎧の雰囲気が残るそれは、ヴィルヘルム《意志ある鎧》という名前に何か考えがあるのかもしれないが、それは今重要ではない。

 

≪レグルス1号機、準備完了。乗りますよ≫


 発進用のカタパルトに乗せられたヴィルヘルムに起動の完了したレグルスが足をかけた。ヴィルヘルムは航空機形態時にロード1機を輸送することが可能だ。試作機と比べて機体のフレームも強化されており、炉が生成する反重力によって機体重量を軽減せずとも、直に機体を載せることが可能なのだ。副次効果としてヴィルヘルムが載せている機体は炉のエネルギーをすべて武装に回せる。使える場面は少ないが、エネルギーを大量に消費する武装を装備する場合には大いに役立つだろう。 

 

「初乗りだからミスっても勘弁な」


≪振り落とさなきゃいいですよ≫


「わかったよ。ヴィルヘルム、レグルス、偵察任務開始だ」


 ミハイルと東条は発進前のいつもの会話を済ませるとファランクスから発艦した。



***



 海上での一件以来、五菱は2人一組での周囲警戒を交代で行っていた。そのおかげもあってか目的の施設のあるロシアへと近づきつつある。


「なあ、そろそろいくらか思い出したんじゃないか?」


≪え?≫


「記憶だよ。き、お、く」


≪ああ、ええっとなんて言うか……≫


 ミハイルは言葉に詰まる。言いたくないのか、言えないわけがあるのか。それは東条には分らないが、最近色々と苦労している分力になってやりたいというのが彼の本音だ。楽観主義の子供っぽいやつと思われがちだが、彼は彼なりに相手のことを考えている。


「無理に言えとは言わねえよ。鮫島さんは普段から忙しそうにしているし、常盤の奴は1人がすきだし。それに一応俺はお前の先輩だから少しは心配してるんだよ。お前は無理してるように見えるからな」


≪あはは……。なんかちょっと意外ですね。東条さんはもうちょっと自己中だと思ってました≫


「それだったらわざわざ気ぃ使って暗号回線なんて使わねえよ」


 東条の言葉にミハイルはそれもそうか、とつぶやくと一呼吸おいて話し始める。


≪まだ全部戻ったわけじゃないんですけど……。あと俺、東条さんに相談したいことがあるんです。ライサさんには偉そうなこと言ったけど俺はまだ迷ってるんだ……≫


東条には悩む彼に昔の自分を重ねていた。彼ほど深刻ではないが、昔の自分も自身の人生について悩んだことがある。だからこそ、ミハイルの力になってやりたいと思っているのだ。


「言って気が楽になるならいくらでも聞いてやるよ。可能なら助言もする。言ってみろ」


≪それじゃあ……≫


 ミハイルはすべて話した。レグルスに初めて乗った時に思い出した記憶。ライサから聞かされた自身の過去。今までに起きたことすべてを受け入れるための時間がミハイルにはまだ足りていない。それに東条は五菱に来てから色々と面倒を見てくれていた恩人だ。すべてを打ち明けるには十分な人物だった。

 ひとしきり話し終えると、ミハイルは大きなため息をつく。


≪俺は自分がどうすればいいのかわからないんです。だから記憶を元に戻すってことを目標にしてはいますけど、不安で仕方がない。俺はほんとは記憶が戻らないほうがいいんじゃないかって≫


「傭兵稼業一筋の俺には難しい悩みだな。……そうだな、例えば俺は空を飛ぶのが好きだ。それに理由はない。だから空の飛べる機体がある五菱で働いてる。他の会社でもいいんじゃないかって思うかもしれないが、俺はここが気に入ったからここで働いている」


 いつもとは違い真剣な口調で話す東条。その言葉の端々から、彼の言う通りミハイルのことを心配していることがミハイル自身にも伝わってきた。


「で、だ。俺が言いたいのは理由なく"これが好き"とか"やらなくちゃいけない"って思うことをしてれば、自然と自分の生き方とか……まあ、そういうもんが見えてくるんじゃないかってことだ」


 普段こんなこと言わないから言葉がうまく纏まらない、と悪態をつきつつも東条は続ける。


「お前はライサの嬢ちゃんを守りたいって思ってる。理由なしにな。そうだろ?」


≪……確かにそうですけど、どうしてわかったんです?≫


 一拍置いて、ミハイルが聞き返す。ライサ個人については話していないのだ。なので彼はそれが不思議なのだろう。しかし、それは一般的な人間なら話を聞いていればわかる。


「さっきの言葉の端々からお前が嬢ちゃんを大事に思ってるのは伝わってきた。彼女に関することを話しているときの口調や声色からな。彼女が目を覚ますまで付きっきりだったとも聞いてる」


 ミハイルの考えていることは比較的表情や声に出やすいのだ。彼が素直であることの現れともいえる。


「どうして彼女を大事にしているのかはわからんけどさ。いや、お前自身もわかってないかもだな。だから、彼女を守るってのがお前のやりたいことだろう。それをやってればそのうち悩むこともなくなるんじゃねえかな。助言にはなってないかもしれんけど」


≪そう……ですね。確かに今の俺にとって唯一はっきりしているのはライサさんを守ること。さっき約束もしたんだ。ありがとうございます、東条さん。分かりにくかったですけど≫


「悪かったな!分かりづらくてよ!」


 普段はあまりしない真面目な話をしてやったにも関わらず余計な一言を言われた東条は、相談なんて乗らなきゃよかったとほんの少しだけ後悔した。



***



 ロシアのベーリング海沿岸に程近い山岳地帯。雪は積もっていないものの 寒さのせいであまり動植物の多様性はないこの場所で数機のロード、ニカーヤが上空を飛行するヴィルヘルムとレグルス、そして肉眼ではまだ小石ほどの大きさにしか見えないファランクスを監視していた。

 ニカーヤはロシアで最も普及しているロードで、アーリアと同じ系譜にある機体だ。まず目につくのは頭部の形だ。アーリアと同型の頭部であるものの、モノアイタイプの光学センサーが4つ取り付けられており、それが上下左右に配置された菱形のバイザーに収まっている。頭部の自体も菱形で、ほかの機体と比べいくらか大きいそれには15mm頭部機関砲を内蔵しているため、対人戦においてもある程度の戦力となりうるのだろう。

 次に目に入るものと言えば両腕の武器だ。汎用性を捨てたニカーヤは両腕が武器になっており、左腕はガトリング、右腕はビームソード兼ライフルが基本装備だ。

 全体のシルエットとしてはカッシーニやアーリアと比べやや華奢な印象を抱くが、決して防御力が低いわけではない。それに加えて背部に装備された大型シールドによって、積雪のある地域に限って言えば量産機の中でも上位の機動力を持つに至っている。このシールドは攻撃を防ぐことももちろん可能だが、基本的にはスノーボードの要領で素早く動くことを目的としているため、各所にブースターが設置されたシールドブースターとして機能する。背負っている時も機動力を増すことができるため、いかなる状況でもデッドウェイトになることはない。


「あいつらが例のPMSCだな。そこそこやりそうだ」


 ニカーヤのガトリング砲を長距離用ライフルに換装したカスタム機に乗るマルクが映像を拡大したのを頬杖突きながらつぶやいた。


≪ああ、そうかもしれないけど……機体がいいだけかも≫


 マルクの右腕であるレナートが、まるで自身は絶対に負けないという雰囲気で口をはさむ。冷静に全体を指揮できるマルクと異なりレナートは頭は切れるが視野が狭くなりがちだ。ロードの操縦技術もレナートのほうが上手いが、リーダーとしての素質はマルクにある。


「賭けてもいいが、あの航空機がロードだった場合はお前は絶対に勝てないだろう」


 ライフルのスコープを使って上空で警戒している2機を観察しながらマルクが言う。彼の観察眼はかなりのもので、彼の見立ては8割がた当たると部隊内でも有名だ。


≪試してみるか?≫

 

 しゃがませていた機体を起こしてレナートがやる気を見せる。彼の行動を見てわかる通り彼らは軍の人間ではない。軍属であれば許可を取り入国した五菱に攻撃を仕掛けようということはしないし、何よりこんな非効率的な偵察のためだけに1部隊のみを置くわけもない。

 彼らは雇われてここにいる。雇い主は――


「いまはまだやらない。引き上げるぞ。もう少し奥へ来てもらうとしようか。我らが雇い主には悪いが、俺たちも確実に勝利したいしな」


 雇い主はこの奥にある施設の主だ。


 

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