頭を冷やせ

 重い目蓋をゆっくりと開くと、そこかしこに雑多に置かれた机やら学校の備品やらが目に映った。

 体の節々に痺れるような痛みがある。

 未だボーッとする頭で何があったのか記憶を辿ってみる。


(確か……強引に注連縄を外そうとしてるヒサゴを止めようとして……)


 そう……。自分まで感電してしまったのだった。それでいつの間にか意識を失っていたのだろうという事は何となく察する事ができた。

 辺りにヒサゴの姿はない。

 自分はヒサゴによって、この教室に運び込まれ、そして壁に寄りかかる形で座らされていたのだろうが、現状がどうなっているのか圭太にはまるで分からなかった。

 ふと、膝の上に視線を下ろすと、そこには注連縄が乗せられている。紛れもなくヒサゴの首に巻かれていた注連縄だ。


「あいつ……どうやって、これを……」


 ヒサゴを探そうと、痺れの残る体に鞭打って立ち上がろうとした、その時である。


――ズズゥンッ!


 激しい地響きとともに窓ガラスという窓ガラスが今にも割れんばかりにビリビリと震えた。


「な、なんだ?」


 サッシに手をかけ、窓の外――グラウンドを見下ろした圭太は息を呑んだ。


 数十はあろうかという泥の柱がグラウンド中を埋め尽くし、それら一つ一つがまるで単体の生き物であるかの如く不規則にうねりながら小さな人影に襲いかかっている。


 小さな人影はヒサゴだった。

 彼女は走り、転げ回り、飛び退き、次々に襲いかかって来る泥からスレスレのところで躱して逃げ回っている。

 逃げ回りながら、時に水柱や水球を飛ばして反撃をしていた。が、大沼神はそれらの反撃をものともせず、涼しい顔でその場に立っていた。

 既にヒサゴは顔や体のあちこちに傷を負っていて、その中でずっと必死に逃げ回っていたのだろう。苦しげに顔を歪め、肩で息をしている。


 その様子から、すぐに圭太は察した。

 大沼神に水の力による攻撃は無効なのだ。にも拘わらず、ヒサゴは必死に無意味と言って良い抵抗を続けている。


「あのバカ!」


 圭太は空き教室を飛び出すと、急ぎ階下へと走った。

 見るからにヒサゴは疲れ果てて、逃げるのも限界に達していた。このままでは大沼神に討たれるのも時間の問題だろう。

 止める必要があった。


「頼むからオレが行くまで持ち堪えてくれよ……」


 今はただ走りながら、ヒサゴが不覚を取らない事を祈るばかりであった。


 ***


「はぁ……はぁ……はぁ……」


 ヒサゴは息を切らせるのが精一杯で、もはや言葉を発する余裕すら無くなっていた。

 水浸しになったグラウンドの上を滑るようにして大沼神による攻撃を回避しているとはいえ、さすがに華奢な少女の体では限界に近かった。


 一方の大沼神は自ら泥で作り出した器を仮の肉体としているため、生身の体と違い疲れ知らずである。加えて未だ上手く制御できないとは言っても土地神から奪った力はヒサゴのそれを圧倒しており、殆ど無尽蔵と言えた。


 欠点といえば生身の肉体と違って脆く壊れやすい点であるが、水と土を主成分として形成された泥の体はヒサゴの持つ水神の力では、ほぼ無効化されてしまう。いくらヒサゴが強大な水流をもって反撃しようと、吸収されてしまう以上は打つ手がない。


「ほらほらぁ~。休んでる暇なんて無いでしょ~? もっと、わたしに無様な踊りを見せてちょうだいよぉ~。きゃははっ!」


 少しでも動きを止めようものなら大沼神の猛攻は容赦ない。竹林の如く無数に伸びた泥が槍となってヒサゴに襲いかかる。

 ヒサゴは歯を食いしばりながら、それらを躱し続けるのだが、これだけ泥が鬱蒼とした竹林のように幾つも天高く伸びていると視界が悪い。どこへ逃げても視界が開ける事はなく、自分が今、どこを走っているのかすら分からなくなっていた。


 やがて逃げ回って行くうち……。


「しまっ――!」


 いつの間かに校舎まで接近していたのだろう。視界が一瞬開けたと思ったその眼前に校舎の壁が迫っていた。

 そこで怯んだために隙が生まれる。


「あぐっ!」


 鞭のようにしなった泥が間髪入れずヒサゴの小さな体を背後から吹き飛ばした。

 飛ばされた勢いでヒサゴの体はボールのように、どこまでも転がる。そして校舎の角に植えられているケヤキの根元に叩きつけられ、ようやく止まった。

 だが、背中を痛打した事で息が詰まる。


「あ……が……!」


 肺に酸素を取り込もうと喘ぎ、ガリガリと土を引っ掻いた。


「あ~あ……。もう少し遊んでも良かったんだけど、そろそろお終いかしらねぇ~。ゲームとしては難易度が低過ぎて駄作と言って良いくらいだわぁ」


 大沼神はつまらなさそうに首を振りながら、ゆっくりとヒサゴの方へと歩いて来る。


「お、おまえ……なんかに……」


 万事休すといったこの状況でも、ヒサゴはよろよろと起き上がろうとする。

 その時であった。


「きゃっ!」


 突然、ヒサゴは背後から体を抱えられ、そして校舎の陰へと引っ張り込まれた。

 驚いて振り返ると、さらにヒサゴは目を丸くする。


「ケ、ケータ? な、何で……?」

「何でじゃねぇよ! 頭を冷やせって言ったろが!」


 驚愕しているヒサゴに怒鳴りつけた圭太ではあったが、自分の手で触れていた部分に気づき、慌ててヒサゴの胴体に回していた手を放す。

 咄嗟にヒサゴを助けるためだったとはいえ、勢い余って圭太の片手は彼女のおっぱいを鷲づかみにしてしまっていたのだ。

 もっとも、この状況においてヒサゴはさすがにそんな事を気にしている様子はなく、しこたま驚いたあとは圭太が危険を顧みずにヒサゴのもとまでやって来た事に対して怒り出した。


「せ、折角、あんたを安全な場所に隠しておいたのに、そのあんたがここへ来ちゃったら意味ないじゃない! バカなの⁉ ほんっとバカなの⁉」

「うるせぇ! バカはどっちだよ!」

「はあぁぁぁっ⁉ どこまでもお人好しなバカにバカって言われたくないんですけどぉぉ!」

「考え無しの猪突猛進なバカだから、バカって言ってるんだ! とにかく、こっち来い!」


 互いに罵り合いながらも、圭太はヒサゴの腕を引っ張って中庭の方へと走る。

 走りながらもヒサゴはひたすら罵声を浴びせ続けていたが、その顔はどこか嬉しそうでもあった。


「また鬼ごっこぉ~? そろそろ飽きて来たんだけどぉ~」


 グラウンドの方から大沼神の気怠げな声が聞こえて来る。恐らく、またのんびりした足取りで追っては来ているのだろう。

 別にそれでも構わないと圭太は思っている。


「おまえ……水を司る神なんだろ? だったらオレに考えがある」


 中庭に置かれた自販機の陰に隠れながら圭太は自信に満ちた顔で告げた

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