死闘

「あらぁ? かくれんぼはもうお終い?」


 一階まで戻ったヒサゴであったが、図書室の前で大沼神と鉢合わせする事となった。

 のらりくらりとした調子で、彼女はヒサゴたちの事をさほど真剣に探し回っていたわけでもないようである。余裕なのか、はたまたヒサゴが戻るという確信でもあったのか……。

 いずれにせよ、今のヒサゴにとってはどうでも良い事だった。


「相手してあげる。だから、さっさと外に出なさい!」

「へぇ~」


 ヒサゴの首元に目が留まった大沼神は口もとで不敵な笑みを浮かべつつも、冷ややかな能面のように目を細める。


「この短時間でどうやったのかは知らないけど、あの注連縄外れたんだぁ~。だから強気になってるってわけ? さっきまでビクビクオドオドしてたクセにぃ?」


 大沼神の挑発を無視してヒサゴはグラウンドに出た。大沼神もその後に続いて土埃の立つグラウンドに降り立つ。


「校舎の中で仕掛けて来るかと思ってたけど、あたしに従って外でやり合おうなんて、悪神にしては随分と律儀なものね」

「そりゃあ……ねぇ~。あんまり好き放題壊しちゃうと、わたしが神の座に返り咲いた時に高天原からああだこうだ言われそうじゃない? こっちだって出来るだけ厄介事は少なくしておきたいのよ」


 駅前で無関係の人間たちを身動き取れぬようにしておいたのも「ウロチョロされると邪魔だから」などと言っていたが、必要以上に危害を加える事で自分の立場が悪くなるという頭はあるらしい。

 それでも負傷者までは出さずとも無関係の人間を大勢巻き込んで、衆目に晒している事に違いはなく、ヒサゴからすれば「何を今さら」といったところだ。


「言っておくけど、土地神の力をまだまだ制御できないとはいえ、今のあんたより力は上なのよ? その事は理解してるのかしらぁ?」

「そうかもね……。でも、一方的になると思ったら大間違いよ。そうやって、いつまで余裕ぶってられるかしらね」


 ヒサゴも負けじと不敵な笑みを見せた。

 ニュッとヒサゴの側頭部から龍のツノが生える。


「最初から本気で行かせてもらう!」


 右手を肩の辺りまで持ってくると掌を上に向ける。そしてバレーボール大の水球を作りだした。


「へへぇ~? やっぱり隙を突かれた土地神なんかと違って、少しは歯ごたえありそうじゃない。楽しめそうねぇ~」

「余裕ぶってるのも今のうちよ」


 ヒサゴの作りだした水球から四方八方に水の帯が散る。それらはあっという間にグラウンド中を水浸しにした。

 一方の大沼神は先ほど駅前で見せた泥の刃を作り出す。長さは校舎の三階辺りまで届くほどだ。

 それをヒサゴ目がけて振り下ろすが、ヒサゴはグラウンドに撒かれた水の上を滑るようにして危なげなく躱す。まるでスケートのように氷の上を滑っているかのようだ。


「なるほどぉ。さすが水を自在に操れるだけの事はあるわねぇ。水を撒いて自分に有利な足場を作ったってところかぁ~」


 大沼神は感心したような口振りではあるが、しかし、怯む様子はない。それどころか無邪気に喜んでさえいる。

 確かに持てる力では土地神の力を得た大沼神の方が上だろう。それならば水の力で自身を縦横無尽に動き回らせるようにする事でスピードの面で優位に立つ。いくら力で勝っていても反応が遅れてしまえばヒサゴにも勝機はある。そう考えたのだ。


「でもでもぉ~。その足場をこうしてやったら、どうかしらぁ?」


 大沼神はその場から一歩も動く事なく、人差し指で一文字を切った。

 すると突然、ヒサゴの足が地に沈み始める。

 駅前で大勢の人たちが身動き取れなくなった術だ。


「土地神もこれで体半分を沈められたってわけか……」

「そう……。ありとあらゆる場所を沼地化させるの。わたしの力を使えば例えアスファルトだろうが鋼鉄の塊だろうが底なし沼になっちゃうってわけ」


 隙を突かれ体を大地に沈められては、いかに土地神と言えど為す術は無かったであろう。だが、それを知ったうえでなら今のヒサゴには回避も容易な事であった。

 ヒサゴは自分の足下から水柱を噴き上げさせ、底なし沼から離脱すると水浸しになった場所へと、まるで水面に浮かぶアメンボのように降り立った。


「沼ってさぁ……水があって初めて成り立ってるって分かってる?」


 呆れたようにヒサゴは鼻を鳴らした。


「沼を司るあんたと水を司るあたしとじゃ、相性は最悪って事よ。龍よ!」


 掛け声と同時にヒサゴの背後から、さらに巨大な水柱が噴き上がる。それは天をも貫かんとする勢いで昇って行くと、龍の形を成した。


「水は人々に恵みをもたらすと同時に、時として全てを破壊し尽くす圧倒的な力を持つ怪物ともなる。それ故に人々は水に龍の姿を想像した。この力を以て汝、悪神たる大沼神を破壊せしめん!」


 ヒサゴが「行け!」と片手を振り下ろすと、高層ビルほどもある水龍はうねりを上げながら大沼神に襲いかかった。


「なるほど……確かにあなたとわたしとでは相性は最悪よね……。でも、それって……」


 大沼神はニヤリと笑う。同時に凄まじい勢いで迫る水龍に瞬く間に呑まれた。


 手応えはあった。

 逃れようのない力に大沼神は確実に喰われた筈であった。

 少なくともヒサゴは「仕留めた」という自信を持っている。しかし――


「沼は水があって初めて成り立つというのは間違いないわ。でも、それは即ち……あなたの攻撃は一切、わたしには届かないという事でもあるのよぉ?」


 今、水龍に呑まれるまで眼前にいた筈の大沼神の声がヒサゴの直ぐ背後から聞こえて来た。


「くっ……!」


 いつの間に後ろを取られたのか。

 振り返って体勢を立て直そうとするヒサゴであったが、一歩遅かった。


「あぐっ!」


 横一文字に薙がれた泥の刃によってヒサゴは吹き飛ばされる。鮮血が散った。

 地面を何度も転がり、やがて正門付近まで飛ばされたところで止まる。優に四十メートルは吹き飛ばされただろうか。

 それでもヒサゴは直ぐに立ち上がる。

 背中が焼きごてを当てられたように熱い。自分の目で確かめる事は出来ないが、確実に切られ、血が流れ出ている事は分かった。


「そうか……。人間の体じゃないから……」

「ご名答~! 泥で作った体だって言ったでしょ~? いくら水に呑まれようと形を変えて、いくらでも再生できるもの。当然、あなたの背後を突く事だって造作も無いわぁ~」


 ヒサゴにとって手痛い誤算であった。

 大沼神は自身で沼や泥を創り出す事は出来るが、水浸しのグラウンドはそれを瞬時に行う潤滑剤の役割を果たしている。自分の足場を確立するために撒き散らした水は、寧ろ大沼神が好きに移動できる手助けとなってしまっていたのだ。

 おまけにどれだけ強力な濁流や水で作り出した刃を使おうと、土と水がベースとなっている大沼神の体には傷ひとつ付けられないのである。

 まさにヒサゴにとって最悪の相性と言えた。


「どう……? ようやく勝ち目が無いって理解できたかしらぁ? おバカな水神さん」


 蔑みの目を向ける大沼神に対し、ヒサゴは言い返す言葉もない。理解し、思い知らされたからこそ悔しくてならない。

 先ほどまでの自信に満ちた表情から一変、ヒサゴの顔には焦りの色が浮かんでいた。


「絶対的な力の差、相性なんてものは覆しようがないのよ? そんな当たり前の事実も読み解く事ができないで大口を叩いてたんだからお笑いぐさよねぇ。自分がみじめだと思わない? うふふ……」


 確かに大沼神の言う通りだ。ヒサゴは己れの思慮の足らなさ、浅はかさに自分が情けなくなって来た。


――それでも……。


「……っさい……」

「んん?」


――譲れないものがある。


「うっさいって言ってんの!」


――気持ちで負けていてはダメだ。


「例え覆しようのない差だったとしても、ここであんたに滅ぼされるわけには行かない! ケータをおまえのような外道の好きにさせるわけには行かないのよ! だから……刺し違えてでもおまえを滅ぼす!」


 土地神の企みに乗せられて目の敵にしていた圭太は、それでもここまで力を貸してくれた。そうまでして付き合ってくれた圭太の思惑がどこにあったのかは知らないし、理屈のみで行動するわけではない人間の在り方というものは今でもよく分からない。

 けれど、自分が滅ぼされる事で、その圭太が大沼神の好きにされるのだけは受け入れられない。

 巻き込んでしまった事への罪滅ぼしとは違う。

 これはヒサゴ自身の圭太に対する純粋な想いであった。


「あはは~。良いわぁ~。涙ぐましいわねぇ。そういう『お涙頂戴モノティアジャーカー』は嫌いじゃないけど……あなたがやると……」


 大沼神の周囲が隆起した。いや、隆起したように見えたのは無数に盛り上がった泥の柱であった。


「無性にムカつくのよ!」


 目をつり上げ、金切り声をあげる大沼神の周囲から立ち上った無数の泥の柱は鋭い槍と化し、ヒサゴめがけて襲いかかった。

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