因縁と狂気
姿は確かに玉井だ。けれど今、目の前にいる玉井は圭太の知っている玉井ではない。少なくとも、これほど悪意に満ち、狂ったような笑い声をあげる彼女を圭太は一度として見た事がなかった。
「いやぁ、お見事お見事! 土地神が三峯を利用して水神を陥れようとしてたのは随分と前に気づいてたけど、大きな力を持った土地神の目があんたに釘付けになっていたのは、わたしにとって好都合だったのよねぇ。わたしにとっては大きな力を手に入れるチャンスだもの。この機を逃すわけには行かないじゃない?」
「玉井……っていうのは、人間に成りすましたおまえの名前なんだよな。おまえ……本当は何者なんだ?」
圭太は眉を顰めていた。
怒りではない。ただ、腐れ縁のようであったとはいえ、これまでずっと同じクラスの友人として過ごして来たと思っていたのに、それは偽りの姿でしかなかった。
騙されていた……という感覚にはならないものの、何だか悲しかった。
そんな圭太の気持ちを察したのか、玉井は「やれやれ」とばかりにかぶりを振る。
「そんな悲しそうな顔しないでよね。わたしは
「大沼神⁉」
ヒサゴはその名を聞いて、驚きに頬を強ばらせる。
「知ってるのか?」
と、訊いてみたが、もともとヒサゴとて、この地に縁のある神だ。知らない筈もない。
「かつて、この地に存在した大きな沼を司る神……だった存在よ。もっとも、八十年ほど前に外部からやって来た開拓民によって埋め立てられて、今はご覧の有り様だけどね」
「八十年ほど前にやって来た……開拓民……?」
噛みしめるように言って、圭太はハッとする。
「気づいたようね。そうよぉ~、三峯。あんたのご先祖さまたちにわたしの沼は埋め立てられたのよ。農地開拓という名目で数少ない先住者たちを説得して、古くから続いて来た土着信仰も捨てさせてねぇ~」
大沼神を名乗った玉井は、どういう訳かニンマリと薄気味悪い笑みを浮かべていた。
かつての開拓民たちに対する憎しみが彼女の中で大きくなり過ぎたがために、そんな表情を浮かべているのか、はたまた遺恨とはもっと別の何かが込められているのか……。
意図の汲み取りようのない彼女の笑顔に圭太は背筋が凍りつくような思いだった。
だが、圭太が何も言えなくなっている一方で、ヒサゴは対抗できる力を取り戻せていないにも拘わらず、気丈にも大沼神に食ってかかる。
「確かにケータの先祖があんたの沼を埋め立てたのかもしれないけど、それと今のケータとは関係ないじゃない!」
「ええ、そうね。だから、わたしは彼を恨んでるなんて、ひと言も言った覚えはないわよぉ?」
そう言って大沼神はクスクスと笑う。ただの小娘に過ぎない今のヒサゴを見下し、この状況を楽しんでいるようであった。
「ヒサゴちゃん。あなたと違って、わたしは過ぎた事には拘らないの。それよりも今の自分の境遇を打破するにはどうしたら良いか……。わたしは常に先を見てるのよぉ~?」
「ぐっ……!」
ヒサゴは耳の痛い事をよりによって悪神に指摘されたことで言葉を詰まらせる。
確かに過去の遺恨に拘っていたヒサゴよりも先を見据えているという大沼神の言う事の方が建設的であると言えよう。けれど……。
「だからって、他の神さまを殺して自分が成り代わろうっていうのは違うんじゃないか? あまりにも身勝手だ!」
圭太がたまらず声を張り上げると、大沼神はややムッとした様子で圭太を見据える。
「本来、神々というのは自分勝手なものよぉ? それに……所詮は人でしかない三峯が口を挟む事じゃないんじゃなぁいぃ~?」
開き直りも甚だしい。
禍々しさの溢れる彼女は、もはや口調からして圭太の知る玉井ではなくなっていた。
神という存在から外れた悪神。それが今の彼女、大沼神の姿なのだ。
「こっちは土地神が水神のヒサゴちゃんを仕留めた後で土地神を料理して、一度に二柱分の力をいただこうって思ってたのにねぇ……。土地神のヤツったら、わたしが泥で作った人形であんたたちを監視して、折角、情報を提供してやったというのに、いつまでもチンタラやってるんだもの。さすがにイライラしたんで先に土地神のヤツを消してやったってわけ。きゃはは!」
まるで悪びれる様子もない。まるでゲームでも楽しんでいるかのような口振りだ。
「あたしもだけど……土地神のヤツも玉井という女が人間だと思い込んで、その正体が大沼神だと気づかずにいたのは、その体も人間の体じゃないからね」
「ピンポンピンポ~ン! 大正解! 人間の肉体と違って泥で精巧に作った体なら、その中身であるわたしがよっぽど大きな力でも持ってない限り、神性を感知されやしないもの。もっとも、今のわたしには完成度の高い器を作り出すのは、この玉井の体ひとつが限界なのが悔しいけどねぇ。いやぁ、ヒサゴちゃん、冴えてるわぁ~」
そう言って笑いながら大沼神は拍手をする。
玉井の体が泥で出来ていたという事にも驚きだが、先ほどまで圭太と話をしていた褐色の女性だって圭太には本物の人間にしか見えなかった。あれで完成度が落ちるとは、とても思えない。
「三峯は信じられないって顔ね」
圭太の顔の動きから心情を読み取ったのだろう。大沼神は得意げに舌舐めずりをした。
「この体だったら半永久的に変わらない形を維持できるけど、さっきの泥人形じゃ保って一時間ってとこなのよ。とはいえ、玉井の姿で土地神にあんたたちの情報を与えたら、あいつが常にわたしの本体を警戒するようになるでしょ? だから完成度の低い人形を使ったんだけど、あいつったら、それでも警戒しないでやんの! アハ、アハハッ! ばっかみたぁい!」
大沼神はひとしきり笑うと、やがて顎をつっと上げてヒサゴを見据える。あたかもその目は汚物か、それに群がるハエを見るかのような嫌悪に満ちた目つきであった。
「まあ、あんなヤツの事は今となってはどうでも良い事よ。次の標的はあんたなんだからねぇ……タカクラノヒサゴヒメ……」
俄に大沼神から放たれる息の詰まりそうな殺意にヒサゴは思わず身構える。が、何度も言うように、今の彼女には土地神を殺害したほどの相手に抗う術はない。
「初めはあんたなんて土地神のついでくらいにしか思ってなかったけど……あんたは三峯に近づき過ぎた。わたしにとって邪魔な存在……」
「オレに……?」
圭太は眉を顰める。何故、そこに自分の名が出てくるのだろう?
またしても大沼神の意図が分からなくなった。
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