悪神

「どうかしたか?」

「力を隠す事ができる程度の力……。土地神の殺害……? その目的……」


 うわごとのように呟くそれは圭太に向けられているものではない。

 やがてハッとしたように目を大きく見開くと勢いよく席から立ち上がった。


「まさか、そういう事⁉」

「お、おい! どうしたんだよ? 一人で納得してねぇで話してくれても……」


 しかし、わけが分からないといった顔をしている圭太にヒサゴは、やや困ったような目を向ける。何か言い淀んでいるようだ。


「今さらオレに隠さなきゃいけないような事なのか?」

「そ、それは……」


 ヒサゴは悲しげな色を浮かべた。

 言い方がややキツかったかとも圭太は思ったが、彼女の当惑した様子から、どうもそうではない事が窺える。


 そしてヒサゴはギュッと目を閉じ、唇を噛みしめると圭太から逃げるように入り口の方へと走り出した。


「お、おい!」


 圭太も慌てて追いかける。それでも会計を済ませていないため、レジの前でまごついてしまった。


「あら? ケンカかしら?」


 そんな圭太に声をかける女性の姿があった。

 いつの間にいたのか、圭太の背後で自分の会計を待つように褐色の女性が立っている。微笑を浮かべている彼女は、どこかで見た覚えがあった。


「前にもここで会ったわね。今度はちゃんと順番を守らせてもらうわ」

「あ……」


 そう言われて思い出した。

 以前、ヒサゴや伯乃姉と一緒にこの店に入った際、会計の場で出会った女性だ。名前も素性も知らない女性だが、圭太にはどこか既視感のある不思議な雰囲気を持つ女性。


「彼女、出て行っちゃったわよ? わたしが支払っておいてあげるから、早く追いかけたら?」

「え? いや、でも……」


 その厚意はありがたいが、たかだか一度会った事のある、それもひと言ふた言交わした程度の相手に食事代を払ってもらうなんて事は圭太も即座に「お願いします」などとは言えない。

 それでも彼女は「良いから良いから」と圭太を追い立てるように手をヒラヒラとさせる。


「す、すいません! 後でちゃんと返しに来ますから!」


 不本意ではあったが、圭太は頭を下げるとヒサゴを追って店のドアを開ける。

 だが、その時……背後から信じ難いひと言が聞こえてきた。


「まあ、貴方は水神にあまり関わらない方が良いと思うけどねぇ」

「は……?」


 その言葉に振り返ると、褐色の女性は右手を顔の辺りまで上げていた。彼女の手のひらがぼんやりと紫色の怪しい光に包まれている。


 途端――


「うわぁぁっ!」

「な、なに⁉」

「あ、足が!」


 駅前を行き交う人々たちから悲鳴があがる。

 見れば皆一様に足首から下が地面に飲まれているではないか。デッキの上にいる者はデッキに。その下のロータリーにいる者はアスファルトに。まるで泥に足を取られているかの如く思うように身動きが取れず、身に降りかかった信じ難い現象にパニックを起こしていた。


「ケータ!」


 エスカレーターの手前で足を止めたヒサゴも事の異変に気づき、こちらを振り返る。


「フフフ……。もう少し様子を見てようかとも思ったけど、貴方たちの関係を見ている限り早めに済ませちゃった方が良さそうだし」


 褐色の女性はニタァっといやらしい笑みを携えていた。

 同時に圭太は彼女から、やはり以前に感じた既視感のようなものを抱き、ジッと見据える。そして、ある人物の姿がその女性とダブって見え、呻くように尋ねた。


「おまえ……玉井……?」


 すると彼女は少し感心したように目を見開く。だが、気味の悪い笑みを崩そうとはせず、どこか嬉しそうでもあった。


「あらぁ? 人形で誤魔化したつもりだったけど、やっぱりあんたには分かっちゃうのかぁ。三峯ぇ~」


 外見は全くの別人。けれど、その声は圭太に見破られて徐々に変化して行き、確かに圭太のクラスメイトである玉井のものになっていた。


「人形……? おまえ……やっぱり玉井なんだよな?」

「ええ、そうよ? でも、まさか泥で作り出した人形から、わたしを見破られるとは思ってなかったけどね。さすがに中学一年からずっと同じクラスだったからかなぁ? それとも三峯もわたしに気があったのぉ? きゃはは!」


 狂気じみた笑い声をあげ、「人形」と称した女性の体は圭太の眼前でボロボロと崩れ去る。そして、その背後に圭太のよく知る玉井の姿が現れた。


「あんた……。ケータから離れなさい!」


 玉井のすぐ後ろまで戻って来たヒサゴが鋭い眼光を投げかけている。だが、玉井はそんなヒサゴに対し、つまらなさそうに鼻を鳴らした。


「ケータから離れなさい……ねぇ……。ポッと出の水神が何様のつもりかしらぁ?」

「ぐっ……」


 直ぐにでも仕掛けたいのだろう。が、今のヒサゴにそんな力はなく、それ以上、その場から動けずにギリッと歯噛みする。


「おまえも……人間じゃなかったのか……」

「ケータ! そいつは神の成れ果て……悪神あくじんよ!」


 悪神については土地神の話で覚えがあった。


「確か……己れを象徴するものを失った神……」

「ええ、そうよ? でもね……悪神って言われるの、わたしあんまり好きじゃないのよねぇ」


 玉井は悪臭でも嗅いだかのような顔で不快感をあらわにする。


「悪神は悪神でしょ! 神だったら、こんな無関係の人間まで巻き込むような真似はしない!」

「ふふぅん。だから、わたしの存在に気づいたあんたは三峯に何も告げる事なく、この場から一人で離れようとしたってわけね。彼を巻き込みたくなかったから? うふふ……健気なものねぇ~」


 玉井の言葉に圭太はハッとした。

 圭太が問い質そうとしてもヒサゴは困った顔で言い淀んでいた理由。詳しい事情を話せば何とか手助けをしようとすると彼女は分かっていたのだ。

 それでも、これ以上は危険な事に巻き込むわけには行かないと彼女は一切理由を告げる事なく、一刻も早く一人になれる場所を探して自分一人で決着をつけようとしていたのだと。


「でも、どうして分かったのかしらぁ? 土地神を殺した後だって証拠を残したつもりはなかったのにねぇ」

「はんっ! 寧ろ殺害現場に力の残滓を一切残さなかった事が理由よ。本来、人間の体を持っていたら力を隠し通す事も不可能。でも、人間によく似せて作った容れ物なら話は別。そこまで大きな力を持ってなければ隠し通す事ができる。そして土地神の存在を抹消したにも拘わらず、あいつが守護していた土地が荒廃する兆しもなかった」


 言われてみればそうだ。

 ヒサゴの話では、神が死ねば、その神の司る物も失われる。ヒサゴが消滅してしまえば彼女の守護している高座川が消える。

 ならば、土地神の消失とともに本来であれば、この土地は荒廃してしまう筈なのだ。


「つまり土地神を消し去る事で、土地神の力も奪った。そんな事をする必要があるのは他の神に取って代わる事で正規の神へと返り咲こうとする悪神だけだもの」


 すると玉井は、さも愉快とばかりに声をあげて笑った。

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