第五話 水神さまの決意
休日の朝の来訪者
あの晩、圭太とヒサゴは無事に家まで辿り着く事ができた。
ただ、徒歩であったし、ヒサゴが片足を怪我していた事もあって、家に着くまでにかなりの時間を要してしまった。
土地神の存在は完全に消えた……とヒサゴは言う。しかし、それで全てが落着したとは到底思えない。
仮に土地神を殺害した神がヒサゴの味方であったのなら、ヒサゴに対して何かしらの形で接触はして来るだろうし、その存在を隠したままにしているという理由が理解できない。
颯爽と現れて害を除き、颯爽と去って行く。そんな昔のヒーローじみた中途半端にクールな真似をしたところでヒサゴの不安が解消されるわけではないのだ。
「姿を見せない以上、何か目的がある筈よ」
ヒサゴは別れ際にそう言っていた。
「別の目的って?」
とは、さすがに圭太も訊かなかった。訊いたところでヒサゴにも分からないのだ。そんな事も察せずに訊こうものなら彼女からヒステリックに怒鳴られるのがオチである。
事態は暗礁に乗り上げた……と言って良い。
***
『次のニュースです。週末、
圭太は居間で朝食を取りながらニュース番組を見ていた。
週末……というのはヒサゴが土地神に殺されかけた、あの日である。
ずっと駅前にいた圭太とヒサゴは知るよしもなかったが、やはり土地神がヒサゴを遠くへ逃がすまいとして手を打っていたようだ。
その気になれば交通網を麻痺させる事も辞さない。それが土地神のやり方だった。
とはいえ、ニュースによれば夜の十一時過ぎには突然、復旧しているという。恐らく、その頃に土地神は何者かによって殺害されたのだろう。
しかし、妙なのは土地神が殺害されてからヒサゴが土地神の惨殺体を発見するまでのタイムラグだ。
遅い時間だったとは言え、あの公園に三時間もの間、放置されていた土地神の骸に誰も気がつかなかったというのは不自然である。
それに圭太とヒサゴはあの後、土地神の骸をそのままにしている。それならば朝まで骸はそのままになっていた筈だ。
それも表向きは椋梨秀郷という大野谷口学院の教師である。そんな男が殺害されたのだ。
それなのにニュースにすらなっていない。
(って事は、土地神殺しの犯人が隠したって事か?)
であれば、敢えて土地神の死体をヒサゴに見せる意図があったと考えるのが妥当だ。
しかし、なぜ……?
「そういや、まだ朝刊取って来てなかったっけ?」
日曜日の朝という事もあって、圭太のみならず家族ものんびりである。
圭太は朝刊にそんな記事でも載ってやしないかと玄関ポストへと取りに行く。そして曇りガラスの貼られた玄関の格子戸を開けた時だった。
「のわっ!」
思わず圭太は仰天して短い叫びをあげた。
格子戸の前で、さも「いつまで待たせるんだ」と言わんばかりにジトッとした目のヒサゴが腕組みをして立っていたのだ。
この日の彼女は休日という事もあって、例の『泥酔河童のガタロー』がプリントされた白のトレーナーに短めのデニムスカートといった出で立ちである。
それにしても……圭太はまさか誰かが居るなどと全く予想もしていなかっただけに、口から心臓が飛び出すかと思った。
「遅いわねぇ~」
と、驚いて胸を押さえている圭太に対し、ヒサゴはいきなり悪態をつく。
「遅いわねって……今日、会う約束なんてしてないだろ。いきなり目の前に立ってりゃビックリもするわ!」
「約束してなくたって、あたしが来たら気配で察しなさいよね」
「オレは剣豪か何かか! 無茶言うな!」
相変わらず言うことが理不尽極まりない。まあ、張り詰めていたここ数日間と比べ、少しはいつものヒサゴらしさが戻って来たようで、その点に関しては良かったとも思えるが……。
「こんなとこで三十分も待たされてたあたしの身にもなってよ」
「さ、三十分も⁉ だったらインターホンくらい押したらどうなんだよ!」
そう言って圭太は玄関脇の壁に取り付けられてあるインターホンを指差す。が、ヒサゴは不思議そうな顔で首を傾げていた。
まさか……とは思う。しかし、圭太の思った通り、そのまさかであった。
「何それ?」
「おいぃぃぃぃぃっ!」
仮にもヒサゴは高難度と言われる大野谷口学院中学の編入試験に自力で合格できたほどの学力の持ち主である。にも拘わらず、インターホンという現代人なら知っていて当たり前の物を知らないなどと誰が予想できだだろうか?
「これを押して呼ぶんだよ」
「へぇ~。そんな便利な物が……。あんたの家って、結構ハイテク?」
「いや……きょうびインターホンが無い家の方が少ないと思うぞ?」
人間などとは比べものにならないような長い時間を過ごしてきた神とはいえ、思いのほか一般常識を知らないところは、やはり人間社会にまだ慣れていないからなのだろうか?
とはいえ、見方を変えれば、そんな短期間でよくここまで人間社会に順応できたとも思える。
吸収力は高いのかもしれない。
「しかしまあ、インターホンも知らずに、よく今日まで普通にやって来られたよな。感心するよ、ホント……」
「う……。そこはかとなくバカにされてる気がする……」
不本意ながらも、さすがに反論できないようで、ヒサゴはフレーメン反応を起こしたネコのような顔をしている。
もっとも「そこはかとなく」ではなく、完全にバカにしているのであるが……。
「それで? わざわざウチの玄関前で三十分も待ってて、ヒサゴさんはどんなご用件だったんですかねぇ?」
「あ~、そうだった。これから学校近くの公園に行くわよ」
学校近くの公園というと、先日、土地神が何者かに殺害された現場だ。
しかし、あの場所には既に土地神の骸は残されていないし、恐らくはその痕跡すらない。今さら行ってみたところで何か掴めるとも思えないが、圭太は敢えてヒサゴにそれを問おうとも思わなかった。
(行くって言い出したら聞かないだろうしなぁ……)
そういう理由もあったし、圭太にはそんな事を問う以上に気になっていた事もある。
「おまえ……足の怪我は大丈夫なのか?」
「ん……? あ、う、うん……」
ヒサゴは一瞬、虚を突かれたような顔をすると少しだけ頬を赤らめる。そして、どこか決まり悪そうに目を泳がせながら、ひと言――
「ありがと……」
と、蚊の鳴くような声で呟く。
どうも、ここのところ圭太が少しでも気遣うような言葉をかけるとヒサゴは歯切れが悪い。別に圭太としても、それが嫌だというわけではないのだが、今し方、出会って早々に理不尽な悪態をついたあのヒサゴが平常運転だと圭太は思っているし、こう……しおらしくなられてしまうと、どうも調子が狂う。
「まあ、大丈夫なら良いんだけどさ……。でも、大野まで行くのに二人乗りを期待したってダメだぞ?」
「わ、わかってるわよ!」
そうなのだ。
圭太の自転車は、土地神の襲撃からヒサゴとともに逃げた日から、あのまま学校の駐輪場に置きっ放しになっている。学校が休みだからというのもあったし、あの日から気分的に落ち着かず、あまり学校に近づきたくなかったというのもあった。
ヒサゴが今朝になって、あの公園に行こうなどと言い出さなければ、土地神に壊された自転車のタイヤ修理も休み明けに百貨店近くにある自転車屋で直せば良いと考えていたくらいだ。
圭太がヒサゴの怪我の具合を気にしたのには、バス停までかなりの距離を歩かなければならないという、そういった理由もある。
「まだ、ちょっとだけ痛むけど、歩き回るくらいの事はできるわ」
そう言って、その場でピョンピョンと跳ねて見せた。
軽い運動くらいなら支障はなさそうに見えるが、それでも右足には包帯が巻かれ、まだ時々、傷口から血が滲んでいるようで痛々しい。
「一昨日の事だしな。無理はするなよ?」
「へ~きへ~き」
ヒサゴは頬を染めつつもニッと笑って見せた。
どことなく照れ隠しにも見える。やはり少し前のヒサゴとは態度が変わっている気がした。
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