眠っていた間に

 頭に冷たいものが当たった。それはつっと背中の方へと伝って落ちて行く。


「冷てっ!」


 圭太はそれで目を覚ました。

 見上げると、ひとしきり降った雨で頭上のエスカレーターを伝ってきた雨水が滴り落ちてきたのだと分かった。


 それにしても……。


「いつの間に寝ちゃってたんだ?」


 直ぐ隣りでヒサゴが圭太の肩にもたれる形で静かな寝息を立てている。

 二人とも思わぬ襲撃で疲れ切っていたのか、あのまま眠ってしまっていたようだ。


 どれくらい時間が経ったのだろう?

 ロータリーに人の姿はなく、辺りは静まり返っている。バスはおろかタクシーの一台もない。


 圭太は少しだけ上体を反らせてテナントビルの最上階についている巨大なデジタル時計で現在時刻を確認した。


「ゲッ……! もうこんな時間かよ」


 既に午前二時を過ぎていた。

 こんな時刻なのだから駅前とはいっても殆ど人の姿がないのは当然と言えた。開いている店だってコンビニか路地裏で深夜営業をしている居酒屋くらいのものだ。

 雨はすっかり止んでいて、かさがかかってはいるものの月も夜空にぽっかりと浮かんでいた。

 しかし、この状況に圭太は俄に違和感を覚える。そしてヒサゴを起こそうと肩を揺り動かした。


「おい! 起きろ! ヒサゴ、起きろって!」

「んん……オムハヤシ食べたでしょ~? 今日は日曜日……だよぉ~?」


 呑気によだれを垂らし、幸せそうな寝顔で支離滅裂な事を言っている。完全に寝惚けていた。

 圭太はさらに激しく彼女の肩を揺さぶる。


「オムハヤシも食ってねぇし、今日は日曜日でもねぇ! 良いから起きろ!」

「ん……ふあぁ……」


 ようやくヒサゴは目を擦り擦り眠りから覚める。だが、まだ目をショボショボさせて大きなあくびをしていた。


「ケータ……なぁにぃ?」


 どうも寝起きが悪いのか不機嫌そうに訊く。

 というよりも、つい先ほど土地神に襲撃されて右足を怪我しているのに、危機感というものがまるでない。まだ完全に頭が覚醒していないのだろう。


「今の状況……よく見てみろ」

「え……?」


 圭太に促されて渋々辺りを見回したヒサゴであったが、やがて緊張したように目つきが変わる。ようやく状況が呑み込めたようだ。


「人が……いない?」

「時間も時間だからな。でも、オレたちはあれからずっとここで眠ってたんだ。それなのに……」


 それだけでヒサゴも不可解とも言える異変に気づいたようである。


「土地神が……襲って来て……ない?」

「ああ……。完全に人目につかない状況なのに……」


 確かに全く人が歩いていないわけではないのだが、少なくとも圭太とヒサゴの座っていた場所はロータリーからは丸見えであるものの、アーケードや店が立ち並ぶ方からは死角となる。

 つまり最終の路線バスが行ってしまってからは事実上、圭太たちの姿が人目に触れる事は殆ど無くなっていた筈なのだ。


「あたしたち……かなりの時間、ここで寝入ってたよね?」

「多分、時間にして六時間以上は……」


 路線バスが動いている時間帯であればまだしも、圭太たちが人目につかなくなっていた時間帯は随分とあった筈だ。当然、圭太もヒサゴも完全に無防備となっているわけだから、土地神は寝込みを襲う事だって可能だった筈である。


 しかし、現実はその機会を無視している。


「いつでも殺せるっていう余裕なのか?」

「どうかなぁ……。あたしはそうは思えないけど」

「というと?」

「だって、時間をかければそれだけ土地神には不利になるもの。あいつがわざわざケータに手紙をよこしてまで、あたしとあんたを引き離そうとした事でも分かるでしょ? 既にこの戒めを解く鍵を知っている以上、あいつは戒めが解かれる前にあたしを仕留めたいわけだもん」


 ヒサゴは首に巻かれた注連縄に指をかけて持ち上げる。

 もちろん、まだ『神性封じ』が解けていないので外す事はできないのだが、ヒサゴがその気になればいつでも外す事は出来るのだ。


「あれだけ綿密にあたしを抹消する計画を練って来てるヤツよ? こんな絶好の機会を逃すなんて、あたしがあいつの立場だったら、そんな真似はしないわよ」

「確かに……」


 ともあれ、いつまでもここで過ごしていたところで埒が明かない。こんな深夜となってしまっては、どこへ行っても状況は同じだ。

 ならば一刻も早く帰宅した方がまだ安全と言えるかもしれない。


 圭太たちは辺りを警戒しつつ、駅を離れて帰ることにした。


 ***


 圭太とヒサゴは夜の静寂しじまの中をヒタヒタと歩き進む。

 国道まで出てしまえば車通りもあるため、多少は不安も解消されるが、そこへ行き着くまでの通りは日中であれば多くの車が行き交っているのに、やはり時間的に殆ど車が通る事もない。

 眠りについた街の中で、ただ二人の足音だけが不気味なほどに響き渡る。人の足音とは、こんなにもよく聞こえるものなのかと、都会の喧噪の中にいては、まず感じた事もない驚きがあった。


 出来ることなら学校に駐めてある自転車を使って一刻も早く帰りたいところだが、圭太の自転車は先刻、土地神によってタイヤをズタズタに切り裂かれてしまっている。

 公共の交通機関も動いている時間ではないし、徒歩で帰る以外になさそうだ。


 やがて二人は志摩丹百貨店裏手の公園に差し掛かる。

 ここは以前、ヒサゴが先にバスで帰ってしまった際、圭太が椋梨先生とばったり出会った場所だった。


(思えば、あの時も機を窺ってたのかもな……)


 今にして考えれば、あの時、ヒサゴが機嫌を損ねて一人バスで帰ったのは正解だったのかもしれない。

 もっとも、襲われる機会が僅かに先に伸びたというだけで、それほど何が変わるわけでもないのだが……。


 その広い公園の入り口前を通り過ぎようとした時である。

 ヒサゴが何かを感じ取ったように、突然、足を止めた。


「ん? どうかしたか?」


 圭太の問いかけに答える事なく、ヒサゴは黙ったまま。怖い顔で公園の中央を睨みつけている。


「まさか……土地神か?」


 圭太は思わず身構えた。が、ヒサゴは依然として硬い表情のまま少しだけ首を捻る。

 そしてゆっくりと公園の中へ足を踏み入れて行った。


「お、おい! ちょっと待てって!」


 慌ててあとを追おうとする圭太に彼女は片手を挙げて静止を促した。


「ケータはそこで待ってて。大丈夫だから……多分……」

「た、多分って……!」


 しかし、ヒサゴは「絶対に来るな」という目でこちらを一瞥すると、再び背を向けて歩き出す。そして恐るべき事を口にした。


「人の惨殺死体なんて見慣れてないでしょ? あんたは見ない方が良いわ……」

「え……? それって、どういう……」


 圭太はその場に取り残される。


 公園は周囲を様々な常緑樹で囲まれているが、中は主に芝生と石畳で整備されているだけであるため、圭太の立っている位置からでも公園の内部は見渡せる。

 ただ、この夜の闇の中ではところどころに灯されている街灯の明かりだけが頼りとなるため、あまり離れた場所のものはハッキリと見る事ができない。


 ヒサゴが公園の中央辺りで立ち止まり、何かを見下ろしている様子は圭太にも確認できた。どうもヒサゴの見つめる先に塊らしき物体がある。恐らく、それがヒサゴの言う「人の惨殺死体」なのかもしれなかった。


 ものの数分という短い時間であった。

 ヒサゴが踵を返し、圭太のもとへ戻って来る。相変わらず表情は険しい。


「何だったんだ?」


 圭太が問いかけているにもかかわらず、ヒサゴはしばらく考え込むように黙っていた。しかし、やがて難しい顔のまま、ゆっくりと口を開く。


「土地神が……殺された……」

「は……?」

「それも肉体的に滅ぼされた……というだけじゃなくて……神としての存在……そのものが完全に抹消されてる……」


 ヒサゴは圭太に説明する……というよりも、あたかも自分の言っている言葉の意味をひとつひとつ確認しているかのようであった。


「ま、待てよ! だって、神を滅ぼすには神の力じゃないと不可能なんだよな!」

「そうよ……。それも相手も同様に肉体を持ってないとね。土地神は……下半身を地面に埋められた状態で……頭から真っ二つにされてた……。神性が完全に消えてるし、こんなの人間の手じゃ到底不可能よ」

「う……」


 ヒサゴが圭太に「来るな」と言ったのは、そういう事だったわけだ。そんなもの……想像するだけでも吐き気をもよおす。


「でも……いったい誰が……?」

「そんなの、あたしが訊きたいくらいよ! どうなってんの? これ……」


 困惑するヒサゴに圭太は返す言葉もない。

 つまりこれはヒサゴ、土地神の他にまだ第三の神の存在があったという事だが、なぜ土地神を殺したのか。そしてヒサゴを抹消しようとしていた土地神を殺したという事はヒサゴにとって味方なのか。

 今まで全くそんな気配すらなかったが故に一切見当がつかなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る