思わせぶりなセクハラ姉さん
それからしばらく、圭太とヒサゴは隣り合うように腰掛けたまま、お互いに黙りこくっていた。
こういう時こそ何か話をするべきなのだろうと思うのだが、自分でも呆れるくらい頭の中に適当な言葉が浮かんで来ない。
そうこうしているうちに伯乃姉が姿を現した。それも先ほど電話で彼女が言っていた通り、きっかり十分で到着である。
さすがは凄腕の占い師といったところだろう。道行く人々の殆どがコンビニで買ったビニール傘を差しているのに対し、伯乃姉は事前に雨が降る事を察知して自前の青い折りたたみ傘を差していた。
「やれやれ……。まるで通夜の親族みたいな顔だな。まあ、無理もないか」
こんな時でも飄々としたところは相変わらずだ。もっとも、どんな時でも自分のペースを崩さない伯乃姉だからこそ心強いとも言える。
「そんな暗い顔してた?」
「ああ。二人とも数ヶ月は立ち直れなさそうな程にはな」
まるで自覚がなかったぶん、圭太は自分が情けなくなってきた。ヒサゴの事を助けるなどと豪語しておきながら、ろくに何もしてやれないどころか気丈に振る舞う事すらできずにいた。そんな自分が嫌になる。
「そう落ち込むな」
圭太の心情を目敏く察したのか、伯乃姉は耳元で小さく囁いた。
「キミも頑張っているじゃないか。その肩の傷が物語っている」
「ああ……」
そう言われて自分も負傷していた事を思い出した。
ブレザーが少しばかり破れていたが、肩の傷はそれほど深いものではなかったようで、既に出血は止まっている。しかし今の今まで痛みすら忘れていた。それほどに頭が一杯になっていたのかもしれない。
「先にヒサゴ君の手当てをした方が良さそうだな。すまないが圭太君。ステバでコーヒーを買って来てくれないか?」
「え? 今?」
ステバとは『ステイバックカフェ』という人気カフェの略称だ。だが、圭太たちのいる場所からステバまでは駅を離れ、学校方面へ五分ほどアーケードの中を行ったところにある。先ほど行こうと思っていたドラッグストアよりも離れているし、その間、しばらくは二人をこの場に残してしまう事で圭太には多少の不安があった。
「なぁに。別に私がヒサゴ君を取って食ったりはしないよ」
「それは分かってるけど……」
「それに……彼女と少し二人きりで話したい事もある」
そう言われてしまうと圭太としても伯乃姉の要求に従うしかない。まあ、冗談めいた事も言えるのだから伯乃姉を信頼しても良いかもしれない。
「コーヒーって言われても、色々種類があると思ったけど?」
「それはキミのセンスに任せる。出来れば泥水のように濃いのが良いな」
そう言って財布から取り出した千円札を握らせる。
「泥水って……」
圭太は苦笑いを浮かべ、とりあえずはその場を離れるのであった。
***
ヒサゴと伯乃姉がその場に残された。
伯乃姉は学校の保健室から失敬して来たという薬やら包帯やらを取り出し、黙々とヒサゴの右足の手当てをしてやっている。
傷が深いため、なかなか出血が止まらずにいたが、何とか応急処置はできた。とはいえ、あくまで応急処置に過ぎない。早めに病院などでちゃんとした処置が必要な状態である事には変わりなかった。
手当てを受けている間、ヒサゴは黙ってその様子を見つめていたが、伯乃姉の手際の良さに少しばかり感心したようであった。
ロータリーでバスを待つ人の中には、彼女たちの様子を気にして遠目ながら見ている者もいたが、所詮は無関係である。特に声をかける事もなく、バスが来ると列を乱すことなく機械的に乗車して消えて行った。
手当てを終えると伯乃姉はヒサゴの隣りに腰を下ろしてひと息つく。そして、ようやく口火を切った。
「決心はつかないのかな?」
ヒサゴにも伯乃姉の言いたいことは分かっている。
注連縄という戒めに込められた圭太の望みを叶えてやらない限り、それを解く事はできない。加えて戒めを解かない限りは水神本来の力が戻る事はなく、土地神に対抗する手段は皆無なのだ。
それでも……と思う。
「キミの神性と土地神の神性を比較しても、まだ相手の方が力は上だろう。この地においてはヤツの力は絶大だからな。だが、キミが本来の力を取り戻しさえすれば、まだ見込みはあるというものだ」
「分かってるわよ! 神と人が情交を結んだ前例もあるっていう、あんたの言うことが正しい事だって分かってる! でも……」
ヒサゴは頬を染めて俯いてしまった。これ以上、自分でもどう言って良いのか分からないのだろう。
「まあ、確かに経験のない事だろうし抵抗はあるだろうな。それにしても……神さまの割に存外ウブなのだな。まるで外見通りの少女だ」
「う、うう、うるさいわね!」
動揺が声にも出てしまっている。ムキになって文句を言ったところで、内心は否定できないとも思っていた。
すると伯乃姉はヒサゴの肩に手を回すと、グイッとその華奢な体を引き寄せる。そして……。
「ひゃっ⁉」
伯乃姉が空いているもう一方の手をヒサゴのスカートの内側に滑り込ませた。そしてクロッチの上からそこをなぞる。
「んんっ……」
「ふむ……」
何か得心したようにひとつ頷くと、伯乃姉は直ぐにその手を引っ込めた。そして透かすようにヒサゴのそれに触れていた手を何度となく返して見つめている。
「な、ななな、な、なに……を……!」
ヒサゴの慌てようと言ったらない。頭から蒸気があがりそうな程に顔から耳まで真っ赤にし、言葉を発する事さえままならない。殆どパニックと言って良かった。
「口では嫌がっているが……キミも本心では満更でもないようだな」
そう言ってペロリと僅かに濡れたその指先を舐めた。
「え? い、いや、いやいやいや! え? あ、あ、あ、あの……違っ……いい、いいい、いやいやいや‼」
否定はしたいのだろう。けれど、脳内で処理が追いつかず、もはや自分でも何を言おうとしているのか分からないといった狼狽えっぷりだ。おかげで誰が見てるとも限らないのにニョキッと龍のツノが生えてしまっている。
「まあ、キミ自身が認めるかどうかは、ひとまず置いておくとして……キミも心底困っているようだからな。今の戯れの詫び代わりに私なりに気づいた事をひとつだけ伝えておこう」
「な、なによ……」
やられた事がやられた事だけに、ヒサゴはまだ伯乃姉に対する警戒心を解く事ができずギュッと両手でスカートの裾を握り締め、恨めしげな目をこのセクハラ女子高生に向けていた。
「圭太君にかけられた神性封じだがな……それは術としては不完全なのだよ」
「え? それって、どういう……」
虚を突かれたようにヒサゴは目を丸くする。
神性封じという力の事は、もともとヒサゴの知り得なかったものだったが、以前、伯乃姉から聞いた話の通り、ヒサゴの水神としての力はその殆どが封じられた状態である。それが不完全なものなどと想像もしなかった。
「本来であれば神性封じというものは神の持つ力の全てを封じてしまうものなのだよ。当然、完全に封じられた神は人と何も変わらない。だが、圭太君には私に言われるまで、自分にそんな力があるという自覚がなかったようだし、神性封じを使おうと思って使ったわけではないからなのだろうな。故に今のキミは僅かながらに力の一部を行使できているだろう?」
「まあ、それはそうなんだけど……」
ヒサゴはそれを証明するように指先から弱々しい水流を飛ばした。駄菓子屋の水鉄砲程度の勢いしかないが、確かにその水流はヒサゴ自身が作りだしたもので、人にはそんな芸当は出来よう筈もない。
「不完全だったとしても、これじゃあ何の役にも立たないわよ?」
「それはそうだろうな。だが、私の言いたいことはそういう事ではないよ。封印そのものが不完全という事は……」
そこまで言うと伯乃姉は急に立ち上がる。向こうから圭太が戻って来る姿が見えた。
「いや……不確定要素に基づいた推測はやめておこう」
「はあぁぁぁぁっ⁉ いや、あたしの命がかかってんだけど! 勿体ぶらないで言ってよね!」
金切り声をあげるヒサゴを尻目に伯乃姉は「フッ……」と一笑すると、
「どのみち、それを解決するにはキミ自身が決意しなければならない事に変わりはないのだ」
それだけ言ってコーヒーを手に戻って来た圭太の肩を軽く叩く。
「私はこれで失礼するよ。あとはキミたちがどうにかしなければならない問題だ」
そう言い残して伯乃姉はもと来た道へと去って行った。
圭太は訳も分からずキョトンとした様子でコーヒーを手に佇んでいる。
「このコーヒー……どうすんだよ……」
他方、未だ御影石の縁に腰掛けたままのヒサゴに目をやると、ヒサゴはヒサゴで忌々しげに唇を噛みしめ、伯乃姉が消えた先をジッと睨みつけていた。
「どうしたんだ?」
「ケータ……」
ヒサゴはワナワナと肩を震わせている。怒りと恥ずかしさと苛立ちと少しばかりの恐怖と……様々な感情が入り乱れて、強ばった何とも言い様のない顔になっていた。
「あたし……やっぱり、あの女……苦手……」
「はぁ……さいですか……」
ヒサゴと伯乃姉が二人きりでいる間に、どんなやり取りがあったのか知らない圭太には何が何やらさっぱりであった。
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