理屈じゃない

「じゃあ、ヒサゴが悪神になる前に存在自体を消そうって事なのか」

「そういう事だ。後顧の憂いは早めに摘み取っておく必要があったからな。そして私が代わりに其奴の司る川も守護してやろうと言うのだ」


 だが、まだ納得の行かないところがある。

 その圭太の疑念を代弁するかのように、ヒサゴが土地神の方へ顔を向けて食ってかかった。


「だったら、何であたしに協力するような真似したのよ! ケータがあたしの祠を壊した事だって単なる事故じゃない! 早急に手を打つ必要があったって言う割に、あんたはそんな偶然に頼ろうとしたわけ?」

「フフン……どこまでも愚かな娘よ……。そのような洞察力も無いから信仰を失うのだ」


 土地神はクッと顎を上げて嘲笑した。


「神が神を殺すには互いに人の肉体が必要だという事はおまえとて分かっている事だろう? 故に私は一計を案じたのだ。三峯圭太という神性封じの力を持つ少年を利用するために、おまえの祠を事故に見せかけ、敢えて壊すよう仕向けたのだよ。我が土地であれば小さなボールをおまえの祠の真下まで転がして、それを取ろうとした少年が四つん這いになっている大地を感づかれる事なく隆起させる事は容易いからな」

「なっ……?」


 圭太とヒサゴは絶句する。

 今の今まで、あれは幼い圭太の不注意による事故だとばかり思っていた。偶然、ボールが森に飛び込み、偶然、ボールがヒサゴを祀った祠の真下まで転がり、偶然、ボールを取ろうとした圭太が頭を上げた際に祠を倒してしまった。いくつもの偶然が重なり合って起きた不運な事故なのだと。


「もともと気の短いおまえの事だ。祠を壊されて放置されれば、その少年に対し報復を企てるであろう。しかし、直ぐに人間の肉体を与えてしまえば、まだ幼い彼には神性封じの力が発動できない恐れがあり、おまえは力を封じられる事なく本懐を遂げてしまう危険もあった。そのため、時間を稼ぐ必要があったのだよ」

「じゃあ……手続きとか記憶の改ざんに手間取ったっていうのは……ただの時間稼ぎ……ってこと?」


 愕然とするヒサゴに土地神はしたり顔で鼻を鳴らす。

 要するに神としてのヒサゴを確実に消し去るために圭太に彼女の力を封じさせ、万全を期した状態で襲撃しようと考えていたのだろう。同じ神とはいえ、神性を封じられたヒサゴには手も足も出ない。神の力をもって、そのヒサゴを殺害するのは赤子の手を捻るも同然に容易いというわけだ。


 だが、ヒサゴはよろよろと立ち上がると、やがて不敵な笑みを浮かべた。


「なるほどね……。何となく不自然だとは思ってたのよ」

「ほう……? 少なからず私を怪しんでいたと?」


 土地神は少しだけ感心したように片方の眉を上げる。その土地神に向けて彼女は一枚のクシャクシャになった紙切れを突き出した。


「あんたがケータを介してあたしによこした手紙。『もう十分だ。これ以上、三峯圭太には関わるな。おまえの封じられた力は私の方で何とかする』って? はんっ! 大方、ケータに神性封じを解かれちゃ困るから、あたしとケータを引き離そうとこんな回りくどい手を使ったんでしょ? それが却って不自然だから、あたしの方でもあんたを警戒するようにしてたのよ! そしたらこのザマ……。まんまとあんたの策にハマった挙げ句、まさかこのタイミングでケータが介入して来るなんて想定外だったわ……」


 圭太を守るような形でヒサゴは土地神と対峙し、圭太に背を向けている。が、顔だけ圭太の方に向けると、


「あんたは巻き込みたくなかったのに……」


 そう呟いた。


 その顔はいつものワガママで強気なヒサゴらしさは微塵もなく、弱々しく悲しげで、どこか申し訳なさそうでもあった。


 もはやヒサゴは諦め切っている。土地神に手玉に取られ、為す術もなく死を覚悟している。願わくば、圭太にはこのまま立ち去って全てを忘れて欲しい。そう言っているようだった。


「さて……もう理解したであろう? おまえはここで終わりだ……タカクラノヒサゴヒメ。せめて苦しまずに一瞬で消し去ってやろう」


 土地神が右手を高々と挙げる。彼の背後の土が盛り上がり、それは体育館の屋根近くまで伸び上がると、まるで一匹の大蛇が如く鎌首をもたげた。

 そして土の大蛇はヒサゴ目がけて襲いかかる。ヒサゴはギュッと目を閉じていた。


 身動きひとつしないヒサゴの後ろ姿を見つめていた圭太は咄嗟に彼女の体を抱えると後ろへ飛び退く。二人して狭い土の上を転がった。


「がっ……!」


 圭太の左肩に激痛が走る。そして直ぐにじわりと生温かいものが広がった。

 恐らくヒサゴの体を庇うようにして飛び退いた際、土の塊が左肩を掠めたのだろう。出血しているようだった。


「ケ、ケータ! どうして……」

「どうしてもクソもあるかよ! あいつにおまえが殺されるとこを黙って見てられるかっての!」


 圭太は即座にヒサゴの体を抱え上げると、土地神に背を向け、駐輪場の方へと駆け出す。とにかく今はヒサゴを連れてこの場から逃げる事が先決だ。

 体育館裏から抜け出てしまえば人目につく。人を巻き込むまいとしている土地神も、さすがに人目につくような場所までは追っては来ないだろう。


 しかし、駐輪場に辿り着いて自分の自転車を目にするなり、圭太は愕然とした。

 つい先ほどまで何事もなかった筈なのに、戻って来てみれば自転車のタイヤがズタズタに切り裂かれている。


(先手を打たれたか。クソッ……)


 あのように土を自在に扱える力を持つ相手だ。離れていようと目立ってさえいなければ自転車を使えないようにしておく事くらい造作も無いのだろう。

 すぐに仕掛けられずとも、圭太とヒサゴを遠くまで逃げられないようにするつもりだ。


(だったら駅前まで、このまま逃げるだけだ)


 圭太はヒサゴを抱きかかえたまま学校の敷地を飛び出し、駅の方へと向かって走る。

 人の多い駅前にいれば少なくとも時間は稼げる筈だ。


「何でよ……」


 圭太に抱きかかえられながらヒサゴは泣きそうな声で訊く。

 見下ろせば、すぐそこにヒサゴの顔があるが、彼女はわざと自分の顔を見せまいとしているかのように俯いていて、その目元は前髪に隠れて圭太からはよく見えない。


「あたしが消されたって、あんたには関係ないじゃない。あいつの狙いは、あんたに報復しようとしてたあたしだけなんだから、あたしを放置して逃げたってあんたに害が及ぶわけじゃないじゃない」

「ああ、そうだろうよ!」


 圭太は苛立つように声を荒らげた。卑屈とも自暴自棄とも取れるヒサゴの言い草に腹が立ったのだ。


「確かにオレがおまえを助けたって何の得にもならないかもしれねぇよ! けどな、だからって目の前で、それもオレのよく知ってる女の子が殺されそうになってて自分は知らんぷり……なんて出来るほどオレは薄情者じゃねぇんだよ! 例えおまえが神さまだろうが何だろうが、そんなこと知ったこっちゃねぇ! 人の世界で暮らしてる以上、おまえだって一人の命ある女の子だろうがよ! それを助けるのに、それ以外の理由なんて要らねぇだろが! 言ったろ? 人の行動原理は理屈じゃねぇって」


 矢継ぎ早に言葉を浴びせると、ヒサゴは僅かに顔を上げた。翡翠色のキレイな瞳が潤んでいる。その目は絶望の中にいて救いの手を差し伸べられたような、あたかも奇跡を目の当たりにした弱者のものであった。


 けれど、圭太と目が合うと急に恥ずかしくなったのか、ヒサゴは直ぐにそっぽを向く。どんな思いが彼女の中で錯綜していたのかは分からないが、今まで強気で偉そうにしていた分、きまりが悪くなったのかもしれない。雨に濡れた頬を赤く染めていた。

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