襲撃者の計画

 圭太が体育館の裏手に入ろうとした時だ。僅かに大地の揺れを感じた。


 ごく一瞬の振動。それも付近を軽トラックか何かが通り過ぎた程度のもので少し離れていれば誰も気がつかないだろう。

 だが、塀の向こう側に車が通れるような道路はない。隣りは国営の研究施設の敷地で、車の乗り入れが出来るような場所ではないのだ。


「なんだ……?」


 一瞬……ほんの一瞬だけ躊躇ったが、圭太は意を決し幅の狭い体育館裏に踏み込んだ。


 そこには……見覚えのある男の姿があった。


「椋梨……先生……?」


 我が目を疑うような光景だった。

 椋梨先生が氷のように冷たい目でこちらを見下ろしている。いや、目線は圭太の直ぐ手前に注がれていた。

 圭太と椋梨先生の距離は三メートルほど。その丁度中程に小柄な少女が頭をこちらに向けてうつ伏せに倒れているではないか。


「ヒサゴ!」

「う……ぐぅぅ……」


 ヒサゴはゆっくりと顔を上げる。その顔は苦痛に歪んでいた。

 見れば彼女は右足だけ裸足で、足首の辺りがザックリと切り裂かれ真っ赤な血が溢れ出ている。


「ケ、ケータ……。来ちゃ……ダメ……」


 右足のみならず、頬や腕にも無数の小さな傷を負っていた。

 そんなヒサゴを見下ろしていた椋梨先生は視線を上げる。ここへ来て、ようやく圭太の存在に気づいたかのようであった。


「やれやれ……。わざわざ立入禁止の貼り紙もしてキミを巻き込むまいという私の心遣いも無視して火中の栗を拾いに来るとは……。無鉄砲なのは感心しないな」

「あんた……いったい何者だ……」


 圭太は身構える。

 相手は学校でも温厚で知られる椋梨先生。だが、圭太が対峙している彼は普段の教師の鑑のように称される男とはまるで別人のようで、見据えるその瞳はまるで虫けらか路上の石ころでも見るように冷ややかだ。


 人である圭太にも感じ取れる。今の椋梨先生から発せられる剣呑な気配は、とても常人の持ち得るものではないという事を……。

 憎悪や殺意などとは違う。間近に立っているだけで息が詰まりそうなほど異質な威圧感とでも言えば良いのだろうか? 

 僅かでも力を抜けば、足下からその場に崩れてしまいそうだった。


「そいつは……人の皮を被った土地神よ……」

「と、土地神?」


 すると椋梨先生はニィッと横に裂けそうなほどに口もとを歪めた。


「三峯圭太君……。キミにはあらためて自己紹介をしておく必要があるかな。私の本当の名はムクノベ。土地の人々からはムクノベノミコトと呼ばれている。そこの愚かな水神の言う通り、この地を司る土地神だよ」


 圭太やヒサゴに抗う力が無い事への余裕なのか、土地神を名乗る彼は手を腰の後ろで組んで、その場から動こうともしない。抵抗すれば、いつでも殺せるとでも言うような顔であった。


「待ってくれ! 土地神って、ヒサゴがオレに神罰を下すために人間の体を与えたりして協力してたんじゃないのか!」


 そう……。ヒサゴの話では彼女に肉体を与えただけでなく、人々の記憶まで改ざんしてヒサゴを人間社会にごく自然な形で溶け込めるよう手を尽くしていたという事だった。


 その土地神が今はヒサゴを殺そうとしている。

 まるで理解できない。


「確かに……私は彼女に人の肉体を与えて、人間社会で暮らせるよう手助けはした。だが、そのようなものは私の計画における布石に過ぎんのだよ。水神たる彼女を概念そのものから抹消するためのな……」

「計画……だと……?」


 圭太は依然として地べたに倒れたままのヒサゴを一瞥する。忌々しげに、しかし疑わしげに土地神を見つめる彼女の顔色を見る限り、彼女もまた土地神の計画とやらについては、まだ聞かされていない様子であった。


「その娘は徐々に人々の信仰を失いつつあった。かつて龍造寺によって築かれた己を祀る祠が壊されたにも拘わらず、その龍造寺にさえ長らく気づかれずにいた事でも分かるだろう? 己が司る川さえも満足に守る事もできなくなって来たのだ。そして、神が人々の信仰心を失い、人々から忘れ去られればどうなるか……。キミは聞かされていないかね?」

「確か……神としての資格を失って、自分の司る物も無くなるって……」


 以前、ヒサゴから聞かされていたのは、そういう話だった。

 しかし、土地神は些か失望したかの様子でかぶりを振る。


「間違ってはいないが、それでは満点を与える事はできんな……」


 飽くまで教師を気取ったような言い方だ。圭太はその彼の態度にムッとする。


あくじん……と言っても人間のキミには分からんか? 神の資格を失った存在が行き着く成れの果てだ。そこの小娘は信仰の力を徐々に失い、災いをもたらす悪神になるのは時間の問題だったのだ。故に、早急に対処しておく必要があったわけだ。これはキミたち人間のためでもあるのだよ」

「ヒサゴが……?」


 視線をヒサゴの方に落とすと、彼女は唇を真一文字に結んで後ろめたさがあってか、圭太から目を逸らす。口惜しそうにしてはいるが、彼女の様子からもそれが事実である事を物語っていた。

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