第四話 水神さまの窮地
狙われる者
「はい……?」
最後にヒサゴと会ってから十日あまりが過ぎていた。
さて、今日も勉学に勤しもうか……と、いつものように家を出ようとした圭太であったが、玄関の戸を開けて思わず口をあんぐり。しばし、その場に固まってしまった。
しばらく圭太と接触して来ようともしなかったヒサゴが以前と同じように三峯家の玄関前に立っていたのだ。それもブスッと何やらふてくされたような顔で仁王立ちである。
少し間があって、圭太は一旦、戸をピシャリと閉めると玄関の内側で考え込む。
(何事……?)
しかし、自分で答えを導き出す間もなく、玄関前に立っていたヒサゴが勝手に戸を開けた。
誰が見たって美少女という感想が返って来るくらいに整っている筈の顔が、うんざりした様子で見る影もなく歪んでいる。明らかに「何で閉めた?」と目で訴えていた。
「あのぅ……ヒサゴさん? 何かご用で? わたくし……これから学校へ行かなければならないんですが……」
怖ず怖ずと顔色を窺うように尋ねる圭太にヒサゴは玄関脇に置いてある自転車をチョイチョイと指差す。
「乗っけてってもらうために決まってるでしょ? それ以外に何があるっての」
まるで従者に対するような、さも当たり前といった態度だ。
「はい……?」
再び間が空く。一時停止ボタンを押されてしまったかの如く固まっている二人を小馬鹿にするように、庭木にとまったカラスが鳴いていた。
圭太がいつまでも機能停止しているので、ヒサゴはさっさと自転車の後ろへ跨がってしまう。そして、いつぞやのようにポンポンとサドルを叩いた。
「ほらほら。いつまでもそうしてると遅刻しちゃうでしょ? 早よ早よ」
口を尖らせて催促するのだった。
(何だかなぁ……)
圭太は促されるまま、仕方なく自転車を発進させる。
ヒサゴが圭太の腰に手を回す。ギュッと体を押し付けて来るので、一瞬ドキリとした。しかし、たった十日ほどとは言え、何だか懐かしくもある。
心のどこかにぽっかりと空いてしまった穴が塞がった気がした。
(それにしても、どういう風の吹き回しだぁ? まだ注連縄は取れてないみたいだけど)
依然として注連縄はヒサゴの首に巻き付いたままだ。それも当然であろう。
圭太は未だ注連縄に込められた自分の願望というものが何であるのか知らないでいるが、その内容は「ヒサゴと恋仲になって、あわよくばエッチもしたい」というものなのだ。それが一切実行に移されていないのだから、ヒサゴの力が封じられたままなのも当たり前の事である。
無論、その注連縄に込められた願望というものは圭太の無意識下で注がれたものであるし、それもヒサゴが自分に対して報復を企てている水神さまだと知る以前のものだ。だから、圭太のヒサゴに対する想いが以前と今とでは同じとは限らない。
加えてヒサゴも注連縄に込められた願望を知りつつ、その内容については圭太に話そうとはしない。
だから戒めを解く方法が分かっていても、前途は多難と言えた。
「今朝になって、何で急に一緒に行こうと思ったんだ?」
後ろにヒサゴを乗せたまま必死に登り坂を上がりながら率直な疑問をぶつけてみる。まずは訊かない事には始まらないと思った。
「大体、まだ戒めも解かれてないみたいだし……。そんなに厄介な願望でも込められてたのか?」
「そ、そっちに関しては一旦、保留よ!」
ヒサゴは願望の話になるとヒステリックに声を荒らげて頑なに話題を逸らそうとする。先日、駅前で別れた時と、そこは変わっていない。
「ケータと一緒に登校しようと思ったのは……その……」
急に声が尻すぼみになり口ごもってしまった。何か言いづらい事情があるようだ。
それでも……と圭太は思う。
「何だぁ? オレって、そんなに信頼に足りねぇか?」
「別にそういうわけじゃ……」
いつもなら、そんな圭太の皮肉に食ってかかるヒサゴだが、今回は珍しく歯切れが悪い。茶化すような雰囲気でも無さそうだ。
「まあ、最初は確かに嫌々つき合わされてた感じだったけどさ……それでも協力する事には応じたんだ。一度決めた約束はオレだって違えたりしないぞ? だったら隠し事しないで話してくれたって良いだろ? じゃなきゃ解決できるもん解決しない。だろ?」
「何で……?」
圭太の腰にしがみつきながらヒサゴは絞り出すような声で訊いた。自然、圭太のブレザーを掴む手に力がこもる。
「ん?」
「何であんたはいつまでもあたしに協力するの? だって、解決策が見つかったんだし、あとはあたし次第なのよ? 仮にあたしがその願いを叶えずに、このまま力を封じられたままだったとしても、あんたには何の不都合もないじゃない!」
ヒサゴは興奮した様子で矢継ぎ早に捲し立てる。圭太の行動が理解できずに苛立っているのだろう。
それは圭太とてヒサゴの言っていることは正しいと思う。ヒサゴの力が戻ろうが戻るまいが、今となっては圭太にとって何の障害にもならないのだ。
「う~ん……。まあ、確かにそうかもしれないけどな」
「だったら――!」
なおも何か言おうとするヒサゴの口もとに圭太は人差し指を立てて遮る。
「でも、乗りかかった船を放ったらかしってのも気分悪いだろ? それに、おまえがそこまで躍起になるほど困ってるんなら、さすがに何とかしてやりたいってのが人情ってもんだ」
「何よ……それ……。わけ分かんない……」
悪態をつきながらもヒサゴの声は哀れなほどに震えている。
「人の行動原理なんてもんは理屈じゃ推し量れないもんですよ」
あっけらかんとそう言って笑うのだった。
散々振り回しておいて急に自分から距離を置いたヒサゴが何を考えていたのかは知らない。それ故、一時は苛立ちもした。けれど、再びこうして自分の前に現れてくれた事で、圭太は何となくホッとしてもいたのだ。
その気持ちの源が一体どこから来るものなのかは自分でもよく分からない。それでも、今自分自身の口から言い放ったように、人の行動原理は理屈じゃないのだ。それは圭太自身が自分を納得させるために言ったものでもあった。
ややあって、ヒサゴはゆっくりと口を開いた。
「襲われたの……」
それはとてもか細く、よく耳を澄ませていないと聞き取れないような声だった。
「襲われた……って? 誰に?」
「分からない……」
ヒサゴはかぶりを振る。
「この場合、襲撃されたって言った方が適当かも……。相手が人間じゃない事は明らかだから……」
「人間じゃない……って?」
途端に緊張が走る。
いくら本来の力を出せないヒサゴとて、襲って来た相手が人間であれば危険はあるにせよ、今はこうして無事であるのなら警察なり何なり対処のしようはある。しかし、それが人以外の何かであるのなら話は別だ。
「相手は恐らく神性を持つ何者か……」
ヒサゴは事の経緯を詳しく話してくれた。
どうも圭太と別れて一人でバスを使って帰ったあの日以降、度々妙な気配につけられるようになったらしい。そして四日ほど前からヒサゴが一人になったところを見計らったように、奇怪な力で襲撃されるようになったのだと言う。
それは軽自動車ほどもある岩が飛んで来たり、槍のように先の鋭く尖った木材がヒサゴを狙い澄ましたかのように無数に飛んで来たり。
幸い今のところは怪我もなく逃げおおせる事が出来ているのだという事だが……。
「ホントはね……人である圭太をこんな危険な事に巻き込みたくはなかったの。ただ、ここ数日の襲撃パターンを見る限り、あたしが一人きりでいる時を狙って来てる。人目につくような場所では決して襲って来ないの。相手が何者で何が目的なのか分からないけど……。だからあたし……散々悩んで……」
「分かったよ」
圭太は少しだけヒサゴの方に顔を向けて笑顔を見せた。
「オレと一緒にいれば、おまえもオレも襲われる危険は無くなるんだろ? だったら毎日、行きも帰りもこうすりゃ良い。てか、そんな事になってんなら、もっと早く言えよ」
「え……?」
ヒサゴは虚を突かれたように顔をあげる。自転車を漕いでいる最中だったので、半分顔を後ろに向けているような状態だから、しっかりと見る事は出来なかったが、彼女の顔はこれまでにないほど気弱になっているようで、あたかも捕食者がうろついている中、巣穴から顔だけ覗かせている子ウサギか何かのようであった。
「オレだって、そんな話をもっと早くに聞いてたら、何かしら対策を取ってやれてたかもしれないだろ? まあ、自信はないけど……」
するとヒサゴは再び俯いてしまう。それでも安堵した様子で強ばっていた顔がやや和らいだ。
「なじられて突き放されるかと思った……」
「はぁ? 何でさ?」
「だって……」
何か言いたそうにしていたが、やがてヒサゴはコツンと額を圭太の背中に当てて来た。そして「クスッ」と笑うと、
「ううん……何でもない。ごめん……」
素直に謝った。
「おいおい、調子狂うなぁ。ヒサゴがオレに謝るなんて……なんか悪いもんでも食ったんじゃないかぁ? ああ、それともあれか? おまえの好きな芋ようかんだかオムハヤシだかの食い過ぎか?」
「な、何でそうなるのよ! あたしだって自分が悪いと思ったら、ちゃんと謝罪くらい出来るわよ!」
「そりゃ結構」
圭太が茶化した事で、ようやく本来のヒサゴらしくなって来た。圭太としても、あまりヒサゴにしおらしくなられてしまうのは、どうにも気持ちが悪いというか……どう接して良いか分からなくなってしまう。
いつもの傍若無人で口の悪いヒサゴの方がよっぽどやりやすいというものだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます