わだかまるもの

 圭太は駅を離れ、ようやく駅と学校の中間地点にある志摩丹百貨店のそばまで来ていた。

 大通りに面した立体駐車場の入り口前を自転車を押しながら、トボトボと歩いている。ヒサゴの姿はなかった。

 彼女の事だから、帰りも後ろに乗っけろと言うのかと思いきや、圭太の予想に反して彼女は「バスで帰る」と駅前のターミナルで別れたのだ。


「あいつ……どうしちゃったんだ?」


 洋食喫茶でオムハヤシを圭太の顔にぶちまけ、圭太が顔を洗って戻ってからといううもの、ヒサゴの様子はおかしかった。

 どうも圭太の事を避けているというふうで、あまり積極的に話そうとしなかったし、別れ際も実に素っ気ないものだった。

 原因は十中八九、注連縄に込められた圭太の願望だという事は察する事ができる。けれど、圭太にはそれが何であるのか全く見当もつかないし、伯乃姉やヒサゴもその内容について一切語ってくれなかった。


「そんなに変な願いだったのか?」


 その場の勢いで、半ば強引にヒサゴの首にかけられた注連縄を外す手伝いをさせられるハメになっていたが、今となっては本気で協力してやろうと思っている。それなのに、ようやく外す手立てが見つかったと思った矢先にヒサゴの態度は急変してしまい、帰りも一人で行ってしまった。

 何となく圭太は物足りなさと同時に憤りも感じている。


「ここまで人を振り回しておいてさ……」


 確かに、もとを糾せば水神の祠を壊してしまった自分に原因がある。けれど、報復に失敗し、一度は協力を迫ったにも拘わらず、自分の方から突き放して来るというのは、さすがの圭太にも納得が行かなかった。

 何となく一人きりで帰路についているのも寂しさを覚える。


(何でだろ……?)


 この短い間に散々振り回されていたが、しかし、それが悪い気もしなかったと感じている自分も確かに居たのかもしれない。


「ああ、クソッ! わけ分かんねぇ!」


 苛立ちが募り、思わず三日月の浮く空を見上げて喚いた。


「ん? 三峯君かね?」


 不意に声をかけられたので、圭太は心臓が飛び出しそうなほどに驚いた。前後に歩いている人の姿はなかったし、誰にも聞かれていないと高をくくっていたのだが、迂闊にも聞かれていたようだ。

 声をかけて来たのは椋梨先生であった。


 百貨店の裏手――丁度、学校の敷地と百貨店の間に広い公園がある。遊具はあまり設置されておらず、噴水を中心として芝生と常緑樹がメインとなった市民の憩いの場なのだが、椋梨先生はその公園から圭太の歩いている歩道へ出て来たところだった。


「こんなところで、どうしたのかね?」

「あ、いえ……その……」


 ばつが悪そうに圭太の目が泳ぐ。マズイところで出くわしてしまったものだと思った。


「こんな時間まで遊んでいたのかな?」


 椋梨先生は目を細めて尋ねる。信用していた人に裏切られたとでもいうような顔をしていた。

 圭太は現状、特に部活などには入っていないし、ましてやすっかり日が暮れてしまったこの時間に駅の方から歩いて来たとあっては、さすがに咎められても文句は言えない。

 だが、それ以上に良心の塊のような先生にこんな顔をさせてしまった事が申し訳ないという思いで心が痛くなる。


「えっと……駅ビルの本屋で参考書探してたら、こんな時間になっちゃって……」


 誰も傷つかない最良の誤魔化し方。我ながら咄嗟に上手い言い訳が出て来たものだと思った。


「そうか……。しかし、学校帰りなのだから時間には気をつけなければいけないよ?」

「は、はい、すみません……」


 上手く切り抜けた。圭太は心の中でホッと安堵の息をつく。人の良い先生だから、あっさり信じてくれたのかもしれない。その点は幸いだった。

 まあ、多少後ろめたい気がしないでもない。けれど、


(これは先生に心配をかけないためだ)


 そう都合良く自分に言い聞かせた。


「ところで、水分みくまりさんに手紙は渡してくれたかな?」

「ああ、さっきまで一緒だったんで……」


 言ってから圭太は余計な事まで言わなくても良かったのではないかと口を噤んだ。表向きは中学生と見られているヒサゴまで同じように、こんな時間帯まで帰宅せずにいたとあれば彼女の方も何か問い質されるかもしれない。

 先ほど、椋梨先生からヒサゴに宛てた手紙を直に見はしなかったが、ヒサゴの言う通り、あまり圭太に迷惑をかけるなという内容だとしたら、ただでさえ圭太とヒサゴのコンビは目をつけられているという事でもある。


(やっぱり二人乗りがマズかったよなぁ……)


 見られれば警察にも注意されるような事だし、当然、教師に目撃されていたのだから監視対象になってもおかしくないだろう。

 ヒサゴに強引に迫られて仕方なしにという事ではあったのだが、乗せてしまった以上は自分も同罪だ。今さらながら後悔する。


 しかし、気をもむ圭太の思いとは裏腹に椋梨先生の反応は実に淡泊なものだった。


「そうかね。それなら良かった」


(あれ……)


 些か拍子抜けしてしまう。

 まあ、ヒサゴの言っていた通りの文面なのだとしたら、圭太は被害者として見られているのかもしれない。だが、はたして椋梨先生がそこまで内情を知っているものだろうか……? 

 そんな疑問が残る。


「さっきまでは一緒だったという事は別々に帰ったという事かね?」

「ええ、まあ……。あいつは先にバスで帰りましたよ?」

「ふむ……」


 椋梨先生は、さも意外だとでも言わんばかりに下唇を尖らせ、への字口を作る。

 どうも圭太とヒサゴはセットである事が当たり前のように見られている節があると見える。

 それにしても圭太は妙に思えて仕方がなかった。

 圭太は椋梨先生のクラスの生徒であるから気に掛けてくれるのは分かる。また、圭太とヒサゴが近所に住んでいる事も教師であれば知っていても何の不思議はない。

 しかし何故、椋梨先生はヒサゴ個人に対して、わざわざ注意勧告の手紙など渡すような事をしたのだろう? 

 ヒサゴも同じ大野谷口学院の生徒であるとはいえ中等部の一生徒である以上、高等部専任教師である椋梨先生とは殆ど関わりがない筈だ。もし、ヒサゴに対して注意が必要であるのなら、そういった場面に出くわした際に直接言えば良いわけだし、後回しにするのであればヒサゴの担任なり中等部の学年主任なりに伝えれば良い話だ。

 圭太は思い切って、その質問を投げかけてみた。


「先生は……ヒサゴのこと、以前から知ってたか何かですか? あいつとはあまり関わる事が無さそうに思えるんですが……」


 すると椋梨先生は決まり悪そうに頭を掻いて笑う。


「ああ……実は彼女が我が校の編入試験を受けた際、面接に私も同席していたのだよ。試験そのものは全ての教科でほぼ満点と文句なしの優秀な成績なのだがね……。キミも知っているかとも思うが、彼女は海外での生活が長かったからか、日本式の礼儀だのルールだのといった事には疎いところがあるのだよ」


(海外? そんな設定になってたのか……。初めて聞いたわ!)


 圭太は思わず笑いそうになるのを必死で堪えていた。

 長いこと父親とは別の場所で暮らしていたとは聞いていたが、まさか海外だったとは……。なるほど、帰国子女という設定ならば、日本の常識を知らないとしても不自然ではないだろうが……。

 それにしても事実を知っているだけに、圭太は内心、今この場で大笑いしたくて仕方がなかった。


「まあ、そんな事もあって彼女に関しては個人的に心配もしていてね。中等部の先生方から出しゃばるなと文句を言われそうだが……どうも、こればかりは私の性分なのだろう。我ながら困ったものだ」


 辺りは公園と通り沿いの街灯の明かりだけであるから、間近にいても逆光で表情が分かりづらい。が、恐らく椋梨先生は少しだけ恥ずかしそうに顔を赤らめているようだった。


「先生って、本当に生徒の事を思ってるんですね」

「そうなの……かな……。あらためてそう言われると何となく面映ゆいが……」


 やはり良い先生なのだと再認識させられる。

 随分とヒサゴに拘っているように見えた事で、若干、疑念を抱きもしたが、一瞬でもそんな疑念を抱いた自分が圭太は恥ずかしくなった。


 ***

 

 椋梨先生とは、その公園前で別れた。

 先生の住まいがどこなのかは知らないが、百貨店近くのバス停へ歩いて行くところを見ると、恐らく学校からは大分距離があるのだろう。


「今の先生の言葉、ヒサゴのヤツにも聞かせてやりたいよ……まったく……」


 人を振り回し、無関係の他人にまで心配をかけているヒサゴに圭太は少しばかり腹が立っていた。

 でも、同時に自分自身も彼女の事がいつの間にか頭から離れなくなっているのも事実である。


(おかしなもんだ……)


 どうせ放っておいたところで今のヒサゴにはろくな力もない。それにヒサゴの力を封じている戒めを解くすべも見つかったのだ。だったら、これ以上は彼女につき合う必要もないんじゃないかと思う。


 それなのに圭太はヒサゴの事が、どこか気がかりでならないのだ。

 だからなのか、勝手気ままなヒサゴにも腹が立っているし、それ以上に矛盾とも取れる自分の心に苛立っていた。


 ***


 結局、それから数日、ヒサゴと顔を合わせる事はなかった。

 学校には普通に通っているらしかったが、もともと接点のあまりない高等部と中等部だ。意図して会おうとしなければ、お互いに姿を見かける事も希である。

 このまま疎遠になって行くのか……。そう思われた。

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