戒めを解く鍵
「ああ、その触媒を用いた『神性封じ』は本来、神と術者の間で取り交わされる契約に使われる
「契約って?」
圭太は眉を顰める。少なくとも自分はヒサゴに対して何か契約らしいものを取り交わした覚えはない。それどころか自分がそんな力を使えるなどと、今の今まで知らずにいたのだ。
それが自分の知らぬ間に勝手に契約として成立してしまっているのだとしたら、訳が分からない。
「人が何かどうしても神に叶えてもらいたい願いがある場合、術者自身が祈りなり供物などを捧げる代わりに神に必ず願いを叶えるという契約を守らせる為の戒めとして、その注連縄のような触媒を用いる術だよ。願いを叶えるまでは戒めが解かれる事はないというな」
長々と説明を続けていた伯乃姉はそこで一旦、話を止め、乾いた唇を潤すかのようにカプチーノに口をつける。
そして再び続けた。
「しかし、この場合、術者と神はあくまで対等な立場と見なす契約であるからな……。外道の術として人々の間でも忌み嫌われるようになって、今では神社仏閣などでそのような手法を取るところはない。日本史で教えられるような話ではないが、実際にこの形式の『神性封じ』を用いて願いを叶えさせた事例としては、疫病と飢饉が続いていた事で、何とか国を安定させたいという時の朝廷の望みを汲んで、
「ええっ⁉ それって、あの奈良の大仏のこと⁉」
日本史では必ずと言って良いほど教わる奈良時代の有名事業だ。そんな日本人なら誰でも知る、あの奈良の象徴とも言うべき大仏にそんな隠れたエピソードがあったなんて、俄には信じ難い。
いや……平素、真顔で嘘をつく事の多い伯乃姉の言うことだから、圭太はまともに取り合って良いものかと頭の中で自問自答すらしている。
「行基が大仏完成前に亡くなったのも、彼が自らの寿命を供物として捧げたが故だからな。まあ、信じる信じないはキミたち次第だが……事これに関しては、私も嘘を言うつもりはないよ」
さすがに圭太の表情に疑いの色が浮かんでいるのを伯乃姉は目敏く察知したのだろう。そうまで言われてしまうと、圭太も返す言葉がない。
「で、つまりそれと同じ形の『神性封じ』って事は、ケータにも何か望みがあって、それをあたしが叶えれば、この戒めも外れるって事よね?」
「そういう事になるな。決してキミに叶えられないような願いではない筈だよ。いくら神であっても叶えようのない願望であれば契約そのものが初めから破綻している事になるからな。『神性封じ』が効果を発揮する事もない」
それを聞くなりヒサゴは圭太をキッと睨みつける。
彼女が言いたいことは分かっている。けれど……。
「オレの願いったって、オレにも分からねぇよ。あの時はヒサゴに襲われて無我夢中だったし、気づいたらヒサゴの首にそれが巻き付いてたんだからな」
「だったら、何であたしの首から注連縄が外れないのよ!」
興奮した様子でヒサゴが食ってかかる。あまり興奮するものだから、ニョキッとツノが生えてしまっている。
「ヒサゴ君、気をつけたまえ。
と、伯乃姉がすかさず自分の耳の上辺りを指差した。
水神としての力を使っている時だけでなく、興奮するとツノが生えるというのも困ったものだ。おまけにツノが飛び出しても本人が気づいていない事が多い。
ヒサゴも注意されて慌てて両手で頭を隠す。
彼女の背が小さめである事に加え、ここは半個室のような席になっているのが幸いだ。
「あくまで私の推測だが、圭太君はキミに襲われる前日から注連縄を身近に置いていたのだろう? 学校へも持って行っていたと聞く。という事は、キミに襲われた際に願掛けをしたのではなく、前日から無意識に願望を『神性封じ』の力と合わせて注連縄に注ぎ込んでいたと考えるのが妥当だろう」
「む、無意識にぃ……?」
そんな事があるのかといった様子でヒサゴは眉間に皺を刻む。それでもオムハヤシを食べる手を止めないのだから、好物への執着は驚くべきものだ。
「ケータ、ふぉふぉろあはりはいほ?」
どうやら「心当たりないの?」と言っているらしい。
「そんなこと言われてもなぁ……。それより、食べ物を口に入れて喋るんじゃありませんよ! お行儀の悪い!」
子を叱る親の気分が良く分かった気がする。こんなのが実は神さまだというのだから拍子抜けも良いところだ。
「まあ、圭太君に覚えがないのなら戒めとなっている注連縄に直接尋ねてみると良いのではないか?」
「「そんなこと出来るんですか⁉」」
思わず口を揃えて圭太とヒサゴは身を乗り出す。
意外とあっさり解決策が見つかってしまった。それも呆れるくらい簡単な方法だ。
こんな事なら長々とした解説など要らないから、先に術を解く手段を教えて欲しかった……と圭太は内心、突っ込みたい気分だった。
「注連縄に手をあてて、霊力の波長を合わせるように心の中で問いかけてみると良い」
「波長を合わせる……?」
圭太には何の事やら、さっぱり理解できなかったが、ヒサゴはその説明だけで理解したようで「そんなの容易い事よ」とばかりに食べながら空いている左手を注連縄にあてる。
僅かに注連縄とヒサゴの左手がぼんやりと暖かな光に包まれているのが圭太の目にも見えた。
しかし、次の瞬間――
「ぶふぅぅぅぅぅぅっ!」
ヒサゴが盛大に口の中に含んでいたオムハヤシを吹き出した。お陰で真っ正面に座っていた圭太の顔は彼女の毒霧のように吹いた玉子とソースでべちょべちょだ。まだ半分も飲んでいないホットココアにも玉子やタマネギが浮いている。
「き、汚ぇ! 何すんだ!」
「ゲホッ! ゴホッ! な、な、何すんだじゃないわよ! バ、ババ、バカじゃないの⁉」
ヒサゴはむせながら耳まで真っ赤にしている。どんな願いだったのか知らないが、明らかに動揺していた。いや、これはもう動揺どころか半狂乱に近いかもしれない。
とはいえ、圭太も身に覚えはないし、思いっ切りオムハヤシを吹きかけられた被害者であるのに罵られたのだから理不尽なものだ。
「顔洗って来る……」
不条理に罵倒され、言い返す術もなく圭太は殆ど無気力な顔で席を立つとトイレへと駆けて行った。
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