第三話 思わぬ力
龍造寺と水神さま
「いや、しかし……よく偽装できているものだ。さすがに私もキミの存在に気づくまでに時間がかかってしまったよ」
伯乃姉はヒョイと屋根から飛び降りると、圭太たちの前に着地する。拍子にフワリとスカートが捲れ上がりそうになるが、そこはさすが隙のない伯乃姉というべきか。見えそうで見えず終いという見事な着地の仕方であった。
そして何故か彼女は手に金属バットを握っている。
「あんた……何者? あたしが何だか気づいてるみたいだけど」
ヒサゴは警戒するような目つきで身構えた。
もっとも、今のヒサゴには水神としての力が殆ど封じられているため、例え相手が何者であろうとも、並みの人間――それも中三の少女程度の力しかない。
そのヒサゴに対し、伯乃姉はキッと鋭い目で睨みつけるなり、いきなり金属バットをヒサゴの目の前に振り下ろした。
ガキッと激しい音を立ててバットの先がアスファルトを叩く。
「ひっ……!」
ヒサゴのつま先辺りのアスファルトが僅かにひび割れていた。
「私が何者か……か? その前にキミは先輩に対する礼儀というものを学んでおいた方が良さそうだな」
伯乃姉は表情のない顔を怯えるヒサゴの顔に近づける。そしてヒサゴのおとがいに手をあて、スッと持ち上げた。
誰かが今の二人を見たら、まるでこれからキスでもするかのように思われるだろう。
「まあいい。私も力を無くした少女をいたぶる趣味は持ち合わせていないからな」
そう言って手を離した。
ヒサゴはキュッと唇を真一文字に結んでいる。人間相手にここまで気圧されるのは初めてなのだろう。何か言いたそうにはしているが、変に楯突かない方が身のためだと察したようだった。
「さて……。まずはキミたちの抱いているであろう疑問に答える必要があるな」
「いや、その前にさぁ……」
圭太は辺りを見回す。幸いにして、今のところは誰も居ないが、ここは学校の敷地内だ。いつ、誰がやって来るとも限らない。
「ヒサゴの事はあんまり他のヤツらに聞かれたくないからさ」
「ああ、そういう事なら安心したまえ。この一帯には人払いの結界を敷いておいた。十分程度であれば誰も寄りつかないだろう」
さらりと信じられない事を言ってのける。
「「そんな事できるの⁉」」
驚きのあまり、圭太とヒサゴの声が見事にハモった。
しかし、圭太とヒサゴの二人が目を白黒させている様子を楽しんでいるかのように、伯乃姉は「ふふ……」としたり顔で微笑する。
「キミたちは面白いな。嘘に決まっているだろう?」
「「ええぇぇ……」」
これまた同時に圭太とヒサゴはへの字口で「してやられた」といった声を漏らした。
圭太は伯乃姉とつき合いも長いから、彼女の言う全てを真に受けてはいけないという事は経験で分かっていた筈だが、まさかこんな子供だましの嘘に引っかかる事になるとは思いもしなかった。
ヒサゴという人外の存在が身近にいる事で、すっかり非科学的なものに対しても疑うという事を忘れてしまったというわけだ。
「とりあえず初めまして……になるかな?
「龍造寺……?」
ヒサゴの片眉がつっと持ち上がる。
「知ってるのか?」
「知ってるもなにも……ケータが壊した祠は龍造寺を創建した僧があの場所に建てて、あたしを祀ったんだもの」
伯乃姉もヒサゴの言葉に頷いた。
「つまり私の先祖が彼女を祀り、あの祠はずっと龍造寺が管理していたという事さ。寺の名が『龍が造る寺』と書くのも、龍の姿たる水神の託宣を受けて創建されたという逸話に基づいているのだからな」
圭太は二人の間で呆けたような顔のまま固まっている。
水神さまであるヒサゴと龍造寺にそんな関係があったなんて事、長くあの土地に暮らしていて、今の今まで知らなかったし、伯乃姉がヒサゴの存在に気づいていた事も全く予想だにしていなかった。
伯乃姉の口振りからするに、もう少し前からヒサゴの存在は察知していた様子であるし、あらためて底が知れない人だと思った。
「それにしても……」
伯乃姉はやや哀れむような目でヒサゴの首辺りを見下ろすと、直ぐに視線あげた。
「ヒサゴヒメの姿を見るに、なかなか珍妙な事になっているようだな。まあ、お陰でおおよその事は把握できたが」
「あんたには、これが何だか分かってるって言うの? だったら外し方を――」
ヒサゴが目の色を変えて伯乃姉に迫った途端、またしても金属バットが振り下ろされる。
ヒサゴは「ひっ……!」と小さく悲鳴をあげて尻餅をついた。
「一から教えてやらなければ分からないかな? いかにキミが神であろうと、人間社会に身を置くとなれば、人間社会における常識というものを身につける必要がある」
要するに「先輩に対する態度がなっていない」という事だ。
もっとも、本来の伯乃姉はそういった上下関係やら仕来りというものに関しては、寧ろあまり頓着しない方で、ヒサゴに対しては面白がってそうしているように圭太には見えた。
「ふむ……。このバットを持って行けば話も円滑に進むと占いに出ていたが、どうやら当たっていたようだな」
(ひでぇ……)
完全に遊ばれているヒサゴが何だか哀れに思えてきた。
すっかり涙目になって怯えきっているヒサゴを助け起こしてやる。圭太に手を引かれ、立ち上がりながらヒサゴは耳元で「あたし……この女、苦手……」と呟いた。
「わかる……」
圭太としては初めて同志を見つけた気分だった。
「さて……。見た限りでは、ヒサゴヒメは本来持つ力の殆ど……九割以上を封じられているようだな」
「ああ、水芸みたいな事しか出来なくなってるみたいだ」
「水芸って言い方やめてよね!」
補足説明してやった圭太に対して間髪入れずヒサゴが苦情を入れる。
しかし、今のヒサゴに使える力は手からチョロチョロと頼りない勢いの水しか出せないのは事実で、その姿は水芸にしか見えないのだ。「おじいちゃんのオシッコ」よりは、まだマシだろうと圭太は思っている。
「ケータに何かされたせいで、こんな事になってるのよ!」
「そんなこと言われても、身に覚えがないんだけどなぁ……」
「じゃあ、何でこの注連縄が外れないのよ! 本来なら注連縄にこんな力はないって、あれほど言ったじゃない!」
「いや、知りませんよ、そんなの……」
圭太とヒサゴのまるで痴話ゲンカのようなやり取りを、さも愉快げに見ていた伯乃姉であったが、やがて二人の口論を止めようと圭太とヒサゴの間に金属バットを振り下ろした。
これで三度目だ。
さすがに圭太もヒサゴも瞬時に押し黙る。
「いや……自覚がないようだが、それは確かに圭太君の持つ特殊な力が作用しているな」
「マジか……」
「ほら、やっぱり! だから――」
と、伯乃姉の言葉に再び圭太とヒサゴがああだこうだ始めようとしたところ、伯乃姉がバットを肩まで上げる。それにより二人はまたしても瞬時に口を噤んだ。
バットの動作だけで反応するようになってしまった辺り、もはやパブロフの犬同然と言って良い。
「そろそろ人が寄りついて来る頃かもしれん。続きは他の場所でという事にしよう。どうせ、これから駅前でお茶でもするところだったのだろう?」
これからが本題というところで伯乃姉は話を打ち切る。
圭太もヒサゴもこれには焦れったいところではあったが、確かにいつまでも学校の駐輪場で話しているような内容でもない。
もっとも、第三者が途中から聞いたところで何の話だか見当もつかないだろうが。一応、念には念をというやつである。
駐輪場を出たところで、ふと、ある物が圭太の目に留まった。
「人払いの結界……ね……」
圭太の顔に脱力の混じった冷笑が浮かんだ。
いつの間にか駐輪場を囲むようにパイロンとトラバーが置かれ、等間隔で『有毒ガス発生により立入禁止』という貼り紙がしてあったのである。
誰の仕業であるかは言うまでもない。
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