空き教室での密談

 ヒサゴに連れられて来たのは四階、一番端っこにある空き教室だった。

 空き教室とは言っても、過去の文化祭で使用した小道具やら体育祭で毎度使用しているパイロンなどを保管している半ば物置のような教室である。

 机や椅子もいくつか置かれているが、その多くはガタが来て予備の机や椅子と交換した物だから、言うなれば粗大ゴミも一時保管されている事になる。

 窓からはグラウンドが一望でき、その向こうに噴水つきの広い公園と三十二階建の高層マンションが見て取れる。

 そんなわけだから、この辺りとしては景色も、まあ悪くはない。が、如何せん教室が教室だ。


「何でこんなとこで……」


 圭太が不満タラタラにぼやくとヒサゴは振り返り、ジトッとした目つきで睨みつけた。他の学生たちの前とは大違いだ。


「あんた、ホント察しが悪いわねぇ。あたしたちの話を他の連中に聞かれたくないからに決まってるでしょ! ここなら誰も来ないし、密談にはうってつけだからよ」

「はあ……密談ねぇ……」


 確かに廊下の一番奥で、この空き教室の手前は屋上へと続く階段であるから人気ひとけは少ない。とは言っても、廊下の突き当たりに非常階段へ出る扉があり、たまにそこを通って校舎の外側から一階まで下りる物好きもいるため、全く人が通らないというわけでもなかった。


「とにかく、万が一の事もあるから、さっさと内鍵閉めちゃって」

「はいはい……」


 言われるまま圭太はドアのスライド式ロックを下ろす。そして適当な椅子を見繕って腰掛けると、持ってきたBLTサンドを食べ始めた。 

 ヒサゴはというと、何故かまた昨日の夕食前、そして今朝も自転車の後ろに乗りながら食べていたものと同じ『舟洋ふなひろの芋ようかん』をモグモグと頬をいっぱいにして咀嚼している。


(よっぽど好きなんだな……芋ようかん……)


 何だか暇さえあれば芋ようかんを食べているようなイメージだ。しかし、昼食に芋ようかんもどうなのだろう? 

 そんな圭太の視線に気づいたのだろう。


「何よ……」


 ヒサゴは僅かに芋ようかんを手で隠し、警戒するような目で「あげないわよ」と低い声で言った。


「いや、べつに要らないけど……」


 ともあれ、こんなところに連れて来て密談というからには、注連縄を外すという話以外にほからならない。圭太はヒサゴの方から何か言い出すまで、口を噤んでいる事にした。

 やがて、芋ようかんを食べ終えたヒサゴはワナワナと肩を震わせ始める。


「あんたの……」


 彼女の全身から怒気が発せられ、この空き教室の空気が痛いほどに張り詰めているのが圭太にも感じ取られた。その怒りの矛先は明らかに自分に向けられている。


「あんたのせいで、クラスでのあたしのイメージは散々だわ!」

「はい……? な、何でオレのせいなんだよ」


 少なくともヒサゴと出会ってから中学校の校舎に立ち入った事はない。当然、ヒサゴのクラスメイトとも関わりがないのだから、彼女がクラスでのイメージが良くなろうが悪くなろうが、自分のせいにされる謂われはない……筈だ。


「これを見て皆んなどういう反応だったか、あんた想像できる⁉」


 ヒサゴは自分の首に巻かれている注連縄に指を引っ掛けて「これだ!」とアピールする。

 依然として彼女の首から外れる事のない注連縄は、見ようによってはちょっとしたアクセサリーのようだ。もっとも、アクセサリーとして見ればセンスの欠片もないのだが……。


「仲良くなった子たちも、『ああ……可愛いと思うよ』とか『趣味は人それぞれだから』とか、あたしのこと哀れむような目で見てるのよ! 明らかに気ぃ遣われてるのが分かるのよ! 間違いなく、あたしは残念なセンスの女の子と思われてるのよ!」


 耐えがたい屈辱だったのか、怒りを剥き出しにしながらもヒサゴの目に涙が浮かんでいる。


「ああ、それはそれは……ご愁傷さまな事で……」


 残念なセンスという点に関しては注連縄のせいだけでなく、ヒサゴのヘアピンを見ても、もともとセンスが良いとは思えなかった。

 けれど、さすがに美的センスの疑わしいヒサゴも注連縄を四六時中、首に巻き付けた状態で人に見られるというのは恥ずかしいようだ。


「なぁにがご愁傷さまよ! あんた、責任感じてるの⁉」


 ヒサゴは圭太の襟を掴むと、顔中に唾が飛ぶような距離までグイッと迫る。いや、現に圭太は顔中、ヒサゴの唾まみれにされていた。


「そう言われてもなぁ……。ホントにオレがやった事だなんて自覚もないのにさぁ……」

「ケータがそうやって、いつまでも自覚持ってないから、なおさら頭に来てるって分かってんの? この単細胞!」

「ひでぇ……」


 こう、いきり立っているヒサゴが相手では圭太も苦笑いを浮かべているしかない。昨晩もそうだったが、とにかく興奮が鎮まるまで言われるままにしていた方が無難そうであった。


「んで? 何か気づいた事のひとつでもないわけ?」

「午前中はずっと授業だったんだぞ? 昨日の今日で、そんな直ぐに何かある筈ないだろ」


 もっとも、午前中はずっと寝ていたのだが、そんな事はおくびにも出すつもりはない。まあ、起きて授業を受けていたとしても結果は同じ事だったろうが……。


「何でも良いのよ! ほんの些細な事だって」

「そうだなぁ……。気づいた事といえばひとつだけ……」


 圭太がポリポリと頭を掻きながらうわごとのように呟くと、急にヒサゴは目の色を変える。


「うん! うん!」


 その瞳は哀れなほどに期待が込められていた。


「水神さまとしての力を使う時だけツノが生えるって言ってたけど、興奮した時にも生えてる……」

「……」


 しばしの沈黙が続いた。

 そして急に圭太の顔にピチャピチャと水がかけられる。

 今し方、期待に輝かせていた瞳と打って変わり、死んだ魚のような目をしたヒサゴが手のひらから水を飛ばしていたのだ。


「ぷわっ! 何すんだ!」

「あ~。一瞬でも期待したあたしがバカだったって、よぉく分かったわぁ~。いや、ホント……自分でも呆れたわぁ~」


 深々とため息をつくと、慌てて袖で顔を拭っている圭太をよそにヒサゴは自己嫌悪の様相でガックリと床に両手をついている。


(理不尽だ……)


 圭太はもはや言い返す気にもなれない。

 しかし、ヒサゴは直ぐに気を取り直して立ち上がると難しい顔をして「う~ん」と唸る。


「でもまあ、そっか……。それはそれで由々しき問題ね。これからは気をつけないと……」


 とまあ、ヒサゴ自身も自分が興奮するとツノが生えてきてしまう事に気づいていなかったようだ。

 ヒサゴが水神さまだと知っている人間はこの学校でも圭太だけなのだ。当然、第三者にその事を知られるわけには行かない。


「じゃあ、特に進展はなかったわけだから、オレはそろそろ行くぞ?」


 そそくさと出て行こうとする圭太だったが、またしてもヒサゴからピチャピチャと後頭部に水をかけられた。


「まだ話は終わってないわよ。なぁに勝手に逃げようとしてんの?」

「いや、別に逃げようとしたわけじゃ……。てか、いちいち水かけるのやめろ」


 駄菓子屋で売ってる水鉄砲のような水流であるから勢いは無いが、二度に渡って圭太に水をかけているから、空き教室の床はすっかり水浸しになっていた。あとで拭かなきゃならなさそうだ。


「とにかく! あたしのイメージダウンに繋がる以上、一刻も早くこれを外す必要があるわ! これはもう死活問題なの!」


 そう力説する。

 何となく水神の力を取り戻したいというよりも、格好悪いからという理由の方が強くなっている気がした。


「とは言っても、現状で方法はないんだろ?」

「ふん! だったら力尽くよ」


 そう言って口の端に不適な笑みを浮かべるとヒサゴは教室の隅に置いてあった大きな剪定バサミを手に取った。

 植え込みの低木を剪定するのに使われている物だが、最近、剪定バサミを新調したとかで、以前に使われていた物を学校の職員がこの空き教室にしまっていたようだ。


「まさかとは思うけど……」

「ふふん。そのまさかよ。ケータにはこれを使ってあたしの首に巻き付いてる注連縄を切ってもらうわ! これだけの大きさと重量があれば何とかなるでしょ」


(うわぁ……。オチが見えるくらい短絡的だなぁ……)


 ヒサゴは得意満面であるが、その根拠の薄い自信はどこから来るのか圭太には甚だ疑問である。

 しかし、ヒサゴに強引に剪定バサミを押し付けられると拒む事もできない。


(まあ、本人の気の済むようにしてやるか……)


 うなじ辺りの細い部分を切らせようと圭太に背を向けるヒサゴに黙って従う事にした。


 ***


 四階の空き教室で、まさかこんなやり取りが行われていると知る者はいない。それにここはあまり人も寄りつかない場所だ。

 しかし、そんな二人――特にヒサゴの思惑とは裏腹に、この空き教室の前を通りかかった者が一人だけいた。


「非常階段の鍵が閉まってるから開けて来いって……何でわたしが……」


 ぶつぶつと文句をたれながら空き教室の前に差し掛かる。玉井であった。

 彼女はたまたま職員室に用があって行ったところ、他の教師から非常階段四階の鍵を開け忘れたから開けに行ってくれと頼まれてしまい、こうして用もない四階までやって来た次第である。

 もちろん、圭太とヒサゴが直ぐ近くの空き教室にいる事など知らず、ただの偶然であった。

 が、彼女は空き教室から聞こえて来た話し声に思わず足を止める。


「う~ん……もう少し(ハサミを)深く入れた方が良いかな?」

「え? いや、ちょっと……イダダダダッ!」

「あ、悪りぃ。大丈夫か?」


 聞き覚えのある声だ。


(え? これって三峯とヒサゴちゃんだよね?)


 昼を一緒に食べると言っておいて、こんなところでというのも妙な話だ。そう思うと玉井は聞き耳を立てずにはいられない。


「ケ、ケータ、強引にし過ぎ! もうちょっとゆっくり……」

「でも、こういうのは思いっ切りやらないとさ。思ってたより(注連縄が)固いし……」

「だからって……い、痛あっ! 少しはあたしの身にもなってよね! 全身に電気(比喩ではなく事実)が走って、かなり痛いんだから! 優しめで一気によ!」

「難しい事おっしゃる……」


 玉井は中の二人のやり取りを廊下で聞きながら口をパクパクさせている。玉井の耳には、どう考えてもいかがわしいやり取りにしか聞こえない。


「それにさっきより(注連縄の)締めつけキツくなってないか?」

「だぁかぁらぁ! あんたが強引に(刃を)入れたからでしょ? あたしの言ってること分かってんのかなぁ。ったく……」


 玉井は顔を真っ赤にしてその場から駆け去る。


(これは……あれだよね……。え、えらいこっちゃぁぁぁ!)


 と、そんな具合におかしな勘違いをされていた事など圭太は知るよしもない。


 午後の授業が始まる直前に圭太は教室へ戻って来たのだが、玉井は圭太の前まで来ると決まり悪そうに視線を逸らし、


「あ、あのさ……。強引なのは良くないと思うよ? う、うん……」


 と、遠回しに忠告をしてやった。

 無論、圭太には何の事やら……と言った感じだ。


「はぁ?」

「そ、それにもう少し場所は選んだ方が良いんじゃないかな……。学校はさすがに……ね……。じ、じゃあ、そういう事だから!」

「はあ……」


 耳まで赤くして去って行く玉井を圭太は訳も分からずポカンとした顔で見送るのだった。

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