良い先生と悪魔のような後輩
「何で朝からこんなクタクタにならにゃならんのだ……」
教室に着いた圭太は自分の席にドスンと腰を落とすと、そのまま机に突っ伏した。体力的な意味も多少はあるが、主に精神的な意味の方が強い。
授業など無視して寝ていたい気分だ。
「なになに? 今朝はまた随分とやる気なさげだねぇ」
何も知らない玉井が頭をつついて来る。だが、圭太は反応する事すら億劫で一向に頭を上げようとしない。
「へんじがない。ただのしかばねのようだ」
そうとだけ言って精一杯、しんどさをアピールする。
「何かあったの? 本当に屍みたいになっちゃってさ」
「いやぁ……」
どう説明したら良いか……。そう思案するのも面倒だが、愚痴くらいは誰かに聞いてもらいたい気分でもあった。
「わがままで偉い身分のご近所さんに振り回されて、篠原がゾンビになって……」
「はぁ?」
さすがに要領を得ないと玉井は眉を寄せる。
圭太も嘘を言っているつもりはない。が、これで他人が理解できる筈もなかろう。それでも打ち明けられない事もある。
(さすがにヒサゴが水神さまでオレに神罰を与えるために来たなんて言えないもんな)
だから大幅にぼかして説明するしかないと思い……その結果、こうなった。
もっとも、篠原が勝手に邪推して敵対心を剥き出しに絡んで来るようになった事については事細かに説明しても良かったのだが……。
「何だ? 三峯君、調子が悪そうだね」
突然、玉井とは別の低い男の声が頭の上からしたので、圭太は驚いたように体を起こす。
「あ、椋梨先生……」
「そろそろホームルームが始まる。玉井君も席に戻りなさい」
玉井は「はい」と恐縮した様子で自分の席に戻る。
決して威圧的で怖い先生ではなく、寧ろいつも柔和で穏やかな口調なので菩薩のように優しい印象を受ける。おまけに声も渋みがかったダンディなもので、同じ男からしても羨ましい声をしていた。
そんな椋梨先生だから、却って誰も口答えする気にもならなくなる。
「体調が優れないのなら保健室に行くかい? 何だったら早退しても構わないが」
こんなふうに生徒のちょっとした異変に直ぐ気づいて気遣ってくれる。
良い先生という噂が事実だという事は圭太も出会って直ぐに察する事ができた。
「あ、いえ……。ちょっと色々あって気疲れしてるだけです。大丈夫ですよ」
「そうかね? まあ、私の方から根掘り葉掘り訊くのもなんだ。もし、自分ではどうしようもないくらいに悩んでいるのであれば遠慮なく私のところに来なさい」
慈悲深い笑みを見せると椋梨先生は教卓の方へと歩いて行く。
「キミたちも何か相談したい事があれば遠慮なく、いつでも私のところに来ると良い。我慢するという事も必要なことだが、決して自分一人で抱え込んではならないよ? 人は自分一人で抱えられる量に限界というものがある。大丈夫と自分に言い聞かせていても、知らず知らずのうちにそれが自分の首を絞めている事になってしまうものだ。そうなる前に心を許せる相手にでも聞いてもらいなさい。どんな些細な事であっても、悩みを打ち明けるというのは決して恥じる事ではないのだからね」
教室中の生徒たちが真剣な眼差しで聞き入っていた。中には「うんうん」と何度も深く頷いている者もいる。
(良い人だぁ……)
椋梨先生の話に聞き入っている生徒たちの心に共通した感想だったであろう。
***
この日、圭太は午前中の授業を殆ど寝て過ごしていた。
今朝、心身ともに疲れたというのもあるが、前日、そして昨晩もあまり眠れていない。
原因はもはや言うまでもない。とにかく、勝手気ままな水神さまに振り回されっぱなしで気持ちが休まらないのだ。
教壇に立った教師の視界に入りやすい位置は一般的に教師の真っ正面と両サイドの最後尾と言われているが、幸いにして圭太の席は窓際の中程という微妙に教師の目が行き届きにくい位置であったからというのもあるし、教科書とノートだけ開いて俯き加減に眠っていた事からか、特に注意される事もなかった。
とはいえ、さすがに昼休みになると周りも騒がしくなるし、圭太自身腹も減る。
朝のうちに購買部で買っておいたBLTサンドとパック入りのカフェオレを取り出し、一人でのんびり昼食にしようとした時であった。
「三峯~。あんた、また一人で寂しくお昼?」
玉井が前の席が空いたと見るや透かさず腰を下ろし、哀れみの目で圭太の顔を覗き込む。
「別に良いじゃねぇか。今日はそういう気分なんだよ」
玉井が「また」と言うように、確かに昨日も一人で昼休みを過ごしていた。けれど、別に圭太だって友達が少ないわけではないし、寧ろ玉井や篠原を含め、気の置けない仲間はたくさんいる。ただ、昨日は不可解な現象と伯乃姉の占いが気になっていたし、今日は今日でヒサゴの事があるせいで、事情を知らない友人たちとワイワイ騒ぐ気になれないのだ。
「そう言えば篠原のヤツ……さっき、わたしも会って来たわ」
「あ~」
玉井の顔に苦しげな微笑が浮かんでいる辺り、何となく察しはつく。気にはなるものの、どちらかと言えば聞きたくない気分だった。
「あれは重症だね。まあ、ヒサゴちゃん可愛いからなぁ。分からないでもないけど……」
「勝手に勘違いされても、こっちとしては迷惑なんだけどなぁ……」
まあ、近所に住んでいる後輩だからと言って、自転車の後ろに乗せていれば勘違いされても仕方ないかもしれないが、圭太に言わせればヒサゴが有無を言わせず乗ってきたのだから、それで嫉妬されても不条理というものでしかない。
「とにかく、そんな事もあって昼休みくらいは一人で居たい気分なんだよ」
「はぁ……。分からないでもないけど、そのヒサゴちゃんが三峯を呼んでるんだよねぇ」
「は……?」
玉井は圭太の机に頬杖を突きながら、親指でクイッと教室の入り口を指し示す。
ドア口の辺りに立って、圭太と目が合うと手招きをしているヒサゴの姿があった。その顔は昨晩から今朝にかけて圭太に向けられていたものと違い、まばゆいばかりの笑顔である。圭太以外の学生も大勢いるものだから、明らかに猫を被っていた。
「先にそれを言えよ!」
圭太は慌てて席を立つと足早にヒサゴのもとへと向かう。その圭太とヒサゴにクラス中の視線が集中していた。
(うわぁ……)
特に男どもの突き刺さるような視線が痛い。「何で、こんな可愛い子がおまえのようなヤツに!」という無言の圧力である事は彼らの顔を見ずとも容易に察する事ができた。
「何か用ですか?」
圭太の訊き方はわざとらしいまでい機械的で棒読みだった。
そんな感情の一切こもっていない圭太に対しても、ヒサゴは天使のような笑顔を崩そうとはしない。逆に圭太にはそれが怖かった。
(皆んな騙されるなよ! こいつの笑顔の裏には悪魔が潜んでるんだからな!)
そう声高に訴える事が出来れば、どんなにか楽であったろう?
しかし、そんな事を言ってしまえば後が怖い。当然、言える筈も無く圭太は力無く微笑を浮かべているだけだ。
「ケータ先輩とお昼ごはんを一緒に食べようと思って誘いに来たんですよぉ~」
傍から見れば楽しげに誘いに来た後輩といったところだが、楽しく一緒にというわけではない事は圭太にだけは分かり切っている。
「ああ……悪いんだけど、今日はそういう気分じゃないんで」
そう言って踵を返す圭太だったが、間髪入れずヒサゴが圭太のベルトをむんずと掴む。そして……。
「ケータ先輩とお昼ごはんを一緒に食べようと思って誘いに来たんですよぉ~」
壊れたレコードのように全く同じ調子で同じ事を繰り返した。しかし、その笑顔には青筋が浮いている。
「はい……ご一緒します……」
結局、肩を落とし、蚊の鳴くような声で応じるのだった。
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