水分ヒサゴ

 翌日はどんよりと雲に覆われた空で、雨が降るのか降らないのか、どっちつかずの判断に困る天気であった。

 圭太は自転車通学であるため、学校指定の鞄にはレインコートを入れている。

 昨日、帰ってから押し入れの中で見つけた注連縄もたいした大きさではないとは言え、一応は入れてあるから、いつにも増して鞄はパンパンに膨れ上がっていた。


「お~っす」


 学校が近づいて来ると昨日に引き続き、やはり同じ場所で篠原と出会った。

 まあ、圭太も篠原も既に三年前から大野谷口学院に通っているのだから、慣れているぶん、いつもと同じタイミングで家を出るのだろう。だからこうして、あたかも示し合わせたかの如く同じ時間の同じ場所で顔を合わせる事になる。


「何だぁ? ヤケに眠そうな顔してるな」

「ああ……ちょっとね……」


 実を言うと圭太は昨晩、色々と考え込んでしまった為に殆ど一睡も出来なかったのだ。お陰で誰の目にもひと目で分かるほど憔悴しきった顔になっている。朝、鏡に映った自分の顔を目にした際にもギョッとしたほどだ。


「あ、おはようございます、三峯先輩!」

「え?」


 曇天を一気に晴れ渡らせるほどの明るい挨拶が背後から聞こえて来たものだから、圭太も篠原も何事かと振り返る。

 ぞろぞろと多くの学生たちが歩いている中、銀髪のひと際目立つ女の子がこちらに手を振っていた。

 もっとも、目立つと言っても背丈はそんなに無いので、前に何人か男子が歩いていると振っている手だけしか見えなくなるが……。

 ともかくも昨日始めて出会った中三の女子生徒だ。

 彼女は圭太の姿を認めるや、嬉しそうに走って来る。


「あれ? 何だか眠そうですね」


 目の前まで来ると銀髪の彼女も篠原と同じ事を口にした。


「ああ、なんか寝不足らしいよ」


 寝不足などとはひと言も言っていないのに――いや、事実寝不足なのだが――篠原が勝手に事情を説明してやった。


「ありゃりゃ。ちゃんと寝ないとダメですよ? 寝不足はお肌の大敵です」


 彼女は腰に拳を当てて、何故か胸を張る。まるで児童を諭す先生のような態度だが、圭太は突っ込む気力もない。

 それでもひとつだけ気になっていた事があった。


「そういやさ……。オレ、キミの名前知らないんだけど、どっかで会った事あったっけ? いや、オレが忘れてるだけだったら申し訳ないんだけどさ」


 すると彼女は少し考えるような素振りを見せ、ハッと思い出したように慌てて頭を下げた。


「す、すみません! そう言えば自己紹介がまだでした! あたし、三年二組の水分みくまりヒサゴって言います。気軽にヒサゴと呼んでくださいね? あ、それと今年度から、この学校に編入して来たんで、そちらの方はもちろん、三峯先輩も昨日が初めてですよ?」


 水分ヒサゴと名乗った少女は申し訳なさそうに照れ笑いを浮かべた。

 どうりで圭太の記憶にない筈だ。やはり昨日が初対面だったわけで、別に圭太の方が失礼な事をしていたわけではないのである。

 しかし、それはそれで不可解でもあった。


「昨日が初めて……なんだよな? じゃあ、何でオレの名前知ってたの?」


 これに関しては横で聞いている篠原も興味津々といった具合に――回答次第では圭太を責めてやるといった若干殺気だった顔で頷いている。


「それはのお名前くらいは事前に調べておかなきゃ……ですからね!」


 水分ヒサゴは屈託無い笑顔でそう答えた。が、これには圭太も篠原もキョトンとした様子で固まってしまう。

 彼女の言う「気になる人」というのは、いったいどういう意味なのだろう? 


(え? これはあれか? オレに興味があるって、つまりあれか? 春到来か?)


 様々な思いが頭の中を駆け巡る。この短時間で、もはや妄想の域にまで達していると言って良い。

 しかし、彼女は臆面もなくそんな言い方をしている辺り、圭太の考えているような甘い幻想とは違うのだろうか? 自分がどえらい勘違いをしているのではないかという懸念も圭太の中で同時に存在した。


「あ、あんまりのんびりしてると遅刻しちゃうので、また会いましょうね。三峯先輩」


 脳内で半ばパニックを起こしかけている圭太をよそに、水分ヒサゴはいたってマイペースに手を振りつつ、先へと駆けて行ってしまった。

 取り残された圭太は上気した様子で手を振り返している。殆ど心ここに在らずといった状態であった。

 が、自分の直ぐ真横から形容のし難い殺気を感じ取り、ハッと我に返る。


「三峯くぅぅん?」


 篠原が血走った目をこちらに向けていた。頭のてっぺんからつま先まで、全身から殺意をみなぎらせていると言って良い。


「気になる人って、どういう意味ですかねぇ?」

「し、知らん知らん!」


 もちろん、知らないというのは建前。水分ヒサゴの本心はどうあれ、圭太の想像する「気になる人」というのは篠原が想像している言葉の意味と全く同じものだろう。


「テメェ一人抜け駆けが許されるとでも思ってるのかな? クソッ小僧……」


 篠原は圭太の肩に手を回し、グッと顔を近づける。まるで絡み上戸の酔っ払いだ。


「ク、クソッ小僧って……。おまえ、邪推し過ぎじゃねぇか?」

「はぁん? じゃあ、テメェはどういう意味だと思ってやがる。おおん?」

「そ、それはだな……」


 圭太は言いよどむ。適当な逃げ口上が思いつかない。だが、何とかこの場を凌がなければリア充に敵意剥き出しの篠原から執拗に追い回され兼ねない。

 そんな時、圭太に救いの手が差し伸べられた。学校の方から予鈴が鳴り響いて来たのである。


「あ、急がねぇとオレたちも遅刻するぞ!」


 逃げるように圭太は正門の方へ駆け出す。

 その後ろから篠原が教育上とても子供に聞かせられないような罵声を浴びせながら追って来ていたが、圭太は聞こえないふりを決め込んだ。

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