第一話 運が良いのか悪いのか

代り映えのしない入学式

「入学式を前と同じ学校でやるってのも変な感じだな……」


 自転車をえっちらおっちらこぎながら独り言ちた。

 三峯みつみね圭太けいたは今年から高校生となる。

 もっとも、彼の通う大野おおの谷口やぐち学院は同じ敷地内に高校の校舎と中学の校舎があり、中学生の頃からそこに通っているから新生活と言っても、別段、何か大きな変化があるわけじゃない。

 それでも高校へ上がれば、ちゃんと入学式は行う。


(一貫校なんだから、それくらい省略したって良い気がするんだけどなぁ……)


 こういった、いかにも形式ばった行事というのは、どうも好きになれない。

 そうは言っても、全校生徒の数も中高合わせて千五百人はいるような学校であるから、圭太一人がボイコットしようとしたところで無駄である事は言うまでもない。


 神奈川県のとある街にある彼の学校は大規模なターミナル駅である相良さがら大野おおの駅から程近い場所に位置し、周辺には大手百貨店などの商業施設や商店街、市民ホールなどの文化施設やマンション群、それに広々とした公園もある利便性に優れた立地だ。

 商業地とベッドタウンという二つの側面を持つような場所だから、当然、駅周辺は人も多い。

 大野谷口学院はその商業地から少し外れて住宅地へ入ったところにあるため、通りを行き交う人の多くは学生か、これから仕事へ向かうサラリーマンがポツポツといったところだ。


「今年もピンクに染まってキレイだねぇ……」


 通りを歩けば至る所に桜の木が植わっているおかげで、この暖かい春という季節を迎えると歩きながらにして花見が楽しめる。

 駅前には殆どないが、圭太の場合、学校までは公共の交通機関を利用しているわけではなく、自宅から四キロほどの道のりを自転車で通学している。自身の通学路から見て駅は学校のさらに向こうだから、自転車をこぎながら花見ができるというその点では電車通学をしている学生よりも少しだけ得した気分だった。

 校門もそろそろ目前に迫って来たので、圭太は自転車を降りて引っ張りながら歩き始める。


「お~ッス」


 そこへ脇道からやる気のなさそうな声がこちらに近づいて来た。


「お~。久しぶり」

「久しぶりって……二週間も経ってないぞ?」


 同じブレザーを着た坊主頭の少年。彼も同じ学校の同級生だから会っていなかったのは、せいぜい春休みの期間中だけである。 


「てか、同じ学校で入学式とか怠ぃ~よなぁ~」


 圭太と全く同じ事を考えていた。「同志」と言いたいところだが、圭太としては「おまえが言うな」と言いたくもある。


「篠原はすぐそこのマンションから徒歩で通ってんだから良いじゃねぇか。オレなんてチャリで二十分以上かかるんだぞ?」


 おまけに圭太の自宅周辺は坂も多く、学校まで向かうには急な上り坂を嫌でも通らなければならないと来ている。当然、徒歩数分で通えるようなところに住んでいる、この友人がうらやましいといつも思っていた。


「んでも、三峯は大地主の息子じゃねぇか。広い土地持ってる方がうらやましいぜ」

「それとこれとは一切合切まるっと関係ねぇ」


 確かに三峯家は昭和の初め頃に一帯を開墾した大地主で、今でも河川沿いに広い農地を持っているのだが、土地持ちだからと言って決して裕福というわけではなく、今となっては広い土地を持て余し、税金対策のために細々と畑をやっている程度でしかない。おまけに隣接する地区はそこそこ拓けているのに三峯家の周辺だと徒歩で三十分くらいの場所にコンビニが一件あるという程度で、どういうわけかその地区だけは某天然水のコマーシャルに出てくるような田舎の風景であった。

 当然、そんな広い土地が今の圭太に何の役にも立つ筈もなく、それならどこへ行くにも便利な場所に暮らしている方がよっぽどマシなのだ。


「隣の芝は何とやらってヤツよ」


 突然、二人の背後で呆れるような声がしたので振り返ってみる。


「なんだ……玉井か……」

「なんだ……とは何よ。久しぶりに会ったのに随分とご挨拶じゃない?」


 玉井と呼ばれた彼女は口をとがらせた。

 深緑のブレザーにグレーのプリーツスカート、赤い紐タイといった大野谷口学院の制服姿の彼女は、圭太とは中学の三年間ずっと同じクラスでもあり、殆ど腐れ縁とも言うべき仲である。


「いや、だから久しぶりって言っても、二週間も経ってないって……」

「まあ、そうなんだけどねぇ。春休みももっとこう……一ヶ月くらいドーンと休みにして欲しいものよねぇ……」


 これには圭太も篠原も「うんうん」と頷く。

 こればかりは仮に仲の悪い者同士であっても、学生であれば多くの者が共感できる事だろう。ましてや彼らは中学から高校へ上がったとは言っても同じ敷地内にある学校へ行くのだから、新生活という意識が恐ろしく薄い。休みが明ければ、また新学期という感覚であるから「春休みをもっと長くしろ」という思いは他の新高校生よりも強かった。


「でも、数学のパヤパヤオヤジとこれからは関わる事もないだけマシかもな」

「ああ、中学の教員が高校まで来る事はないからな」


 同じ学院の教師とは言っても、当然のことながら中学と高校では別々になる。多くの生徒から嫌われていた中学時代の数学教師に会わずに済むというだけでも彼らにとっては救いであった。


「先輩に聞いた話だと、椋梨むくなし先生って日本史の先生が凄く良い人らしいよ?」

「ほう……? まあ、俺はパヤパヤオヤジみたいなのが担任にならなきゃ誰でも良いが……出来ることならキレイな若い女教師が理想だなぁ……」


 篠原は夢でも見ているかのような恍惚とした顔でどこか遠くを見つめている。何か妙な妄想を膨らませているのであろう事は圭太にも容易に想像できた。


「現実を見ろ。現実を直視できないヤツは廃人に成り果てるのが世の常だ」


 そう言ってポンポンと篠原の肩を叩いた。

 無論、圭太だってそんな理想通りの教師がクラス担任になってくれるのであれば、それに越した事はないし諸手を挙げてうかれてしまうであろうが、そんな二次元設定のような話が実際にある筈もない……と、おかしな幻想を学校に抱かないようにしている。


「学校に甘い幻想を抱いても現実はアニメみたいな事にはならないもんね」


 と、玉井も苦笑い。



 そんな時だった。

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