第109話 再会(四)

 城門に駆けつけた鷹徳と夏凛たちの一行が目にしたのは、信じがたい光景だった。

 封寧城の北方を守る城門は、それ自体がひとつの城塞のような複合的な構造を持っている。

 すなわち、外界に面した第一の門と、兵士たちの詰め所や検問所が置かれている中庭、そして城内に繋がる第二の門といった具合である。


 いま、第二の門の分厚い鉄扉は、おのれの使命を忘れたかのようにだらしなく半開きになっている。

 その奥で倒れているのは、甲冑に身を固めた華昌国軍の兵士たちだ。

 遠目には死屍累々の地獄絵図と見えたが、よくよく目を凝らせば、兵士たちは弱々しく手足を動かしている。どうやら強い衝撃を加えられたことで、一時的に気を失っているだけのようであった。

 そんな状態の彼らを無理に揺り起こしてみたところで、まともな証言は得られそうにない。

 周囲に充分な注意を払いながら、怜は司馬準とともにそろそろと城門に近づいていく。


「……ひでえ有様だな、こりゃ」


 苦しげに呻く兵士を横目で見やって、怜はぽつりと呟いた。

 その声色に皮肉や揶揄の響きはない。

 目の前に広がる惨状は、華昌国の兵士たちの不甲斐なさによって引き起こされたものではないと看破しているのだ。

 恐るべき力を持った何者かが城門の突破を試み、兵士たちは健闘もむなしく敗れ去った。

 目撃者からの証言を引き出すまでもなく、そう考えるのが妥当であった。

 この状況を作り出した張本人こと、くだんが華昌国の王女を名乗っていたということは気がかりだが、ともかくいまはその足取りを追わなければならない。

 と、ふいに司馬準が中庭のほうを指差した。

 

「怜どの、あれを――」


 言われるがままに視線を巡らせると、前方に一棟の細長い小屋がみえた。

 どうやら検問所らしいが、司馬準の指が示しているのはそこではない。

 小屋の真横に停まっている一台の馬車だ。

 馬車の荷台は白い幌に覆われ、その内部に何が隠されているのかは、実際に検めてみないことには判然としない。

 

「どうも臭うな。司馬準、おまえはどうだ?」

「あれこれ考えるよりも、この目で確かめるのが早道かと」

「俺も同感だ。……おい鷹徳、凛のそばから離れるんじゃねえぞ!」


 怜は顔だけで背後を振り返ると、短弓を携えた少年にちらと目配せをする。

 鷹徳のことだ。怜に言われるまでもなく、夏凛を一人にするようなことはないはずであった。

 怜は長剣、司馬準は長戟を構えたまま、すこしずつ馬車へと接近していく。

 そうして数歩も進んだところで、司馬準は荷台の幌に狙いをつけると、躊躇いなく長戟を振るった。

 転瞬、袈裟懸けに走った斬線を追うように、白い幌がはらりと落ちた。

 たとえ荷台に人間がいたとしても、かすり傷すら負うことはなかっただろう。

 大木を切り倒すことも出来る得物を扱いながら、薄皮一枚のみを切り裂く卓抜した技巧は、まさしく中原最強の武人の面目躍如であった。

 

「……なんだ、こいつ?」


 すっかり幌が取り去られた荷台に目を落として、怜は拍子抜けしたように言った。

 荷台に横たわっているのは、手足を縛られた男だ。

 いかにも軍人らしい精悍な面差しの青年である。

 もっとも、四肢を縛められたうえに布で作られた即席の猿ぐつわを嵌められ、荷台に転がされた現在の姿はひどく滑稽だった。

 青年はしきりに聞き取れない言葉を叫びながら、何かを懸命に訴えるような眼差しを怜と司馬準に注いでいる。

  

「おい、おまえ。ここの兵士たちをこんな目に遭わせた奴に心当たりはあるか?」

「んがふが! んが……」

「ちっ、仕方がねえ。猿ぐつわをされたままじゃろくに話も聞けやしねえからな。あんまりじたばたするなよ」


 いかにも不承不承という風に言って、怜は猿ぐつわを外してやる。

 青年はようやく人心地がついたというように何度か深い呼吸を繰り返すと、怜にむかって深く頭を垂れた。

 

「かたじけない! 私は高迅こうじんと申す者……」

「堅苦しい挨拶も礼も後でいい。それより、さっきの質問に答えてもらうぜ。おまえ、なにか知ってるんじゃねえのか?」

「いかにも。これは王女殿下の仕業……」

「なんだって?」

「すべて昌蓉しょうよう姫がやったことだ。この目で見た訳ではないが、そんなことが出来るのはあの方を置いてほかにない――」


 検問所の扉が勢いよく開け放たれたのはそのときだった。

 とっさに飛び退いた怜と司馬準は、どちらも無意識のうちに武器を構えていた。

 武人としての本能が危険の到来を告げたのである。

 やがて肉体の反射に意識が追いつくにつれて、二人の思考を埋めたのは、いわく言い難い違和感だった。

 彼らの目の前に立っているのは、どこからどう見ても若い女だ。

 年齢は二十歳を過ぎたかというところ。

 淡雪のような白皙の肌と明眸皓歯めいぼうこうしが七国における美女の条件だとすれば、女はまさに申し分ない美貌の持ち主だった。

 ただ美しいだけでなく、その挙措の一つ一つに貴人らしい優雅さが充ちている。

 思い上がった町娘や娼妓が上辺だけを真似たところで、匂い立つような気品は一朝一夕に身につくものではない。


「見て見て、高迅! いいもの見つけちゃったぁ♪」


 女は嬉しげに言って、ひらひらと手にした木札を振っている。

 どうやら封寧の城市まちに立ち入るための通行許可証らしい。

 本来なら審査の末に発行されるそれを、女は守備兵をことごとく倒すというおそるべき荒業の末に入手したのだった。

 

「なんだか大変な騒ぎになってしまったけれど、これでもう大丈夫。堂々と鷹徳さまに会いに行けるわ」

「鷹徳さま――だぁ?」

「あら、そちらの殿方は? 高迅のお知り合い?」


 きょとんとした面持ちで怜と司馬準を見つめて、女は小首をかしげてみせる。

 わずかな沈黙のあと、怜は意を決したように問いかけた。

 

「あんた、本当に華昌国の王女なのか?」

「ええ」

「城門を守ってた兵士どもを叩きのめしたのはあんたの仕業か?」

「いやだわ、お恥ずかしい……」


 両手を頬に当て、女――昌蓉はいかにも照れくさそうに両目を閉じる。

 自分のしでかしたことへの羞恥心はあっても、否定するつもりは毛頭ないようであった。

 にわかには信じがたいが、ここまで目にしてきた証拠の数々と、あまりに堂々とした昌蓉の言動を前にしては、疑念を差し挟む余地はない。

 怜はごほんと咳払いをひとつすると、を再開する。


「あんた、王女ならなんだって城門破りなんかやったんだ」

わたくしだって好き好んでしたことではありませんわ。私がいくら根気強く説明しても、ここの兵士たちはちっとも信じてくれなかったんですもの。あげくには怪しいから身体を詳しく調べるだなんて言い出して……」

「それで叩きのめしちまったと?」

「当然ですわ。私の身体に触れていいのは、将来を誓い合ったあの方――鷹徳さまだけですもの♡」


 言い終わらぬうちに、昌蓉の頬はみるみる薄紅色に染まっていった。

 一方、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた怜は、それとなく司馬準を見やる。

 かつて天下にその名を轟かせた勇将も、こんなときどういった表情を浮かべればいいのか見当もつかないようであった。

 それでもけっして長戟から手を離そうとしないのは、べつに司馬準が昌蓉に敵愾心を抱いているためではない。

 意識はどうあれ、この女を前に気を抜くことを肉体が許さないのだ。


「とにかく、あんたのせいで大変な騒ぎになってるんだ。鷹徳だって迷惑を……」

「鷹徳さまのことをご存知なの!?」

「そりゃまあ、あいつともそこそこ長い付き合いだからな」


 言いざま、怜は何かに気づいたように目を細めた。

 こちらに近づいてくる人影を認めたためだ。

 ぼんやりとした輪郭は、近づくにつれて鮮明さを増していった。

 見紛うはずもない。それは待機しているように言いおいたはずの鷹徳と夏凛であった。


「くそ、あのバカ! やべぇところに来やがって――――」


 怜が悪態をついたのと、昌蓉の姿が霞のようにかき消えたのは、ほとんど同時だった。


***


 最初、鷹徳は自分の身に何が起こったのか理解出来なかった。

 どうやら地面に押し倒されたらしいと気づいたのは、身体の前後に押し付けられた真反対の感触のためだ。

 背中には冷たく硬い石畳の、顔と胸には柔らかな人肌の温もりがある。

 自分の意志で逃れることが出来ないとなれば、どちらもいたずらに圧迫感を与えてくるだけだった。

 

「お久しうございます、鷹徳さま! 病で臥せっておいでと聞きましたので、お見舞いに参上いたしました」


 感極まったように言って、昌蓉は鷹徳に頬ずりをする。

 世にも美しい女に抱きすくめられるという、男なら誰しもが羨む状況。

 それにもかかわらず、少年の面上を占めたのは、隠しようもない恐怖と絶望の相だった。


「お、王女殿下……!」

「意地悪な鷹徳さま。どうして他人行儀な言い方をなさいますの? いずれあなたの妻になるのですから、どうかようと呼んでくださいまし」

「蓉姫さま、お願いですから離れてください……! 身動きが取れなくて苦し……」


 鷹徳の懸命の訴えも、昌蓉の耳にはまるで入っていないようであった。

 と、ふいに鷹徳の身体にのしかかっていた重圧が軽くなった。

 夏凛が昌蓉の脇に両手を差し込み、引き剥がそうとしているのだ。

 むろんその程度で離れるはずもないが、いまの鷹徳にとってはまさしく地獄に差し込んだ一筋の光明だった。


「やめてあげてください! 苦しがってます!」


 昌蓉はあっけにとられたみたいに夏凛の顔を見つめる。

 やがて、ふたたび鷹徳に視線を向けると、華昌国の姫君は不思議そうに首を傾げたのだった。


「この方、どなた? 鷹徳さまのお知り合い?」

「あ、あの……凛どのは……ええと……その……」

「はっきりおっしゃってくださいまし」


 昌蓉の声音は先ほどと変わらず穏やかだった。

 それでも、その裏に潜んだ暗器のような冷たさを、鷹徳はたしかに感じ取っていた。

 下手な言葉を口にすれば、どんな恐ろしいことが起こるか分からない。

 返答に窮した鷹徳に代わって、昌蓉の問いに答えたのは夏凛だった。


「そうです。私、すこし前まで鷹徳と一緒に旅をしてました」

「旅……?」

「五剣峰の麓まで無理を言って付き合ってもらったんです。鷹徳には何度も危ないところを助けてもらって……」


 夏凛はそこで言葉を切った。

 三人のあいだに漂い始めたただならぬ雰囲気を感じ取ったためだ。

 次の瞬間、昌蓉の双眸から澎湃と溢れ出したのは、大粒の涙だった。


「鷹徳さま、ひどい――――」

「誤解です! 僕と凛どのはそういう関係では!」

「いいえ、誤魔化そうとしても無駄です。鷹徳さま、はっきりお答えになってください! 正直に白状すれば許してさしあげます!」


 昌蓉は鷹徳を力づくで立ち上がらせると、整った顔が涙と鼻水でぐしゃぐしゃになるのも構わずに叫んだのだった。


「この娘ともう何人子供をお作りになりましたの!!」

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