第46話 襲撃(二)

「おい、凛、起きろ――」


 強く肩を揺さぶられ、夏凛は泥のような眠りから目覚めた。

 ぼんやりとかすむ視界に飛び込んできたのは、蜂蜜色の髪と藍青色の瞳。

 怜に半ば無理やりに叩き起こされた夏凛は、寝ぼけまなこをこすりながら問う。


「なに……? どうしたの……?」

「外に誰かいるようだ。それも一人や二人じゃない」

「敵!?」

「まだ分からんが、用心はしておけ。いまは鷹徳が様子を見に行っている」


 すばやく周囲に視線を走らせれば、あかあかと燃えていた焚き火はすでに消えている。

 何者かの接近に気づいた時点で、怜がとっさに消したのだ。暗闇に灯った火は、こちらの居場所を教える恰好の目印になる。

 あるいは、一行がこの建物にいることは、すでに把握されているかもしれない。


「凛――おまえ、たしか長剣を持っていたな」

「持ってるけど、それがどうかしたの?」

「俺に貸せ。おまえよりは上手く扱える」

「だ、だめ……」


 夏凛はあわてて背中に手を回すと、長剣の鞘をぎゅっと抱きしめる。


「これは誰にも渡せない……」

「そんなことを言っている場合か!? 外にいる連中が盗賊だったら、戦わなけりゃ殺されるんだぞ!!」

「駄目なものは駄目なの!! それに、剣の扱い方くらい知っているわ。私が戦うから、あなたはどこかに隠れていればいいじゃない」


 あくまで頑なに拒絶する夏凛に、怜は苛立ったように舌打ちをする。


「俺に剣を渡したら、おまえを脅して首飾りを奪うとでも思ってるのか」

「そういう訳じゃない……けど……」

「そのつもりだったら、おまえが寝てるあいだにとっくにそうしてる。わざわざこんな回りくどい真似するか」

「どうしても貸さなきゃいけない?」

「俺の剣は呂江ろこうで身ぐるみ剥がされてそのままだ。燕津えんしんの道具屋は、半分錆びついたを高値で売りつけてきやがったしな。いま思えば、あんなのでもないよりはマシだったが――」


 言いさして、怜ははっと背後を振り返る。

 その動きを追うように夏凛も視線を動かすと、短弓を携えた鷹徳が上階から駆け下りてくるのが目に入った。


「外の様子はどうだ?」

「数は七人ほど……砦のあちこちに散らばっている」

「まずいな。囲まれてるぞ」

「やはり、賊か?」

「盗賊でなけりゃ、呂江のヤクザどもが追いかけてきやがったのかもしれん。ああいう手合いは執念深いからな」

「あなたが連中の首領を半殺しの目に遭わせたからだ」

「おまえがあいつらに絡まれてたところを助けてやっただけだろうが」


 売り言葉に買い言葉の応酬は、それ以上続かなかった。

 言い合いをしている場合でないことは、二人とも承知している。

 鷹徳は夏凛に顔を向けると、緊迫した雰囲気にそぐわない微笑を浮かべる。


「事が済むまで、凛殿は安全な場所に隠れていてください」

「でも、それじゃ二人が――」

「七人くらいなら、僕とこの男でどうとでもなります。今度は油断しませんよ」


 夏凛はしばらく逡巡したあと、意を決したように背中に両手を回す。

 革の留め具を器用に外し、長剣を鞘ごと掴み取ると、そのまま怜に手渡したのだった。


「なんだ、急に気が変わったのか?」

「いまは意地を張ってる場合じゃないことくらい、私にも分かるもの」

「そりゃ結構。得物えものがあれば俺も心強いからな」

「使うのはいいけど、傷をつけずに返してちょうだい。それは私の……」


 大事な人の形見だから――喉まで出かかったその言葉を、夏凛は呑み込んだ。

 わざわざ剣の本来の持ち主のことを教える必要もない。

 怜に貸し与えるのは気が進まないが、敵の数が多いことを考えれば、非力な自分が持っているよりは役に立つはずであった。


「まあいい。とにかく、こいつは借りていくぜ」

「気をつけてね、二人とも」


 建物内に複数の気配が生じたのはそのときだった。

 怜と鷹徳は顔を見合わせると、次の瞬間には夏凛を庇うように走り出していた。

 深更しんこうの静寂を破り、乾いた足音が廃墟に響きわたる。

 さほど広くはない建物である。追跡劇は数分と経たないうちに終りを迎えた。

 身を隠す暇もなく、三人は壁際に追い詰められていた。


***


「何者だ、てめえら?」


 長剣の柄に手をかけながら、怜は低い声で問うた。

 三人を追い詰めた六人の男たちは、ゆるく半円の陣を組み、じりじりと包囲を狭めている。

 全員が黒い外套を着込んでいるうえに、同色の頭巾で頭部全体を覆っているため、顔や体型は判然としない。武器を携えているかどうかも然りだ。

 それでも、身体じゅうから発散させている剣呑な気は、彼らの目的を無言のうちに物語っていた。

 夏凛は男たちの目から逃れるように、怜と鷹徳の背後で息を潜めている。


「貴様らに用はない――」

「なんだと?」

「その娘を渡せ。おとなしく言うことを聞けば、貴様らは見逃してやる」


 男の言葉を耳にした途端、夏凛は雷に打たれたように動けなくなった。

 男たちは盗賊でもなければ、やくざ者でもない。

 ボウ帝国の刺客――朱鉄の密命を帯びた暗殺者たちだ。

 六人の男たちは、自分を殺すためにはるばる華昌国まで追って来たのだ。

 考えてもみれば当然だった。夏凛の死を確認するまで、朱鉄ともあろう男が追撃を諦めるとも思えない。

 夏凛は身体の芯が冷えていくのを自覚していた。

 事と次第によっては、怜と鷹徳まで巻き込むことになる。何も本当のことを語らないまま、二人を危険に晒すということだ。


「凛殿を渡せと言われて、素直に応じるとでも思うのか!? 賊の命令を聞く筋合いなどない!!」


 鷹徳の言葉は、男たちにわずかな動揺を与えた。

 それもつかの間、黒衣の男がひとり、三人の前に進み出てきた。

 どうやら六人の筆頭格らしい。男がやおら懐から取り出したのは、掌に余るほどの革袋であった。


「これをくれてやる。二人で山分けしても半年は遊んで暮らせるだろう」

「なんだ? 金で俺たちを買おうってのか?」

「どうせ貴様らはその娘に金で雇われたのだろう。こちらのほうがより高い金を出してだけのこと――」


 それだけ言って、筆頭格の男は革袋を放る。

 見た目に反して重い音を立てて落ちた革袋は、着地の衝撃で口紐が緩んだらしい。

 じゃらりと快い音を立てて、まばゆい輝きを放つものが廃墟の床に転がり出た。

 目を凝らすまでもなく、それは正真正銘の金貨だった。


「悪い話ではないはずだ。素直にこの金を受け取り、ここで見たこと、聞いたことはすべて忘れろ。それが貴様らにとって最も賢明な選択だ」

「ふざけるな!! 金で人の心を操ろうなど……」


 怒声を放つ鷹徳の傍らを長身が飄然と通り過ぎていった。

 怜はふらふらと数歩も進み出ると、その場にしゃがみこむ。


「ひい、ふう、みい――」

「怜、何をしている!?」

「何を……って、見りゃ分かるだろう。金を数えてんだよ」

「まさか、そいつらに寝返ると言うのか!?」

「うるせえな。何枚あるか分からなくなるだろうが」


 筆頭格の男は頷いたあと、鷹徳に顔を向けた。

 頭巾の内奥は闇に閉ざされ、表情は杳として伺えない。

 それでも、勝ち誇ったような笑みを浮かべていることだけは分かる。


「これで護衛は貴様だけになったな」

「怜、あなたという人は……!! 本当に見損なったぞ!!」

「貴様もいまならまだ間に合うぞ。我々の申し出を断り、どうしてもその娘を守るつもりなら、一緒に死んでもらうまでのことだ」


 冷え冷えとしたその声を遮るように、怜は場違いな口笛を吹いてみせる。


「しめて金貨十七枚か」

「あの小僧は受け取らないつもりらしい。その金はすべて貴様のものだ」

「独り占めか。なるほど、そいつは素敵だ」

「それを持ってさっさと失せるがいい」

「ところで、俺は金のやり取りでどうしても許せないことが二つある」

「なんの話だ?」

「ひとつは自分の値打ちを低く見積もられること――そしてもうひとつは、取引相手に見え透いた嘘をかれることだ」


 怜は革袋を懐に入れながら、六人の男たちに視線を巡らせていく。


「まずこれっぽっちの端金はしたがねで俺をどうこうしようって魂胆が気に入らねえ。あの娘には金貨千枚でも買えないものを質に取られてるんでね。そして……」


 不敵な笑みを浮かべながら、怜はさりげなく剣柄けんぺいに手をかける。


「鷹徳は、と言った。ところが、あんたはどう見ても六人しかいない。おおかた油断して砦を出たところで、待ち伏せをさせている一人に始末させようってはらなんだろう。俺たちを生きて帰すつもりなんぞ最初からないということだ」

「貴様……」

「交渉決裂だ。悪いが、いったん受け取った金は返さないぜ。金貨にいちいち自分の名前でも書いてあるってんなら別だがな」


 夜闇を裂いて流星のごとき銀閃が走った。

 怜は長剣を抜き放つなり、躊躇いもせずに筆頭格の男に横薙ぎの一閃を見舞ったのだった。

 刹那、金属と金属がかち合う澄んだ音が廃墟に鳴り渡った。

 筆頭格の男は飛び退きざま、袖口に仕込んだ隠し刀で怜の攻撃を逸したのだ。

 かろうじて致命傷こそ免れたものの、剣尖は男の衣服を無惨に切り裂いていた。

 着地と同時に、黒い外套がはらりと落ちた。その下から現れたのは、巡礼者の白装束であった。

 

「はっ――巡礼が人殺しとは、世も末だな。昨日の昼間からずっと尾行けてきてたのか?」

「この姿を見られた以上、もはや生かしてはおけん……」

「白々しいことを言いやがって。元々そのつもりだったんだろ?」


 怜は掌のなかでくるりと長剣を回転させると、目線の高さで逆手に構える。

 中原の剣術諸派とはあきらかに趣を異にする奇妙なかた

 それが沙蘭国に伝わる砂漠の民の武術だとは、この場にいる誰ひとりとして知り得ぬことであった。


「皆殺しにせよ――」


 筆頭格の男が命じるが早いか、五人の男たちは一斉に長剣を抜き放っていた。

 じわりじわりと真綿で首を絞めるように包囲を狭めていく。


「鷹徳!! 凛を連れて逃げろ!!」

「あ……あなたひとりを置いては行けない。僕も残って戦う!!」

「バカ野郎、俺も適当なとこで逃げるに決まってんだろ。ボサっとしてると本当に死ぬぞ。早く行け!!」


 叱咤するように言って、怜は男たちに躍りかかる。

 するどい銀光が夜気を灼くたび、「ぎゃっ」と悲痛な叫び声が上がった。

 ある者は手首を、ある者は肘下から腕を切り落とされ、言葉にならぬ呻吟を漏らしながら倒れ伏していく。

 墨黒の闇に血の花が咲き乱れる。廃墟に濃密な血臭が満ちていく。


「鷹徳っ!!」

「凛殿、絶対に僕の手を離さないでください!!」


 男たちの包囲が崩れた一瞬を見逃さず、鷹徳は夏凛の手を引いて駆け出していた。

 とっさに追いすがろうとした男は、怜の繰り出した剣をまともに受けて、眉間から喉までを縦一文字に裂かれて絶息した。

 

「……この男は私が引き受ける。貴様らはあの二人を追え!!」


 筆頭格の男は、怜の前に立ちふさがると、もはや二人だけになった部下に怒号を飛ばす。

 どこから取り出したのか、右手には重厚な戦斧せんぷを携えている。

 もう一方の手を首元に伸ばすと、戦いの邪魔だとばかりに頭巾を放り捨てる。

 四十がらみの眼光炯々たる壮漢であった。

 

「我が名は蔡破さいは――」

「あいにく、男の名前はすぐに忘れちまう性質たちでね」

「それより先に貴様の命運が尽きる」

「巡礼の次は占い師の真似事とは、節操のねえ野郎だ」

 

 二つの身体が交差するたび、あざやかな閃華が一瞬に咲いて散る。

 闃寂とした真夜中の廃城塞に、剣戟の音だけが途切れることなく連鎖していった。

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