第五十七話 姉弟の絆を目の当たりにする一人っ子は、どの様に思うのか?


 ここは畳の部屋。部屋といっても、体育の授業で使うのだから、それなりには広い。

 知新館ちしんかんの二階で、そして俺たちは、まだ此処にいる。

 しかも、あり得ない光景。俺と同じく……海斗かいともそう思っているようだ。


 そんな中で響く海里かいりの声。畳に背を着き、受け身を取った状態のままで。



「――だって海斗、言ってたじゃない。

 小さい頃から、わたしと一緒に柔道の練習してきて、『僕はお姉ちゃんに勝つ、追い越してやるんだ』って。それ叶ったんだよ。海斗は今、お姉ちゃんに勝ったんだよ」


「お姉ちゃん」


 海斗の顔に笑みが浮かぶ。……であるなら、海里って余程よほど。そう思った時、俺はサーッと、潮の満ち引きに近いような感じの、少しばかりの違和感を身体に覚えた。


 ついさっきまで、海斗とは決闘……らしきものをしていただけに。しかし、そのようなことを感じさせない海里の表情は、普通の女の子のものにしか見えなかった。


 そして海里は続けて言う。少しずつ立ち上がりながら海斗に。


「おめでとう。……でもね、海斗の、お姉ちゃんへの気持ちは嬉しいけど、未来みらい君は別に、わたしのことを傷付けた訳じゃないんだよ。未来君は、わたしのこと励ましくれたの。だから、そのことは、誤解したことは未来君に謝ってね」


 ……驚きだった。だから言う。


「海里、お前……あの手紙、というか、果たし状というか、見たのか?」


「ウフフ、先刻承知だよ」

 という具合に、海里は満面な笑顔だ。


 すると今度は、海斗が頭を下げつつ、


川合かわい未来さん、これまでの僕の浅はかな思考による誤解に対する御無礼に数々、誠に申し訳御座いませんでした。どの様な御処分も受ける覚悟ですので……」


「おいおい……」と、何か面倒なことになりそうな予感とともに、それに海里まで、見ていられないほど、反省の儀のような顔色に変わってしまって、


「未来君、わたしからもごめんなさい。これまで喧嘩してきたけど、海斗のことも含めて仲直りしたいの。わたしね、未来君のこと……」

 って、瞳まで潤ませて、涙目で。


「おいおい勘弁してくれよ。二人して気持ち悪い……」

 と、そう言ったその瞬間、俺の脳裏に閃光が走って、


「てか、勝負はまだ終わってないよな? じゃあ、もう少し俺と付き合えよ」


「み、未来君?」

 という感じで、案の定二人は、目が点になっている。


 ――そう。俺たちの勝負・・は、まだ着いてないからな。



「二人ともグズグズしてないで、俺からこのボール取ってみなよ」


 そう言って俺は駆けした、ドリブルで。やはり二人とも、追いかけてきた。


「待ってよ!」

 との、お決まりの台詞も加えて。だから捻りを加えてやった。


「待たないよ」という具合にな。


 それでもって俺は、プールサイドに隠れる。勿論そこには誰もいない。だからこそ身を隠す場所も豊富にある。つまり、今の俺なら、自由に使えるってわけだ。ニヤリとする笑みの中で、あの二人に少しばかりの悪戯を思いつき、それを実行しようとしていた。


 ――まさにその時だ。


 案の定、二人はプールサイドに姿を現した。それでもって二人とも俺を探している。うまい具合に二人ともプールの、水面の方を向いている。さらには水面の近くまで、足を運んでいた。あとは……後押し・・・するだけ。そっと……そっとだ。それがお約束・・・というもの。


 俺は忍び足で二人に、海里と海斗の背中を、そっと押した。


 そしたら狙い通りだ。面白いほど二人は「わあっ!」と間抜けな声を上げて、美しいほどに水飛沫を立ち上げながら、その姿は記録に撮りたいほど傑作だった。


 プールに落ちた二人は水面から颯爽と顔を出し、ピューッと口から水を噴き出した。それも二人横並びで揃って呼吸もピッタリで。俺は腹を抱えて指さしで笑いが止まらずだ。


「おいおい二人とも何て顔してるんだ? 狐にでもつままれたか?」


 すると海里が、ザバッと手を差し出して、


「ねえ未来君、プールから引き上げて」と言うから、


「はいはい、わかったよ」と、俺は手を差し出して、海里はその手を握る。そして俺は思う……(まあ、女の子だから)という具合にだ。すると海里はニヤリと笑みを浮かべた。


(あっ、しまった)と思ったのも束の間、時すでに遅しだ。やはり海里は、そのまま俺の手を引っ張った。俺もまた水飛沫を立ち上げながらプールに落ちた。瞬間のことだ。水の中の景色が見え、水面から顔を出すと、ケラケラ笑う海里の姿。で、笑いもって、


「はい、水も滴るいい男ってね。面白いほど簡単に引っかかったね」

 って、言うから、


「なにお、やるか」


 って、俺はついつい挑発に乗る。大人気ないとはいうものの、まだ子供だから充分に通用する。俺と海里はお互いに、いつしか水を掛け合うことに夢中になっていた。


 雪合戦ならぬ水合戦というべきか……その模様を海斗は一人、プールから上がって眺めていた。何となくだけど、笑いを堪えているように見えた。思えば俺と海里がしていることは、まるで小学生みたいな喧嘩で……まあ、確かにそうかも。そうだけれど。


「なあ海里、俺まだお前に謝らなきゃいけないことがあるんだ」


「なあに?」


「まあ、この際だから言っとくが……」


 少し詰まる。意を決したが。

 それは少しばかりではない勇気が必要となるから。

 でも、屈しない。その先に進むため。


「俺、お前の髪を弄った時にな、お前のパンツを見た上に、お尻まで叩いたんだ」


「えっ!」

 との叫び声。顔を赤くする海里。


 明らかなる動揺を見たりで、さらなる追い打ちをかけるのなら、


「純白だったな」

 と、付け加える。


「もう、未来君のエッチ!」

 と、反撃の狼煙の代わりにというわけではないけど、赤面故の頭から沸き立つ湯気。


「そうそう、それでこそお前らしいぜ!」


 俺は素直に感想を述べる。それでこそ張り合いがあるっていうものだ。



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