第十二話 初めて迎える十五の夜、彼女は一緒にいてくれた。


 訊きたいことは多分にあった。


「どうしたんだ? こんな所で」


 でも、それしか言葉が見つからなかった。


「ママに怒られちゃったの……」


 と、もちろん答えになってない。だけども、問い詰めるにはあまりにも可哀想かわいそうで……半分は? いいや、半分以上は、たぶん俺にも責任があることだし……。



 黄昏たそがれの刻、ここは公営住宅。


 その中の、九棟の二階と一階の中間にある踊り場。つまり俺の家の玄関口までは目と鼻の先だ。そこでさっきまで、ミズッチが何らかの、少女漫画のヒロインになりきった感じで夕陽ゆうひを見ていたようだ。……今思っていることの一部始終。それに詳細まで述べる気はないが、ママにぶたれたのかな? 今が夕焼け時ならわからないことだったが、左のほおが赤くなっている。眉は下がって、瞳に涙を浮かべながら、こちらを向いていた。


 それからスーパーの袋が二つだ。


 右腕からぶら下がっている。この時ばかりは『初めてのおつかい』には、強引にしても当てはめようのない『熟練』というよりも、一足先の『主婦オーラ―』まで感じた。


 で、垣間かいま見えた。うろ覚えではあるけど、ミズッチの彼氏の顔。


 それでも、俺は言う。「ここでは何だから、えずあがれよ」と、偉そうに。


「うん」


 それでも、ミズッチは通常通りに返事……だけども、玄関のドアをオープンにして導いてあげても、いつもみたいに『ケロッ』とはしなくて、しおらしいままだ。



 それで思った。まさに迅速な対応だ。思ったことはすぐさま言葉になる。


「あのさ、怒ってる? 昨日の『壁ドン』」

 と、そんな感じで、恐る恐る訊いてみた。


「未来君はどう思う?」

 って、普通は怒ると思う。ミズッチは少し目が座っているようだ。


 ついに野生の『タイガー』が目覚めるのか? 少々怖い気がした。

 でも、負けるな!


 今は二〇二号室。ミズッチと向かい合わせに立っている。つまりは玄関を上がり終えて家の中だ。それで舞台は、玄関すぐの俺の部屋を通り越して台所。テーブルの上にはスーパーの袋が二つ。もちろん買い物袋として利用されて品物入りだ。



「ちゃんと答えろよ! 俺にあんなことされて、泣いてたじゃないか……」って、ミズッチの胸倉をつかむような勢いだ。……でも、何で俺が泣きそうになっているんだ? そう感じても、もう止まらなくて「彼氏いるんだろ? 俺のことなんか張り倒すくらい、もっと嫌がれよ! 俺がまだ子供だと思って、馬鹿ばかにしやがって……」


 そう。馬鹿みたいに涙が出てきて、そこでとうとう大泣きだ。


「うんうん……」


 と、それでもミズッチは和やかな笑みを浮かべ、そっと俺を包み込んだ。小柄で、俺よりも子供にしか思えなかったミズッチが、ほんとは大きくて、ずっと大人に見えた。


 で、いつの間にか、俺は膝を突きながらも、おさなき子供のように、彼女の胸に顔を埋めていた。……我ながら、とてもかっこ悪かった。



 と、思っていたら、


「ねえねえ未来君、思いっ切り泣いたら、お腹って空くんだね」


「へ?」


 まさかの一言……。


 あの大スクリーンに流れた『全米が涙した……』という字幕付きのCMに相当するくらいの、本音をぶつけた末に、大泣きまでした感動的なシーンが、ほんの束の間で、音を立てて崩れてしまった。……やっぱりまだ先生には昇格できず、ミズッチのままだ。


 おかげで俺は、涙を拭くのも忘れてキョトンとしたまま、開いた口も塞がらない最高に間抜けな顔をさらすことになった。でも、そんなの関係ないとばかりに「うんうん、素直が一番だよ」と、きっとマスコットキャラみたいな扱いで俺を見ていることだろう。



 その反対側で、抜かりなく俺も見ていた。


 この室内より外にいた時よりも雲泥の差。この家庭のにおいがしない台所まで、俺たちの教室のある場所……旧校舎より魔法を持参して、変化をあたえんとばかりに自らの変化を成し遂げた結果で、さっきよりも磨きがかかった笑み……その上にまだ物申すのだ。


「お誕生日には豚汁だよ」と。



 そこで俺は、(おいだれが決めたんだよ)と思う前に、(何でミズッチが俺の誕生日を知ってるんだ?)と、思うべきだった。前もそうだったけど……どこから俺の情報を仕入れているのだ? 心の中のその問いには、気付くこともなくミズッチは、


瑞希みずきが作ってあげるから一緒に食べよっ。とっても美味しいんだから。でねでね、用意してる間にお風呂も沸かすの。これは初挑戦ね。もち背中も流してあげるから、うまくできたら褒めてね。そのあとPS4で格ゲーして、ご本を読んで一緒に寝るんだよ」


 ……それからそうそう、ミズッチはいつも一人称が『わたし』だ。でもたまに『瑞希』って、名前に変わることがある。……って、そうじゃなくて、


「おいおい何勝手に決めてんだよ。そんなことしてて親父やお祖母ちゃんが帰って来たら不味まずいだろ?」と言った直後、(ん? 待てよ)と思った。もしかして……と、ある種の勘が働いて、「はは~ん、『ママ』に怒られたからって、俗に言う『プチ家出』か?」



 ……まあ、ミズッチは二十五歳。お母さんのことを、まだ「ママ」と呼んでいても、もう立派な大人。社会人。それも先生で俺の担任。更に言うなら、俺のクラブの顧問でもある。というわけで流石さすがにそれはないだろうと思っていたら、


 ジャーン! と、彼女が奏でる効果音。

 それに合わせてスーパーの袋二つの内一つから取り出し、わざわざ広げて、


「パジャマだって持ってきてるんだから!」

 ……だった。それもハート柄のピンク色。


 彼女は国語の先生。それ以前に同じ日本人。和製極まれりのはずだ。それでも会話が成り立たず、人の話も右から左で、多分だけど聞いてない。


 ……最近は、シナリオにも影響するほどだ。


 それでも関係なく、すっかりミズッチのペースにハマり、俺の青春ありきの学園ものドラマは、想像とは異なる方向へ進展していくことだろう……。



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