第三話 てめーは俺を怒らせた

 情けねえな、我が国、日本。

 とは言え、俺が元いた時代でも、十分にそれを予期させる事象はあったと思う。




 ゴールデンタイムのテレビドラマやロードショーの映画は、大抵がアニメか漫画が原作だった。


 つまり、エンターテイメントの世界ではオリジナル作品が生み出されず、無能な監督や脚本家は目先の『完成台本』に飛びついて、すでにヒットしているアニメもしくは漫画をベースにして実写化する手法を選んでいたって訳だ。はなからファン層を抱えた作品であれば、それにあやかってそこそこ売れるんじゃないか、という安直な考えなのだろう。




 だが、オタクをめないでいただきたい。




 何が『夢のキャスティング』だ。


 アニメ化される時ですら、キャラデザと声優のキャスティングの違和感だけで、余裕で見限るのが真のオタクである。そもそも二次元を愛している者に向けて、どんな売れっ子の役者を連れてこようが、人気絶頂のアイドルを投入しようが、そいつらが三次元の存在だというだけで全ては無駄無駄無駄ァ! 違和感しか覚えない。




 何が『新規描きおろし』だ。


 アナザーストーリー(笑)なぞ要らない。原作の原作による原作のための忠実なアニメ化が見たいのだ。取ってつけたような、ともすれば原作の流れや伏線を台無しにするような紛い物の量産品なんかこれっぽっちも見たくもない。センセ、劇場版ですよ!と依頼されて有頂天になったとしたって、描く方も描く方だ、と俺は声を大にして言いたいのである。




 何が『原作にはない新解釈』だ。


 糞監督や糞脚本家(失礼)が勝手に考えたオナニー的な『二次創作物』を垂れ流すのは作者に対して済まないと思わないのか。そういうのはコミケでやれよと小一時間説教したい。サークル参加者たちは家計を切り詰め、自腹切ってひーこら二次創作活動しているのに、奴らは人のカネで好き放題やれる訳だ。だから、リスペクトが足らない中途半端な出来映えになる。




 こういうので安易に喜んじゃう奴らは、オタクを標榜しつつも全くオタクじゃないのだ。


 そういうライトなオタク層が軽々しく『私ぃーオタクなんでぇー』とか言うんじゃない。親にバレて困るような偏愛思考も持たず、家族に白い眼を向けられるほどの蔵書と光学ディスクと造形物なくして何がオタクか。いざ死に瀕した時に、ああ、あれどうやって処分しようだとか、誰に託そうだとかの発想が一ミクロンも脳裏に浮かばない時点で、そいつは断じてオタクではないのだ。




 ええと、ちょい待て。

 思考が脱線しとる。


 オタク何たるかはさておきだ。




 俺が隅っこの方に属していた広告業界だって似たような有様だった。


 有名企業やアパレルメーカーはコマーシャルにアニメーターを起用し、アニメならば独自の世界観をより多彩な方法で表現できることを確信しつつあった。ポスターや紙の広告ともなれば、中小企業だって漫画やイラストの機用に積極的に取り組んでいた。


 単純にギャラの比較はしたくないけれど、顔が良いだけのモデルに無理難題言って大根演技させるよりは効率が良く、質の良い物がローコストで作れる。それは確かだ。入社当時からアニメやイラストを広告の一手法として用いることを推していた俺にとっては、やっと時代が追い付いてきた感があった。


 ナレーション一つとっても、俳優がやるより声優がやる方がベストな物が出来上がると俺は声を大にして言いたい。どちらも『役者』だとは言え、表情や動きを含めて成立している俳優と、声一本で勝ち上がってきた声優とでは比較にならないほど物が違う。


 俳優はどれだけ頑張っても所詮その人自身の声しか出せないが、声優は違う。一人で何役もの声が出せる。歳を取れ、と言われれば即座に応じられるし、若返れ、と言われても対応ができる。こんなこと、そこいらの俳優にはできっこない。


 果ては警察や消防署のような公共のポスターにだってタイアップ物があり、コンビニの売上増進にも同じようにアニメや漫画が馬の鼻先の人参よろしく随分と貢献してきた。バスや電車などの交通機関のマナーアップ運動ポスターだって、ゆるキャラだって、つまるところは『オタク・カルチャー』が根底にある。




 よくよく考えれば、海外から日本へアニメが持ち込まれたのは明治末期のことだ。


 純国産のアニメともなれば、大正時代にならないと生まれない。北斎や歌麿みたいなのを数に入れれば違ってくるんだろうけれども、漫画だってやはり明治時代が初お目見えだ。それから年月を重ね、一九三〇年頃になるとアメリカでいわゆる『アメコミ』の第一号が生まれることになる。


 それでもだ。


 それでも、『萌え』や『BL』や『HENTAI』などといった極めて特殊な形で、かつ多岐にわたるオタク・カルチャーの派生を果たしたのは、ここ日本にしか存在しない。


 先人であるアメリカをはじめ、アジア各国も日本のオタク層に受け入れられるような作品づくりに幾度となく挑戦したが、いまだかつて誰一人それを成し得ていない。これは、日本の『オタク・カルチャー』が唯一無二の固有の財産である証拠だと言えるだろう。




 そして――二三〇〇年。


 約三〇〇年後の未来世界において、日本が海外と渡り合うためにはその『オタク・カルチャー』のみが唯一の武器となっているという現状を聞かされても、正直俺はあまり驚きはしなかった。来るべき時が来た、それだけである。




 そして、つまりは、だ。

 今の俺は、ラノベなんかでよくある異世界召喚俺TUEEE!状態だということである。


 ここ重要。


 あ、異世界じゃないか。

 未来召喚だもんな。




 詳しい理屈はよく分からんが、みこみこさんがその重要人物のいる部屋に向かう道中ついでに解説してくれた限りでは、タイムトラベル物に良くある、いわゆる『時間の逆説タイムパラドックス』は起こらんらしい。



「んじゃ、タイムリープっすか?」



 流行ってるしな。

 しかし、みこみこさんは俺の質問にあっさりと首を振った。



「それは言葉の意味そのものが違う。タイムリープと言う場合は、過去や未来の自分自身になるという意味だからな。三〇〇年後では多田野宅郎二十八歳は生きておらんだろうが」


「成程。三〇〇年後だから、タイムトラベルだったとしても、二人同時には存在しない、と」



 そっか。多田野宅郎三一〇歳だしな。



「んで、無事ミッションクリアすれば、元の世界の元の時間に戻してくれるんですよね?」


「可能だな。そうしたいかどうかは別として、だが」



 意味ありげな微笑みとともにみこみこさんはそう答え、ようやく辿り着いた扉を開けた。



「では、君のミッション達成を左右する人物に会ってもらおうか。準備はいいかね?」



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