第39話 再戦と焦燥と

日は落ちた。


 目指していた掘削場に辿り着いたとき、ここはこんなにも空虚な場所だったろうか、と、ふいに場違いなことを誠は考えてしまった。

 周囲にはいくつもの巨石があり、切り出されたままの荒々しい岩肌を晒している。小学生だった頃には、よくこのあたりまで遊びに来て、さまざまな色や模様の石片を拾った覚えがある。

 奥まった場所には、幾台かの重機がぽつぽつと並ぶ。月明かりの下で、それらは天に腕を突き出したまま息絶えた骸のようにも見えた。


 まるで古代の墓跡だ、と誠は思った。


「……誠さん、『王』はここにいます」

 アリツィヤが囁く。彼女の眼差しの向こう、ひときわ濃い闇のわだかまるところ。

 そこに「王」がいる。

 姿はまだ定かではない。気配だけが異様な重圧を伴って、そこに満ちている。その存在を認知したとたん、身体の深奥がざわめくような感覚が起こるのを感じた。

 骨の奥まですくみ上がるような、根源的な反応。


(……恐怖だ)


 ひとたび染みついた「怯え」は、克服しないかぎり薄れることなく何度でも蘇る。

 それは――今、この瞬間でさえも!


「奴が来るぞ!」

 ベルクートが鋭く叫んだ。


 眼前の闇が揺らぎ、悶え、そして……追い散らされる!


「……『王』……」

 アリツィヤが囁く。


 闇の中より浮き立つその姿を、誠は認めた。

 『王』。

 かの騎士の甲冑は砕かれ、裸の胸と青白い相貌が露わになっている。

 手綱を握るべき左腕はない。悍馬の胴を両膝で絞り、右手に握る長剣を、祈るように胸元に引き寄せている。月明かりの下、それはまるで天上に連なる何者かに、戦勝の誓いを立てているようだった。

 その姿を、誠は神々しいと思った。一瞬、ほんの一瞬だけ、誠は目の前の騎士が敵であることを認識できなくなってしまった。


(あの男を……倒さなければ……アリツィヤは……)

 言葉は上滑りする。いまの認識を、新たな定義で塗りつぶさなければならない。そうしなければ、いまの自分はかれに敵しえない。おそらく。

『かれは敵だ。かれを倒せ。かれを――』

 そう内心で呟き始めた誠の肩を、誰かが押しとどめた。

 誠は振り向く。ベルクートだ。

「――落ち着け。今から『狩猟場ハンティング・グラウンド』を広げる」

 と、かれは誠に言い聞かせるように言った。それとともに、空中に紋章を描くかのように、複雑な手振りを左腕だけで刻み始める。


 人ならぬ何かに示されるベルクートの意思。一音、一音と紡がれるごとに、それはこの世界を変容させる「力」として結実する。

 ベルクートの前方が、大きく歪み始めた。

 雲間から下りる月光は、空間ごと奇怪に歪められ、見る者に怖れと屈服を誘うかのような、ひどく不吉な光をたたえはじめる。「狩猟場」によって、『王』の居場所ごと囲い込まれた空間が、軋みながら歪んでいく。


(ベルクートの秘蹟……)


 その恐ろしさは、『王』と対峙したときに感じたものに決して劣らない。あの「狩猟場」の内部は、常人ならば狂死するほどの苦痛と圧迫で満ちている。かつてアリツィヤが受けた苦しみ、彼女の記憶に残る苦痛の残滓にわずかに触れただけで、肉体がこそげ取られるような幻痛に襲われた。それ以来、誠は「狩猟場」について考えることを禁忌としている。


 そんなわずかな怯えに気づいたのだろう。アリツィヤはやや強い声で言った。

「誠さん。私の剣に魔力を下さい」

「……あ、ああ!」

 発話する必要などはない。だが、あえて鼓舞するかのような言葉に、誠は弾かれるように反応した。

 アリツィヤは、既に右手に銀の短剣を構えている。その刀身を誠は凝視し、アリツィヤの知識より魔力付与の呪文を探り取った。


「       」


 己が言葉であるがごとき流暢さで、己のものならぬ言葉を呟く。

 それに呼応して、アリツィヤの短剣は魔力の刀身をまとい、巨大な大剣と変化した。白銀の光を放つ刃の内側に、揺らめく極光のような色彩がうねっている。


 アリツィヤは、誠の魔力が付加された大剣をひとたび打ち振るうと、誠に向き直り、「――行きます」とだけ言った。

 誠はうなずいて、これから己がなすべきことを、努めて脳裏に描き出した。

 現時点の人員で選べる行動は、じつはさして多くない。

 ベルクートの作り出した「狩猟場」によって『王』の動きを封じ、大剣を備えたアリツィヤが直接対峙することで『王』を追いつめる。それに乗じて撃ち込むのは、ルーカの必殺の炎――。


(なら、俺はそこにどう絡む?)

 彼らの動きを阻害せずに、一定の有効性をもった行動をとれないのであれば、自分がここにいる意味はない。

 そんな逡巡をよそに、アリツィヤは放たれた矢のように駆け出す。その爆発的なダッシュは、まさに「完成者」のふたつ名に相応しいものだ。


「おい! ぼさっとするな、誠!」

 背後でそう喚いたのはルーカだ。かれは詠唱の準備に移っていた。極大の破壊力を誇る「火焔密集陣パイロファランクス」を導くためには、他の魔術とは比較にならないほどの長時間の詠唱が必要になる。未熟な者ならば、教典を手放さずには行使できないほどの情報量が必要であることは、先の戦いの後にアリツィヤから聞いた。が、ルーカはそれをわずか数十秒たらずで詠唱しきる。しかも、その他の軽易な魔術を操りながら、大魔術を行使しうるのだ。


「くそ、どいつもこいつも『特別』ばかりかよ!」

 焦燥ばかりが心を駆り立てる。そんな中で、辛うじて掴んだ答えがあった。

 アリツィヤから使うべき魔術を示してもらうだけの余裕はない。ゆえに、誠はアリツィヤの記憶から、いま行使すべき魔術を選び取る必要があった。

 自分とアリツィヤの記憶から、誠は加護の呪文を探り当てようとした。既にアリツィヤは闘いに臨んでおり、その心は千々に乱れている。雑多な雑音にも似た思考の波を掻き分け、誠はある魔術を選び取った。かつて炎を防ぐために、水精の加護を求めた。だが、『王』の剣はそのようなものでは防げない。ならば――。


『       』


 誠の詠唱によって、アリツィヤを取り巻く大気が微細な振動を帯び始める。やがて、アリツィヤの姿はゆっくりとぶれ、輪郭を崩していく。夜闇の暗さとあいまって、その姿はまるで風景に溶け込んでいくかのように見えた。


「感謝します!」

 ごく短いアリツィヤの思念が伝わる。

 大気の精霊による加護を受けたアリツィヤは、さながら幻のように茫洋とした姿となった。だが、手にした大剣の鋭さと輝きはいささかも衰えていない。闇を貫く彗星のような一撃が、『王』の胸元に迫る。


「っやぁぁぁっ!」

 アリツィヤの激しい気勢とともに、大剣が『王』を撃つ。剣から放散された魔力が、激しい閃光を放った。


(やったか?)


 誠は光に眩んだ目を凝らす。『王』の前には、剣を振り下ろしたアリツィヤの姿があった。誠が施したはずの大気の加護が解けている。彼女の体はぐらりと揺れ、やがて地に崩れ落ちた。


「アリツィヤ!」

 倒れたアリツィヤの傍らで、『王』は右手の長剣を悠然と払った。その剣には、先の戦いで用いた異界の力は込められてはいないようだった。切りかかってきたアリツィヤの剣を引き付け、いなし、そして彼女の胴を抜いた。魔力の大半と鎧の防御を失い、左手を奪われたとしても、いまだに『王』の力と技巧は圧倒的だった。


 アリツィヤを救う手立てはあるか。誠は彼女の記憶を探る。だが、緊張と苦痛によって激しくかき乱された知覚に阻まれて、有効な魔術の構文を得ることができなかった。

 馬上の『王』は、長剣をかかげてアリツィヤの頭部を切り払おうとしている。


 あの剣が振り下ろされたら、すべてが終わる――心音が跳ね上がるのを、誠は感じた。


 アリツィヤは動けない。

 ベルクートは詠唱を止めることができない。

 ルーカの魔術の完成には、あとほんの少しの時間が足りない。だが、それを待つだけの余裕は絶無だ。


 必死で記憶を手繰る。アリツィヤだけではなく、己の記憶も。そうして、誠はたったひとつだけ、いま導くべき魔術を得ることができた。



『       』



 誠は出せる限りの集中力と気迫をこめて、その魔術を行使した。

 それは「フォース」。かつてルーカの「火焔密集陣」より逃れるために用いたものだ。炎や雷といった現象に魔力を仮託せず、直接に魔力そのものを投射する魔術。それゆえに破壊力には乏しくとも詠唱は短い。

 無形の魔力は、あやまたずに『王』の長剣を撃った。今まさに振り下ろされようとしていた剣は、大きく跳ね上げられた。わずかな時間を得たことで、無意識のうちにアリツィヤのもとへと駆け出していた。


 だが、ほんの数歩ほども進んだところで、アリツィヤの身体が淡い白光に包まれるのが見えた。それとともに、アリツィヤの知覚が急激に澄んでいく。激しい痛みが消えているのだ。


「……落ち着け。君は君にできることをやれ。この一戦、俺は君たちを必ず守ってみせる」

 アリツィヤを癒したのは、ベルクートの聖句術だった。

「あ、ありがとう」


 傷が癒えたアリツィヤは、立ち上がり後方に飛びすさった。呼吸は乱れているものの、大剣を操る体さばきは、まだ崩れていない。

「誠さん、……すみません」

「大丈夫だ」


 いま、最大の危険に身をさらしているのはアリツィヤだ。だが、だからこそ、自分は持てる魔力の全てをもってアリツィヤを守らなければいけない。


 心の中で、ベルクートの言葉を反芻する。

(ああ、そうだ。俺は、俺にできることをやる。魔力に限りがあっても、それを最後の最後まで、最大の効率で出し切ってやるさ)

 そう思いながら、次なる魔術を求めようと思ったとき。


(だいぶ「魔術師の戦い」が分かってきたじゃないか、誠)


 と、脳裏に響くような声音がどこからか届いた。その声の主を、誠はすでに知っていた。

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