第38話 王の待つ地へ

 いま、誠は自分の部屋にいる。


 両親が建てた一戸建て、六畳間の自室。少々窮屈に感じるのは、処分していない雑誌やがらくたがすこし多いからだろうか。

 周囲をいちいち改めるまでもなかった。どこまでも馴染んだ、居心地のいい部屋だ。たとえ夜中にふと目を覚ました時などでも、どこに何があるのかはよく把握しているから、何かに蹴つまづくこともない。


 しかし、今日に限っては違った。

 いま、アリツィヤが目の前にいる。

 それだけで、ここがまるで別世界のように感じた。

「…………」

 友達を招いたことならいくらでもある。そのなかに女性が含まれていたことも一度ではない。が、場の雰囲気を変えてしまうような客人を迎えるのは、始めてだった。


 応接セットがあるわけではないから、アリツィヤにはベッドに腰掛けてもらっている。彼女は当初こそ物珍しそうに周囲を見回していたが、今はもう落ち着いた様子だ。かえって自分のほうが落ち着いていないみたいだ。雑念を打ち消すために、あえて当面の目標だけを思い浮かべるようにした。


「で、ベルクートの奴は、どんな話を持ちかけてきたんだ?」

 誠がそう問うと、アリツィヤは、「――かれは『狂王を討つために、力を貸せ』と言いました」

と、はっきりと答えた。つい先日までは、まるで不倶戴天の敵であるかのような態度をとっていたベルクートだ。どうやったらここまで鮮やかに態度を豹変させることができるのか。誠は表現しうる限りの不信感をこめて呟く。

「……あの男、何を考えているんだ? 自分たちの力で『王』を倒せないと判ったとたん、手のひらを返して味方につくのなんて。アリツィヤ……本当にそれでいいのか?」

 その問いに、アリツィヤはすこし表情を和らげながら頷いた。

「確かに、私とかれは敵同士です。ですが、『王』からすれば、ベルクートも……私も、ひとしく道行きを妨げる障害でしかありません」


「…………」


「私は、『王』の行いを止めたい。ベルクートもまた同様です。ただ、『王』を討ち果たすことを躊躇ためらいはしないでしょうが」


「アリツィヤは、奴を生かしたままで、その力だけを封じてしまいたいんだな」


「それができれば最良でしょう」


 言うは易し、だ。仮に共闘が上手くいき、『王』を追いつめることができたとしても、アリツィヤの目的は果たして達成できるだろうか。


(……ベルクートなら、『王』を殺すか、捕らえる筈だろう)


 『王』を討ち、安寧を得る。あるいは、『王』を捕らえ、かれの身につけた秘蹟にまつわる知識を得る。アリツィヤの意を汲んで解き放つことなど、ベルクートにとっては徒労に過ぎない。

 素人考えでも、そこまでは容易に推察できる。ベルクートと共闘することは、けしてベストではない。だが、アリツィヤと自分だけで『王』と対峙することがきわめて困難な以上、他に選択肢はない。残念ながら、これはただひとつのベターだ。

 アリツィヤも、そのあたりは判っているのだろう。その顔に迷いはない。


「――ああ、分かったよ。じゃあ、俺達も行こうか」

 誠は立ち上がった。迷いは捨てた。全ては、今夜の一戦のあとのことだ。


「はい、誠さん。それでは、出ましょうか」

 アリツィヤも頷き、ごく自然な所作で立ち上がる。



+ + +



 ――夕刻が終わる。

 町並みを彩っていた赤光は、刻々と彩りを失っていく。まるで壁面という壁面から、夜闇の黒が滲み出してくるようだ。

 吹き抜ける風は冷たく、街路樹のざわめきは、絶え間ない摺動音しゅうどうおんを発し続けている。

 郊外へと続く人気のない街路を、誠たちは歩いていた。


 だが、傍らにいるのはアリツィヤだけではない。

 ベルクートとルーカ。賢人会議の聖句術師と魔術師が、ともに歩いていた。

 ほんの数日前には、敵として渡り合った者だちだ。


「アリツィヤ、あとどのくらいだ?」

 ルーカが訊く。まだ年若い少年の筈なのに、気後れというものを知らないかのような振る舞いだ。


「もうすぐです。『王』は、向こうに見える山の、掘削場跡にいるようです」

 アリツィヤが示した先には、剥き出しになった山肌が見えた。周辺を満たす木々の間から、傷跡のように空虚な姿を覗かせている。


「あれか。じきに暗くなって見えなくなる。さっさと行くぞ」

 そう言って、ルーカは先へ先へと進んでいく。そんな彼の横顔を、誠は見つめた。

 彼の眼差しは、まっすぐに目的地へと――そこにいるはずの『狂王』を見つめているようだった。


 道すがら聞いた話では、ルーカとベルクートには、アリツィヤほどの感知能力はないという事だった。かれらの「目」となっていた聖句術師の少女……キアラは、先の戦いで負傷し、まだ回復していないらしい。


 その話を聞いた時に、誠は胸が痛むのを感じた。結果として、彼女が魔力を失ったのは「狂王」のせいだとはいっても、実際に彼女を傷つけたのは、誠の導いた魔術のせいなのだから。


 そのことを兄である彼に詫びるべきだろうか、と誠はちらりと思った。だが、その思念を共有したアリツィヤは、(それは必要ありません)とだけ伝えてきた。

(どうしてだい?)と、誠は問うた。

 その質問に、アリツィヤはひどく丁寧に答えてくれた。

(誠さんの気持ちは、たしかにもっともです。ですが、戦いに臨んだ以上、苦痛や死、後遺症を覚悟していた筈です。ルーカも、キアラも、……そして誠さんも)


「……俺は」

 あのとき、そういったものを覚悟できていたとは到底思えなかった。成り行き任せで戦いに臨み、そして大した傷もなく生還できたことは、ただの僥倖以外の何物でもなかった。

 そんな幸運を二度も期待することは、おそらくは不可能だ。


「戦いに臨むのであれば、そこで何かを失うのは覚悟しなければいけません。それが嫌ならば……戦いは避けなければなりません。……絶対に」


「アリツィヤ……」


「傷つき、失うのは覚悟の上。それらをテーブルの上に差し出すことで、初めて『賭け』に参加できるのです。……だから、誠さんが謝る必要はありません」


 改めて、誠は周囲の面々を眺めやった。

 アリツィヤ。

 ベルクート。

 ルーカ。

 かれらの厳しい面持ちに、どこか疎外感を覚えてしまう。


 あるものは得て、あるものは失う。合計すればゼロになる。そんなやりとりを、アリツィヤは「賭け」だと言った。


(そうだ。そうだな。本来ならば、戦いなんかするものじゃない)

 誰の言葉だったか忘れたが「戦争は外交の一手段である」というものがあった。

 戦いを視野から外してしまうことは危険だ。だが、争うことがが果たして対話すること以上に良策であるかは、ぎりぎりまで考えなくてはいけない。そして、この戦いが最上の良策であるとは、誠にはどうしても思えなかった。


 正直に言うならば、と、誠は区切りを置いた。

(この戦いで、アリツィヤを失いたくはないし、俺自身も命を落としたり、何かを失ったりはしたくない。……だけど、アリツィヤがこの戦いを求めるのであれば、この一戦に限っては、――俺も一緒に行こう)

 そう、思った。


 アリツィヤは、誠の思念を受け取った筈だが、それに対して言葉を選ぶことはなかった。


 ただ、誠のほうを向いて、静かに微笑んだ。


 そんな誠とアリツィヤの様子を、怪訝そうにルーカが見つめている。

「ずいぶんと余裕があるみたいだな、誠」

 などと、誠に語りかけてきた。まるで友達に語りかけるような気安さだ。


「余裕なんかあるわけないだろ。もう二人とも知っているかもしれないけれど、俺自身は魔術なんか使えないんだ。アリツィヤが示した言葉をなぞることでしか、俺は力になれない」

 そう言い終えてから、ひょっとしたら馬鹿にされるかもな、と誠はすこし後悔した。

 だが、ルーカもベルクートも、特にそのようなそぶりは見せなかった。

「……なるほどね。より深い感覚共有を生かせば、そんな芸当も出来るのか。僕とベルクート……いや、僕のキアラとでさえも、そんな真似は出来ないだろうな。お前は気づいてないかもしれないけれど、それはなかなかの芸だよ。自慢してもいい。僕ならそうする。なあ、ベルクート?」


「ああ」とベルクート。

「力の源たるアリツィヤと上手く連携できれば、十分な力を発揮できるだろう」

 誠を見つめるかれらの……殊にベルクートの眼差しには、かつて怖れていたような凶暴さは感じられなかった。


 頷いて、誠はふたたび視線を正面に戻した。


 それきり無駄話は終わるか、と思ったところに、ふたたびルーカが口を開いた。

「そういえば」と、すこし笑いながら言う。

「なあベルクート。今回の共闘をアリツィヤに持ちかけたのって、喫茶店の中だったって?」


「……それが?」


「その時、何を飲んでいた?」


「カフェ・スラブ」


「つまりあれか。クリーム入りコーヒーをすすりながら、決戦の行く末を定めたということか」


「……そういうことになるな」


「それはティータイムに切り出す話じゃない。折角のコーヒーが勿体ない。他に方法は思いつかなかったのか?」

 からかうようにルーカが言うと、ベルクートはわずかに苦々しげな表情を浮かべながら言った。


「……他に気の利いた方法が一つも思い浮かばなかった。茶飲み話は苦手だが、こればかりは仕方がなかった」


 そんな陳腐な返答に、ルーカは「ま、そうだろうな」とだけ呟いた。


 その点にだけは、誠も同意できそうだった。

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