第37話未来への希望

「くそっ! 次こそは、絶対あいつを仕留めてやる!」


 怒りの声だ。ベルクートが祐三の部屋を訪ねると、そこには苛立つルーカの姿があった。


「……ああ、アザト君か。首尾はどうかな?」

 ルーカの相手にいささか疲れた様子の祐三が訊いてきた。


「今夜だ。今夜、アリツィヤらとともに『王』を討ち果たす」

 ベルクートが答えると、祐三は頷く。

 横で聞いていたルーカは口角を上げた。

「嬉しいな。とても早いじゃないか、ベルクート。一秒でも早く、あのふざけた野郎を叩き伏せてやりたいと思っていたところだ。アリツィヤ共が一緒なのは気に入らないが、そんな事はどうでもいい。……キアラをあれほどまでに苦しめた罪、決して赦さない」

 最後の言葉は、まるで自分に言い聞かせるようだった。手ひどい敗北を喫しはしたが、この少年の心はまだ折れてはいない。思っていたほど脆くないな、とベルクートはかれに対する評価を改めた。


 だが、この場にキアラの姿はまだ見えない。

 ベルクートがわずかに視線を彷徨わせたことに気づいてか、祐三はルーカを気遣いつつ言った。

「妹さんは、まだ出られる状態ではない。私も力を尽くして施術を行おう」

 その言葉に、ルーカも頷いた。

「任せるぞ、カミヤ。悔しいが、僕にはキアラを治してやれる力はない。その分だけでも、僕は『狂王』に力を注がなければいけない。そうでなければ、僕がここにいる意味はない」


「そう言われたら、頑張らざるをえないね。後方のことは気にしなくてもいい」


 おそらくベルクートが到着するまでに、同様のやりとりを何度も繰り返していたのだろう。祐三の言葉は、まるでいきり立ったルーカを宥めているようでもある。そろそろかれを解放してやらなければな、とベルクートは思った。


「ならば、ルーカ。夜までに力を調えておけ。俺とお前、そしてアリツィヤとあの少年。この面子で、『王』をねじ伏せるだけの力を持つのは、お前をおいて他にない。俺たちはその力が確実に発揮されるよう、伏線を仕込もう。……頼むぞ」


「あ、ああ」


 いま伝えるべきことはそれきりだ、とベルクートがその場を離れようとしたときに。

 祐三が背中越しにこう言った。

「アザト君。今晩きみが戦うことになる『王』だがな、さきほど賢人会議の本部より、討伐令が出された。今度は東欧の騎士団が駆り出されるそうだ。おそらく四、五十人ほどが送り込まれてくるだろう」


「これで二度目か」


 最初の討伐令により、中東に二個騎士団が送り込まれた。だが、投入された戦力はなすすべもなく壊滅した筈だった。


「無茶な。本部の奴らは、この街を戦場にするつもりか。中東の荒野とはわけが違うのだ。戦いました、負けましたでは済まない。隠蔽しきることは、まず不可能だ」

 そう言ったベルクートの脳裏には、昨夜の『王』との戦いがありありと蘇っていた。かの者の魔術は、攻防をかねそなえ、乱戦において最大の力を発揮する『異界への門』だ。一対多数の戦いにおいては、圧倒的な力を誇る。本部がどのような装備を騎士団に与えたかは知らないが、こと戦術に関しては、おそらくは無策の筈だ。ここで周到な準備ができるようであれば、中東の騎士たちもあたら命を失わずに済んでいただろう。


 己の背後で、祐三がどのような表情をしているのかは、ベルクートには大体の見当がついた。人命の浪費に失望を抱かない者はいない。その推測が正しかったことは、続くかれの言葉の声音に現れていた。

「……そうだな。今夜の戦いで『王』を仕留めなければ、ことは衆人の耳目に晒される。本部の者たちが何を考えているかは知らないが、勝つにせよ負けるにせよ、ここで騒ぎを起こせば、『賢人会議』そのものに疑いの目が向けられるだろう。……もう、おおっぴらに戦いを起こせる時代じゃないんだがね」


「人前で騒ぎを起こし、破壊活動を行う馬鹿者を取り締まる法律など、どこにでもある。いやしくも魔術師、騎士たる者が、法廷に引きずり出されて刑罰を受けるなど、あってはならん事だ」


「そうならない事を願いたいね」


 アリツィヤの因縁、ルーカの復讐、そして失った己が右腕の報いに加え、東欧の騎士たちの生命と安寧。今夜の一戦に積まれるチップが、徐々に高さを増していく。


(色々と面倒な事になってきたか)


 逃げ場を無くした『王』は、おそらくは死戦を挑んでくるに違いない、とベルクートは思った。勝敗は必ずや明らかになるだろう。全力を尽くして敗れたとしても、まだ賢人会議には『王』に見合うだけの大駒が残っている筈だ。次戦はその者たちの仕事になる。それだけのことだ。だが、勝ち、生き残ったそのときに、果たして今後のことを考えるだけの力が残されているかだ。


(わが故郷、わが氏族、わが敵手……アリツィヤ。願わくば、この戦いが終わった後に、あの魔術師と戦うだけの力が残されていればいいが)

 去り際に、無言のままベルクートは考えた。だが、その表情をルーカが不審そうに眺め込んでいる。


「おい、ベルクート。なにか気になることでもあるのか?」

 背丈の違いから、ルーカは見上げるような格好でベルクートの表情を窺っている。相変わらずの強情そうな面持ちだが、そこには多少の配慮のようなものも感じられる。


「いや、特に何もないな。早く部屋に戻って、すこしでも身体を休めておいたほうがいい」


「……ならいい。なるべく、お前には負担をかけないようにするつもりだ。今夜のことは僕に任せておけ」

 言いながら、ルーカは笑った。


 その笑みに、ベルクートは「頼む」とだけ答え、ルーカとともに祐三の部屋を後にした。


(任せておけ、か。子供には似合わない台詞だ。だが、明日以降も生き延びられるのであれば、じきにそんな台詞が似合う男になるかもしれないな)


 年若いルーカとキアラ、そしてアリツィヤと組んでいるあの少年。彼らの未来もまた、この戦いにはかかっている。


(この戦いの後にも続く時間が、ルーカ達には必要となる)


 気を遣う事が多い、とベルクートは呟いた。力と力のぶつかりあい、そして明快な勝敗、あとくされのない結末……などというものは、おとぎ話の中にしか望み得ないのかもしれないな、と思いながら。



 + + +



 祐三、ベルクートと別れたルーカは、自室に戻る前に妹の部屋を訪ねた。


「…………」

 静かに襖を開け、そっと足を踏み入れる。

 この国の家屋に独特の、乾いた草木の優しい香りに包まれて、キアラは床に伏せていた。

 その枕元に跪き、傍らに置かれた水盆のなかから濡布巾を手に取って絞り、ルーカは妹の額に浮かぶ汗を拭う。


 ――魔力を使い果たすことを、魔術師はなにより怖れる。常ならざる力を用いる代償として、聖句の力を分け与える『者』は、それなりの代償を術者に要求する。チップは、生命力・精神力そのもの。要求に応じることが出来るうちはいい。だが、持てる魔力を根こそぎ失ってしまえば――。


 目の前で不規則な呼吸を繰り返すキアラを、ルーカはじっと見つめた。妹の顔には、未だに昨夜の恐怖と苦痛が色濃く残っているようにも見えた。


(夢の中で、今もあの敵と戦い続けているんだろうか)


 魔力の欠乏によって荒廃した精神を回復させる術は、いまだに明らかになっていない。幸運な者はなんの後遺症もなく復帰するが、そうでない者のほうが多い。二度と目を覚まさぬようになった者、思考力、記憶力を消耗してしまった者、身体能力を減じられた者、人格に変容をきたしてしまった者……。後遺症は、けして一様ではない。


 ルーカは無言のまま妹の額を拭った。布巾を通じて伝わる微熱を、キアラから取り去るかのように。汗で張り付き乱れた前髪を整えたのちに、布巾を脇に片づける。多少は楽になってくれればいいんだけどな、と、小さく呟きながら。


 ……今になっても、昨夜の戦いについての疑念は残っている。

 これまでキアラが引き際を間違えたことなどあっただろうか。それは一度たりとてない。

 だのに、昨夜に限っては、自らを犠牲にしてまでも『王』の力を削ぐことを望んだ。

 キアラがあのような行動を選ぶためには、確たる理由が存在しなければならない。

 そして、最も確からしい理由は『あの時に「王」の力を削がねば、離脱することさえも叶わず、自分たちが壊滅するであろうから』だろう。


(だとしたら、妹をこのような状態に至らしめたのは、自分の無力が原因なのか)


 そのことに思い至ったとき、魂を太い糸で締め上げられるかのような、嫌な感情を覚えた。後悔と屈辱と怒りが、かわるがわる閃いては傷跡を残していく。

 だが、ルーカはその気持ちを無理矢理に抑え込んだ後、立ち上がり、キアラに背を向けた。振り向いて、もっとキアラの側にいてやりたいとも思ったが、いまはそれをしてはいけない事だけは分かっていた。


 離れ際に、ルーカと入れ替わるように祐三が部屋に入ろうとした。かれの手には、ルーカの理解の及ばぬ用品が握られている。おそらく、回復のための魔術を行うのだろう。

 この期に及んで、交わすべき言葉は必要ないし、なによりキアラの側で大きな声を上げたくはなかった。ルーカは祐三に一礼した。祐三もまたしずかに頷き、寝室へと入っていった。

 とん、とわずかな音をたてて閉められた襖を背にして、ルーカは自分に与えられた部屋へと戻った。


 為すべきことはただひとつ。

 己に殲滅と破壊のための力しかないのであれば、その力を存分に振るえるよう、己の心を研ぎ澄ますこと。

 そのためには、これまでキアラを信頼してきたように、祐三とベルクートを信頼せねばならない。


 ……そして、必ずや『王』に一撃を浴びせなければならない。

 それを成し遂げない限り、キアラの行いに報いることも詫びることもできないのだから。

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