第36話 利害の一致
温かいコーヒーの入ったカップから、ベルクートは口を離した。目の前の女魔術師は、窓辺に並べられた小間物を眺めている。
「……どうした、何か気になるものでもあるのか」
声をかけると、アリツィヤは視線を戻し、微笑んだ。
「ええ。いつの日か、ただ穏やかな時間を過ごすためだけに、ここに来ることが出来たなら……そう思ったのです」
「そうした日々を投げうったのは、他の誰でもない貴様自身だろう。だれにも見つからぬよう、祖国に隠遁しているべきだった。だが、貴様はそうしなかった。ひとたび捕捉した魔術師を、『賢人会議』は決して見逃しはしない」
アリツィヤの持つ知識は禁忌だ。秘匿するか、あるいは消さねばならない。
ベルクートの言葉に、アリツィヤは表情を険しくする。
「そうしたいのならば、すればいい。私には、あなたがたを退けてでも、やらなければいけない事があるのです」
「やらなければならない事、か」
その全容は、いまもベルクートには分からない。だが、おおよその見当はついていた。
「――『狂王』だな」
アリツィヤは、しずかに頷いた。
「わが『王』は……戦いを憎むことに酔っておられるのです。その御心を鎮めること。それだけが、私の目的です」
「そのあたりは、我々の目的と変わるところはないな。奴は、戦いの気配を察知しては、各地の戦場に出没し、居合わせた者をその手にかけている。貴様も知っているだろうが、『王』は異界への門を開く術を持つ。みな、その中に取り込まれてしまったという事だ。追討に当たった『賢人会議』の魔術師たちも、そのことごとくが敗れた。中東では騎士団を壊滅させたと伝え聞いている」
「…………」
アリツィヤは無言のまま、促すようにベルクートの口許を見ている。
「その『王』が、いま我々の眼前にいる。……アリツィヤ、貴様も感知しているだろう。奴は、異界に逃れることができぬまま、この地に留まっている。狩るのであれば、今しかない」
「私の返答は変わりません。『王』と戦いたいのであれば、戦いなさい。……あなたがたに出来るのであれば。私の知ったことではありません」
ベルクートの視線を真っ向から受け止めながら、アリツィヤは言った。
その眼差しは、鋭く、そして清い。が、ベルクートは笑った。
「……そうだな。互いの行く道を、気に懸けてやる必要はない。だが、貴様はあの『王』に抗しうるのか? 勝てもしない相手に挑むことなど、浪漫の充足以外に意味はない」
「…………」
「再度、訊く。アリツィヤ、貴様は奴に勝てるのか?」
問いつめるような響きを帯びた言葉だ。
アリツィヤは、しばし無言のまま視線を逸らしていたが、やがて、ベルクートの瞳を見据えた。
「難しいでしょう。ですが、勝機の糸口を掴むための努力は、惜しむつもりはありません」
「また、『博打だ』とでも言いたいのか」
「それより他に道があるとでも?」
これは虚勢にすぎない。ベルクートは、そう思った。目の前の女魔術師に、確たる策などない。
「分の悪い博打に身を投じていれば、いずれは破滅するだけだ。貴様のごとき『完成者』が、どれほどの年月をかけて、『王』を追ってきたのかは知らない。だが、その日々を惜しむつもりはないのか。少しでも犬死にを怖れるのであれば、――我々と組め。『王』を倒すための力を、……ひととき貸してやる」
これは賭けだった。『狂王』に対しての勝算が薄いのは、自分たちにとっても同じことだ――。
アリツィヤは、しばし考えているようだった。テーブル上の彼女の両手は、互いの指を弄ぶように揺れている。
やがて、彼女は言った。
「ベルクート。あなたは、『王』を倒すために、敵である私と手を組むと。……あなたらしからぬ、惰弱な言葉です」
「その通りだ。貴様が『王』に勝てぬように、我らの力のみでも奴には勝てない。前回は、期せずして共闘することとなったが、その結果は覚えているだろう? 貴様とあの少年は、戦いのさなかに昏倒してしまった。あの場に居合わせた二人のうち、少女……キアラのほうは、基幹魔力を喪ったことで、いまも治療を受けている。少年……ルーカのほうは、再戦が可能だ。そして俺は、見ての通りだな」
と、ベルクートは右の空袖を揺らして見せた。
「アリツィヤ、『王』を仕留めたいか。そうであれば、こちらの持てる力を貸してやる」
その言葉を受けて、アリツィヤはテーブルの上に置いた手を、腿の上に置き直した。
「……ベルクート。あなたの力、ひととき借り受けましょう」
吐息とともに、アリツィヤはそう答えた。
「ならば、今夜にでも仕掛けたい。……面倒事は、さっさと片づけるべきだ」
その言葉を聞きとがめるように、アリツィヤは眉根を寄せた。
「あなたには、『王』との戦いに優先すべき何かがあるのですか?」
彼女の険しい眼差しを受け止めて、ベルクートは言った。
「決まっている。アリツィヤ、貴様との戦いだ。『王』との戦いなど、俺にとっては所詮『狩り』にすぎない。――まずは、障害物を取り除くぞ」
「ベルクート……」
ふう、と、アリツィヤは小さく溜息をついた。
「私の目的とは、『王』の行いを止めることです。あなたの望みにつきあう義理は、ない」
拒絶の言葉とともに、アリツィヤはカップの取手を摘み、ぬるくなったプラムティーを飲み干した。
ベルクートもまた、コーヒーの残りを干す。カップの底には、溶けきらなかったホイップクリームがわずかに残ってしまっていた。
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