第31話 キアラ
突如として感じた歪み。
「……どういう事だ!?」
半身を起こし、誠は周囲に目を配ろうとして――驚愕した。
彼方より差し込む街灯りは、その色彩を違え、さざめく雨音は、まるで軍靴の連なりのように轟々と響く。遠景と近景がねじれ絡み合い、大地はまるで波打つかのように揺れ蠢く。
外界のすべてが変容するなかで、誠は「王」の姿を目で追った。
だが、王はこの不規則なうねりの中にあってさえ、混乱をきたしてはいないようだったが、ただ、分かることはひとつ。
(これは……「王」の力では……ない!?)
周囲を見回そうとしても、もはや叶わないほどに歪みは強くなっていた。あらためて、誠は己の眼を疑った。火焔に包まれた際に眼を傷つけられたか――?
そう疑った瞬間。
誠の眼前に、流星のように清らかな光が六条、閃いた。
「……えっ?」
その光は、あやまたずに「王」の胴部に差し込んだ。この歪みのなかにあって、有り得ないほどの精確さだった。
六条の光のうち、五条までは、甲冑に阻まれて弾き飛ばされた。力を喪い、地に落ちたそれは、アリツィヤが手にしていたのと同じ白銀の短剣だった。
残る一条は――甲冑の胴部、アリツィヤの大剣が
誠は、短剣を放った者を探した。
「……あれは……」
視線の先に、ただひとり、この歪んだ空間の影響を受けずに
不思議な紋様を刻んだ、神官のような衣服を身に纏った男の貌に、誠は見覚えがあった。
かれは右手にたばさんだ三本の短剣を胸に当て、呪文のごとき韻律をひくく唱えている。
「……ベルクート……」
そう、アリツィヤの宿敵たる、ロシアの聖句術師――。
誠がその名を呼ぶと、かれはちらりと眼を向けた。だが、その視線は、自分ではなくアリツィヤを探して彷徨ったように誠には思えた。かれは「王」に向き直る。
「――『狂王』か。たしかに伝え聞いた通りの力は有るようだな」
「…………」
ベルクートの言葉に、「王」は冑のなかで両眼をすぼめたように見えた。
「だが、貴様の討伐のまえに、わが僚友たちを解放してもらおう。――『
左手で天を衝き、ベルクートはその聖句を唱えた。間をおかず、真白き神の雷が「王」の身体を撃った。が、電光は甲冑と激しい干渉を起こし、弾け飛んだ。
アリツィヤの剣によって一部が砕かれたとはいえ、その呪物としての力は未だに喪ってはいないようだった。
生じた隙に乗じて、ベルクートは叱咤するかのように、大声をあげた。
「ルーカ! ――いまは、退くぞ!」
意識を喪失しかけていたルーカは、その声に反応して、ようやく半身を起こした。
「……ベル……クート……。い、妹……を……」
苦しげに絞り出されたルーカの言葉に、ロシアの聖句術師は頷いた。
「キアラ! 『狂王』の戒めを振り放て!」
そう叫ぶのと同時に、ベルクートは右手の短剣に加護を付与し終え、それを再び「王」へと放つ。
「王」は苦痛の呻きこそは漏らさなかったが、当初に比べればはるかに鈍重な所作で、楯たる「闇」を喚んだ。その闇もまた、魔力の消耗によってか、ひどく薄れている。ベルクートの短剣のうち一本は闇に呑まれて消えたが、残りの二本は、先の「聖雷」により力を弱められた甲冑に突き立ち、激しい衝撃とともに炸裂した。
だが、「王」はなおも戦意を失ってはいなかった。手にした長剣を眼前に引き寄せて、ひくく陰鬱な呪文により、刀身に闇を纏わせる。
存分に闇を従わせた剣を、「王」は振りかぶり、振り下ろした。放たれた闇は、拡散しつつベルクートめがけて飛翔する。
「俺ごときが受け止められるような業ならば――『奴』が苦戦するはずもない」
ベルクートは、「王」の闇を受け止めようとはせず、ただ回避のみに専念した。
体勢は大きく崩れたものの、その隙は、あらたな短剣を放つことによって隠蔽していた。
そして、かれは再度叫ぶ。
「キアラ!」
彼女を包んでいた闇は、もはや消滅を間近に控えていた。
キアラは天を仰ぎ、叫ぶ。
「――わたしに、闇に抗う勇気を――!」
祈りは容れられ、祝福の光が、キアラの傷ついた肉体を包む。ごくわずかな時間、光と闇とが干渉したが、すぐに闇は消え失せ、キアラは解き放たれた。
――既に、「王」は力を喪いつつある。誠はそう思った。
無傷のベルクートが、このまま「王」の力を抑えることに専念すれば、ルーカとキアラの兄妹は脱出できるだろう。その後に残されるであろう自分とアリツィヤについては、彼らが考慮する必要はない。
だが……と誠は思った。この巨大な力を秘めた「王」はどうなる、と。
件の「王」は、身軽さをいかしたベルクートの牽制に翻弄されているように見えた。キアラも解き放たれ、もはやあとはこの場を離れるのみだ。……そして、自分とアリツィヤの最期をかみしめる時が来る――。
誠が俯いたとき、かれの視界の端を駆け抜ける姿があった。
(……キアラ?)
傷だらけの肉体を駆り、「王」へと一直線に向かう、薄汚れた白衣の少女。その姿は、神の加護により真白き光を放っていた。
その姿を認め、ルーカが声をあげる。
「キアラ! 何をするつもりだ! 逃げるんじゃなかったのか!?」
だが、キアラは兄の叫びに振り向くことなく「王」に肉迫する。
「――兄さん……お願いがあります」
「……何だ!」
「今から、わたしが『王』を抑えます。その間に、どうかあの二人を、この場から逃がしてあげて下さい」
と、彼女は一瞬だけアリツィヤと誠に視線を投げかけた。誠は倒れたまま動けず、アリツィヤは失神したままだ。
「なぜだ、キアラ!?」
土壇場での不可解な願いに、ルーカは叫んだ。
だが、キアラはわずかに微笑んで、言った。
「約束したのです。――アリツィヤと」
そのまま、キアラは決然と王を睨み、素早く術式を編む。
「王」は、至近に迫った異変に対処すべく、長剣をふりかぶる。
――そして、剣がキアラの頭を打ち砕く寸前に、術式は完成した。
「 」
キアラと「王」を、球状に形作られた光の薄膜が包み込む。その球体は、内包する「王」からの膨大な魔力を吸収し、すみやかに上天へと渡す。流れゆく魔力の経路は、まるで流動する光の粒子のようにも見えた。闇にみちた空間を操る「王」から、かくも美しい光が漏れだしているのは、まるで悪い冗談のようでもあった。
が。
「――キアラ! 何故、お前が、『
ルーカが問う。だが、その疑問はけして晴らされることはない。
魔力を吸い上げる球体は、それをルーカが「聖餐」と呼ぶとおり、内包する存在より魔力を吸い上げ、天へと捧げる儀式のようだった。「王」の魔力は凄まじい勢いで流出している。……そして、やはり「聖餐」の内部にいるキアラの魔力をも、同様に奪い去っていた。
「キアラ、出ろ! ……早く!」
キアラは「聖餐」を維持しつつも、その内部において、さらに別種の聖句術を用いていた。
「……『王』よ。あなたを……逃がしは……しない……」
球状の光のなかで、「王」は逃れようともがいていた。その手負いの獣のような姿を戒めているのは、キアラの祈りを承けて現れた「
ベルクートが素早く聖句を紡いだ。
キアラを援護するために放った「聖雷」だった。
真白き雷雲より放たれた稲光は、たしかに「王」を撃つかに見えた。だが、それは「聖餐」の光に触れたとたん、まるで魔力を瞬時に奪われたかのように消滅した。ベルクートは思わず舌打ちする。
「外からは手出しができないのか。――ルーカ! 他に手立てはあるか」
ベルクートが訊くと、ルーカは苦しげに首を振った。
「……キアラの『聖餐』は、弱った獲物を捕らえ、根こそぎ魔力を奪う「秘蹟」だ。あの光こそは、神の食物として選ばれたことを示すもの。外からの手出しはできない」
「……策は無し、か。われらが神の
流れ出る魔力の光は、すなわち生命の輝きだ。貪欲なまでに求められるふたりの魔力は、とめどもなく天へと流れ続けている。
呆然としている誠のところに、よろめきながらルーカが近づく。
「…………」
アリツィヤの意識が消失しているため、ルーカの言葉は誠には分からなかった。
「……どういう……つもりだ」
精一杯の気力を振り絞って、誠はそう問うた。だが、ルーカにも返答するだけの余力がないようだった。かれは誠の肩を掴んで起こしながら、ベルクート、ともう一人の魔術師の名を呼んだ。そして、誠はルーカに引き立てられた。
(……助けて……くれるのか)
一方、ベルクートは失神しているアリツィヤを抱きかかえ、素早くその場を離れていた。無傷のベルクートは「王」と戦わないのだろうか、と誠は思ったが、それを問う余裕はない。
ルーカの肩を借りて、誠は焦げ付いてこわばる脚をひきずりながら、その場を離れた。「王」から充分な距離をとったあたりで、誠とアリツィヤはアスファルトの上に降ろされた。
去り際に、少年の魔術師が呟く。
キアラ、と。
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